婚約破棄されたあげく家を追放された令嬢、目覚めた力で幸せになる
オクドール家といえば、国内では誰もが知る公爵家だ。
そんなオクドール家の長男――シンル・オクドールとフィナンは、婚約関係にあった。
今日もシンルとフィナンは、街を二人歩き交流を深めていた。
フィナンとシンル。美男美女のカップルに、貴族街を歩いていた人々は見とれていた。
「フィナン、今日晴れてよかったね。キミとのデート、ずっと楽しみだったんだ」
「はい、シンル様。私もです」
フィナンはにっこりと微笑みながらも、頬を引くつかせていた。
侯爵家に生まれてからこの十六年。フィナンは毎日剣や魔法を学んでいた。
もちろん、侯爵の娘として貴族の礼儀なども学んでいたが、それよりなにより、フィナンが精を出したのは、剣術だった。
侯爵家らしく振舞わなければ――。必死に覚えた礼儀を頭に思い浮かべながら、フィナンはすたすたとシンルの一歩後ろを控えるように歩いていく。
二人きりのデートという名目ではあるが、どちらも重要な立場の人たちだ。
そのため、常に二人を監視するように騎士たちが囲んでいた。
フィナンはシンルとともに歩きながら、シンルが予約していたレストランへと足を運ぶ。
貴族街にある最高級レストラン。フィナンも数えるほどしか行ったことのないそこで、フィナンの表情は極まっていた。
もっとも苦手な食事作法。
フィナンはナイフとフォークを持って必死に脳内で作法を繰り返していた。
ナイフを持って、すぐに剣術のことが思い浮かぶ程度には、フィナンの頭は筋肉でできていた。
それでも、家のため、またシンルの婚約者として必死に作法を思い出していると。
フィナンはシンルが微笑んでいることに気づいた。
「ど、どうされましたか?」
「フィナンは、相変わらずカワイイね」
「な、なんでしょうか?」
「いやいや。あんまりマナーは好きじゃないだったよね? それは、僕もなんだ」
運ばれてきた肉を、シンルは雑にフォークで突き刺して口に運ぶ。
それから悪戯っぽく笑った。
フィナンの肩からわずかに力が抜ける。すべて、そのままシンルの真似をするほど無礼を働くつもりはなかったが、恥にならない程度を心掛け、フィナンたちは食事をしていった。
すべての食事を終えたところで、フィナンは口を拭いていた。
「フィナン。僕たちはいよいよ来年で十八になるね」
「はい、そうですね」
二人がいるレイスト王国では、十八歳が成人の年齢だった。
シンルはぎゅっと唇を一度結んでから、一つの箱を取り出した。
「十八になってすぐ、僕と結婚してはくれないかな?」
シンルから箱を受け取り、フィナンはそれをちらと見る。
中に入っていた指輪を見て、フィナンは改めて自分と彼が婚約関係にあることを強く意識する。
そして、小さく頷いた。
「……もちろんですわ、シンル様」
その返事を聞いたシンルの表情が崩れた。
「よかった。……キミの返事を聞くまで、正直言ってずっとお腹が痛かったんだ」
「そんな御冗談を」
「いやいや、そんなことはないよ」
シンルとフィナン、笑いあったときだった。
燕尾服を来た店員が二人の近くへとやってきて、すっと一礼をした。
「あれ、まだ料理が――」
シンルが軽く小首を傾げた次の瞬間だった――。
店員の口元がつりあがり、同時動き出す。
彼が後ろから取り出したのはナイフだった。その時には、フィナンも反射的に動いていた。
剣術を学び続けてきたからこそだろう。フィナンはテーブルを蹴り飛ばし、店員――男の接近を阻もうとした。
男はそちらに片手を向け、魔法を打ち込んだ。
フィナンの蹴りつけたテーブルは、瞬く間に空中を舞う。
そして、男がナイフを振りかぶると同時、何かを投げた。
その先には、シンルがいた。
シンルはこの状況に困惑し、動けない様子だった。
フィナンはシンルを守るように飛びつく。
公爵家の長男シンルに万が一のことがあってはならない。
その一心での行動は、間に合った。
フィナンの左腕に、男が投げた何かが突き刺さる。
その瞬間、激しい眩暈に襲われたフィナンは、揺れ動く視界の中で、男を睨んだ。
男は騎士たちに地面に押さえつけられていた。それを確認したフィナンは、安堵の息とともに目を閉じた。
目を開けたフィナンは、そこが現実世界ではなかったことに気づいた。
(どこかしら、ここは……)
ふりふりと首を振ってからフィナンは歩きだした。
天国、あるいは地獄。
そう思ったフィナンが、自身の答えを求めるように歩いていくが、何も変化は起こらなかった。
死後の世界に何かを期待しているわけではないが、あまりの殺風景に、いよいよフィナンはため息をついた。
(神様とか、そういうのもいないのね? ……それとも、まだ、死んでいないのかしら?)
