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九条院家の存亡  作者: 天川一三
2019年前編
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39/80

揺れ動く記憶

 ビルを出ると、外はすっかり薄暗くなっていた。

 僕は三階の窓を見上げた。

 その窓には明かりが灯っている。


 出かけると言ってたけど、まだ長瀬さんはいるんだな。

 あれは僕らを追い出すための、嘘だったのかもしれない……。

 あの部屋で僕が見たヘルメットと腕時計型の装置……。

 シグマと長瀬さんは関係があるのは間違いない。


 九条院さんと五両君は通りを渡るため、少し離れた歩道の縁石の辺りで車が途切れるのを待っている。

 緊張がとけたせいか、五両君はさかんに九条院さんに話しかけているようだ。


 僕はビルから離れ、彼らに駆け寄ろうとした。

 その瞬間、空が崩れ落ちるような轟音がした。


 重低音に襲われ、耳が奥底から震える。

 たまらず耳を手で押さえ前を見ると、九条院さんたちも顔をしかめ耳を両手で押さえていた。

 通りを走る車も、次々と減速し、路肩に停まり始めた。

 異常を感じているのは僕らだけではないようだ。


 重い音は一向にやまず、僕はその場にうずくまり、空を見上げた。

 晴れていたはずの空には暗い雲が渦巻いている。

 その空が光った──。


 何筋もの稲妻が、歩道の並木に直撃した。

 僕は慌てて両手で頭を隠し、丸く小さくなった。


 しばらくして、ようやく音が鳴りやんだので、顔を上げた。

 そこに僕が見たのはありえない光景だった。


 通りの真ん中に楕円形の物体が浮いていた。

 漆黒で自動車ほどの大きさの謎の物体。

 それが、灰色のもやをまとい、うなりを上げている。


「これって……? UFO?」


 よく見ると、その物体のボディには『2』と白く数字が書かれていた。

 その文字がすっと横に動き、サングラスの黒服の男が見えた。

 その男はなにか手にしていた。


 なんだろう? と思い、立ち上がり目を凝らす。

 その時、体に強い衝撃が走り、僕は横殴りに飛ばされた。

 直後、パンと乾いた音が鳴り響いた。


 歩道にうつ伏せに倒された僕は、状況がわからず、顔だけ上げた。

 その顔を誰かに押さえつけられる。


「お嬢様、伏せて!」の声と同時にまた乾いた音が鳴り響いた。

 僕の上にいる誰かが動き、鼓膜が破れそうな大きな音が何発かした。

 わけがわからない展開に、僕は必死に頭をかばう。

 歯が土を噛んだが、今はそれどころではない。

 強く目を閉じていたら、またさっきの重低音が耳を襲った。


「いったい、なにが起きてるの!」

 僕は耳を両手でふさぎながら、思わず叫んだ。


 倒れたまま、しばらくそのままじっとしていたら、音がやんだ。

 両手を耳から離し、様子を見ようと少し顔を上げたら、なにか生暖かい物が僕の手に落ちてきた。

 なんだろうと思い、手を見ると、その手は真っ赤に染まっていた。

 怪我をしたのかと慌てたが、まったく痛くない。


「くっ!」と男のうめき声がした。

 見上げると、そのサングラスの男が僕を見た。

「……よかった。ご無事のようですね」と苦しげにつぶやくと、肩を押さえながら、ぎこちなく向こうへ走っていった。


 通りを見ると、あの物体の姿はもうなかった。

 スマホを掲げた通行人が何人か、通りの脇に並んでいる。

 おそらく写真を撮っていたのだろう。

 僕が見たのは幻じゃなさそうだ……。


 寝そべったままでいたら、九条院さんが駆け寄ってきた。

「日比野さん、大丈夫……? あっ、血が出てるじゃないか! 痛むかい?」

 僕は手をつき立ち上がろうとしたが、右肩に激痛が走り、また倒れこんだ。

「じっとしてて、救急車を呼ぶから」

 九条院さんが携帯を取り出す。

 五両君も来たみたいで、大騒ぎを始めた。

「俺たち、撃たれたよな! 木の陰に隠れなきゃヤバかったぜ! しかし、何なんだ、あれは?」


 僕は九条院さんの足首をつかみ、

「怪我はしてません。救急車は呼ばなくて大丈夫です」と訴える。

「だって、血が出てるよ、君」

「いえ、これは僕のじゃありません」

「じゃあ、誰の……?」

「僕をかばってくれた人がいたんです。その人が撃たれたようで……、その人の血です」

「誰だろう?」

 九条院さんは、体を回して周囲を見回した。

「走っていきましたから、もういないと思います」

「どっちに?」

「あっちです」と指さす。

 九条院さんはしばらくその方角を見ていたが、

「もういないか……」とつぶやくと、しゃがみ込み、僕を抱え起こした。


「じゃあ、怪我はないんだね?」

「はい。でも、また肩を痛めたみたいです……」

「そうか、僕が支えるから無理をしないで」

 九条院さんに寄りかかるようにしていると、五両君が僕を見て、