そんなときだった。フィナンの眼前に一つの魔方陣が現れた。
幾何学模様のそれを見て、フィナンは嘆息をつくしかない。
フィナンは、昔から魔法が苦手だった。
魔法の勉強はずっとやってきたため、知識はあった。
それらを使い、魔方陣の解読を行っていく。
(魂を封じ込める、魔法……ってところかしらね?)
解読したフィナンだったが、結局魔法を解除するための才能がなかった。
フィナンはため息をつき、その魔法の解除を始める。
外部から魔法に干渉してくれることを祈りながら。
フィナンが魔法の解除を行ってから、三年が経過した。
完全な解析を終えたフィナンは、ようやく魔法を解除してみせた。
ぱちん、とフィナンは目を覚ました。
フィナンが目覚めた場所は彼女の部屋だ。衣服はシンルとのデートの際に着ていたものと同じだ。
フィナンは確かめるように体を動かしていると、部屋に入ってきたメイドと目が合った。
「……おはよう。私、どのくらい寝てたのかしら?」
「ふぃ、ふぃふぃふぃなんさま!?」
「ええ、フィナンよ……それで私は……ちょー」
メイドは聞かれた質問に答える前に、部屋を飛び出し、当主の名前を叫んでいた。
その喜びようから、眠りについていたのが一日二日ではないことを理解したフィナンは、嘆息をつきながら体を起こす。
(……筋肉も何もあのときのままね。時間停止の魔法でもかけたのかしら?)
フィナンが体の状態を確かめながら、そんな予想をしていたときだった。
左腕の違和感に気づいた。
視線を向けたフィナンは、包帯の巻かれたその左腕を見て、首を傾げる。
そして、包帯を剥がした瞬間、息をのんだ。
(魔物の、腕……っ)
それはまるで、スケルトンのような骨しかない腕だった。
筋肉の類はまったくなかったにも関わらず、その腕は問題なく動いた。
見た目が変化していること以外は、何も違和感がなく、それがまた言いようのない気持ち悪さがあった。
フィナンがよろよろとベッドに座ったところで、フィナンの父が部屋に入ってきた。
「フィナン! よかった目を覚まし――その腕は……」
父が視線を向けたのはフィナンの腕だった。
そして、露骨に拒絶するような目を向けた。
「……魔法が解けたというのに、その化け物の腕は、そのまま、か!」
「父さん……これは一体――」
「……近づくな、化け物ッ! 貴様のせいで、我が侯爵家は……っ、公爵家との交流の機会を失ったんだぞ!」
父の言葉に、フィナンは絶句した。
「ちょっと、状況がわからないのよ。一体何がどうなって――シンル様は? 私の腕は? ……あれから、どれだけの時間が経ったの? すべて、教えてくれない?」
父は顔を顰めながら、視線を隣にいた使用人に向ける。
父は、去るようにその場から離れ、フィナンは使用人と向き合った。
「……あれから――」
使用人の語りだした言葉に、フィナンは口をつぐむしかなかった。
フィナンが眠っていたのは三年間だった。
シンルを刺客から身をていして守ったことは高く評価されたが、その際に受けた攻撃によって、フィナンの左腕は骨だけになってしまった。
それを見たシンルもまた、父と同じように嫌悪感を示し、婚約は破棄された。
今ではもうシンルは別の女性と結婚し、先日ちょうど、子どもが生まれたのだった。
すべてを聞き終えてすぐ、フィナンは左腕に包帯を巻きつけ、父に呼び出された。
父の話を聞いたフィナンはそれらすべてに頷き、荷物をまとめて家を出る。
(所詮、侯爵家にとって、私は……道具でしかないってことね)