「お前、血が出てるぜ! 撃たれたのかよ」とわめいた。

 僕はそれを否定し、笑った。

 五両君は興奮が抜けきらないのか、「ほんと、ヤベー、ヤベーよ。何なんだ、いったい」と同じことを何度も叫び続けた。


 それから、三人は喫茶店に戻った。

 騒動に飛び出ていた凪沙さんが、血まみれの僕の手を見て血相を変えた。

 僕が事情を説明すると、「とにかく今日はすぐ家に戻りなさい」とだけ言い、平太を呼んだ。


「さっきの騒ぎはなんだったんだ?」

 出てきた平太が、僕の手についた血をタオルで拭きながら訊く。

「僕にもよくわからないけど、UFOを見たよ」

 仁科家のみんなが心配するといけないので、銃撃のことは黙っていた。

「なんだって!? UFO! マジで?」

 平太が空を見上げたが、そこには夜空があるだけだった。


 九条院さんは動揺している五両君を送ってから帰ると言い残し、店を出ていった。

 僕は謎の物体が現れた通りを、もう一度見た。

 一台のパトカーがサイレンを鳴らし、駆けつけてきた。

 UFOのことは信じてもらえないだろうが、銃撃のこともあるし、これから現場検証だろう。

 僕も目撃者の一人だが、野次馬も大勢見ていたので、関わらないで家に帰ることにした。


 ◇◆◇


 そんなわけで今、僕は仁科家のマンションにいる。

 凪沙さんから言われ、僕のボディガードとして平太も一緒に帰ってきた。

 平太は思いがけず早く帰れたので、少しご機嫌だ。

 僕はといえば、さっきの出来事で頭が混乱している。


 それでもわかるのは、僕の命を狙っている人間がいる、ということだ。

 歩道橋の事故はイタズラでも偶然でもなかったのだ。


 あのUFOみたいな物体が、シグマの言ってたマシンなのだろう。

 宙に浮くくらいだ。すごいスピードで走れるのだろう。

 シグマは僕の味方のようなことを話してたが、今となっては怪しいものだ。


 僕ら三人が集まった時に、全員を抹殺する。

 そのタイミングを見計らったのが、弁護士の長瀬さんだ。

 僕らが事務所を出た後に、腕時計型の装置で仲間に連絡したのだ。

 これなら、全て説明がつく。


 ひとり部屋に引き込もり、ひっそりと落ちこんだ。

 風呂場からは、平太の調子っぱずれの鼻歌が聞こえてくる。

 その陽気な声も、今の僕には慰めにはならない。

 あんなマシンがあるんじゃ、家にいても安心してられない。

 いつどこから銃で撃たれるかわからない。


 悶々としていたら、電話が鳴った。

 平太はまだ風呂のようなので、僕はキッチンに行き、受話器を取った。


「仁科さんのお宅でしょうか?」

 聞き覚えのある声だった。


「もしもし、九条院さん?」

「ああ、あなた、無事に帰ったのね。肩はまだ痛む?」

「いえ、無理をしなければ大丈夫です。まあ、数日くらい前の具合に戻っただけです」

「そう、気をつけてね……」

 九条院さんのしゃべり方は、この間の電話と同じだった。

 つまり、いつもの九条院さんとはちょっと違う。


「あなた、カオルよね?」

「もちろん、そうですけど」

「ねえ、今日の出来事でなにか思い出した?」

「いえ、相変わらずです」

「そうなの……。困ったものね」


「ところで五両君はどうしました?」

「ああ、あいつはギャーギャー騒いでたけど、施設に着いたらやっとおとなしくなったわ」


 んー、今日もオカマ言葉炸裂だよ、九条院さん。


「それで今、家に帰る途中で携帯からなんだけど、さっき記憶が戻ったのよ」

「えっ! 九条院さん、記憶が戻ったんですか?」

「そうなの、突然。きっと、さっきの騒ぎが引き金になったんだわ」


 九条院さんの記憶が戻ったと聞き、僕は舞い上がった。

 これで、僕の身元も過去もやっとわかるよ!


「それで、九条院さん! 九条院さんは本当は誰なんですか?」

「私? 私は九条院麗よ」

「じゃあ、名前は本物だったんですね。じゃあ、僕の名前も……」

「字は少し違うけどね。あなたの名前もね」

「えっ? 僕の名前って字が違ってるんですか?」

「そう……、そう……だけど、……うっ、頭が痛い……」

「どうしました? 九条院さん!」

「私と……、あなた……は、この時代の……、人間じゃ…………」

「もしもし、九条院さん?」

「…………」


 受話器から聞こえてくるのは、鳴り続ける発信音のみ。

 通話は切れてしまった。

 着信履歴からリダイヤルしてみたが、九条院さんは出なかった。

 受話器を置き、しばらく待ってみたが、もう電話は鳴らなかった。


 九条院さん、苦しそうだったけど、大丈夫かな……。


 すぐにでも駆けつけたい気持ちだったが、五両君のいる施設を僕は知らない。

 それに僕がいなくなると、また仁科家に心配をかけるし……。


 九条院さんを思い、リビングの窓に手をつき、外を眺めた。

 夜の街は何事もなかったように、いつものようにきらめいていた。


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