フィナンを生かして面倒を見ていたのは、フィナンの魔法が解除され、腕も元に戻ることを期待したからこそだった。
それでせめて、シンルの愛人にでもできれば――それが父の目論見だったそうだ。
すべてを聞いたフィナンは、必要ないといわれ、家を追放された。
最低限の金を得たフィナンは、包帯の巻かれた左腕に視線を向けてから、動かす。
魔方陣を空中に描き左手をそちらに当てる。瞬間、一つの魔法が浮かび上がった。
(……やっぱり、この左腕、魔法を作ることができるわね)
それはフィナンが持っていなかった才能だった。この世界で魔法を使える人間は二割程度……。
すべての立場を失ってまで手に入れるほどの価値ある腕かと問われれば首を横に振るが、それでもフィナンに、別の生き方を示すには十分だった
(……私は一人で自由に生きさせてもらうわ)
色々なものに怒りがあったフィナンは頬を一度叩き、口元を緩める。
(他国に行って、有名な冒険者になる――)
それが、フィナンなりに考えた彼らへの復讐のようなもの。
(私が、世界最強になって私に別の価値をつけるのよ。それで、戻ってきてほしがられるくらいになってみせる!)
フィナンは一度拳を固め、国を出るための船に乗りこんだ。
船の縁に体重を預けるようにして、出港の様子をぼんやりと眺めていたフィナンは、海に映る自分の顔に驚いた。
あまりにも酷い顔を見たくなかったフィナンは、そっと手すりに顔を埋めた。
そうして、しばらくしていたときだった。
「……フィナン?」
男性の声に、フィナンは顔をあげた。
そちらには、冒険者然とした一人の男性がいた。
歳はフィナンより十は上になる。かつて、フィナンに剣を教えた家庭教師であり、普段は冒険者として仕事をしているレイルだ。
フィナンが昔、好きだった先生でもあった。
「あ、あれ先生?」
「先生はやめてくれ。……久しぶりだな、フィナン」
「はい」
フィナンは僅かに浮かんでいた涙をそっと拭った。
「……どうしたんだ? こんなところで……それに一人、か? 侯爵家の令嬢が一人でいたら――」
「いやぁ、その。私、家を追放されてしまったんです」
「……追放? それはまた、一体どうしてだ?」
「えーとまあ、色々ありまして。私に価値がなくなってしまったからなんですけど……あはは」
できる限り暗くならいように、事情を伝えた。
レイルは顔を少しだけ強張らせたあと、とんとフィナンの頭を叩いた。
「大変だったんだな」
「……先生」
「冒険者、始めるんだったか?」
「……はい」
「嫌じゃなかったら、俺が色々教えようか? これでも、一応経験だけは豊富な冒険者だからな」
「……いいんですか? 私、こんな腕ですけど」
「どんな腕でも、フィナンはフィナンだ。俺の弟子、それだけだ」
レイルはあまり笑顔は得意じゃなく、今も不器用な笑みを浮かべていた。
フィナンは、これまで我慢してきた心が、せき止めていた感情が、あふれ出してしまった。
思いきり泣いたフィナンは、それから涙をぬぐって、レイルに頭を下げる。
「先生……またしばらく、お願いします」
「……先生はやめてくれ」
ポリポリとレイルは恥ずかしそうに頬をかいた。
そんな彼を見て、フィナンは笑う。
(家を追放された今なら、自由に恋愛だって、できるのよね。何に縛られることもなく……私は誰でも好きになれるんだ)
自分の幸せを見つけ、世界で一番だって言えるように――。
これからを生きようと、フィナンは強く、決意した。