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九条院家の存亡  作者: 天川一三
2019年前編
21/80

米良さんと葵先生

 翌朝。

 起きて、窓を開けてみると、まずまずの天気。

 今日は平穏に一日を過ごしたいところだ。


 昨日は二人の転入生との初対面があった。

 一人はおとなしそうな顔だがキレやすく、もう一人は僕が何故か苦手な顔をしていた。

 どっちの顔も、どういうわけか、僕の心に引っかかるモノがある。

 二人とも初対面のはずなのに、どうしてだろう?


 うーん……。


 布団の上で腕組みしたが、なにも思いつかないので、すぐにあきらめた。

 悶々とした気分を切り替えようと、大きく深呼吸し、朝の香りを堪能。

 それから、パジャマ代わりのジャージのまま廊下に出た。

 この格好、凪沙さんは女の子なのに色気がないと叱るが、僕は楽だから好きなのだ。


 洗面に行くと、同じくジャージ姿の平太が肩や腕を変な泳ぎをするように、左右交互にぐるぐる動かしている。


「どうしたの?」

「いやさ、昨日のせいで、あちこちが筋肉痛」

「五両君への教育的指導ってやつ?」

「そうそう」

「平太がそんなじゃ、よっぽどのことだったんだね……」

「やっぱり、お前の言うように野球部に入って、鍛え直したほうがいいかなあ? 高校に入って体がなまっちゃってるよ」


 平太は中学の時は野球部だったらしい。

 レギュラーで四番だったが、高校に入ってからは店を手伝うため、野球は自分から辞めてしまったのだ。


「そうしたら? 店のほうは僕が頑張るから」

「いや、そういうわけにはいかないさ。お前こそ、部活かなんかやれよな」と僕を見てから、歯ブラシをくわえた。



 仁科家揃っての朝食。

 朝は凪沙さんと僕で食事の用意をして、平吉さんは経済新聞を読んでいる。

 沙弥ちゃんはまだ眠いのか、椅子の上でうつらうつらしている。

 平太はといえば、いつものようにテレビのスポーツニュースを眺めている。


 テーブルに料理が揃ったのを見計らい、平吉さんが新聞をたたむ。

「母さん、不景気なんだね。どの銀行も決算が悪そうだし、次の株主総会はどこも大変だろう」

「嫌だわ。商工会の会長さんも、今年は厳しくなるだろうって言ってたし」

 凪沙さんは腰を下ろすと、ため息をついた。


「うちみたいな客商売は直接響くからなあ」と平太がぼやきながら、トーストにジャムを塗る。

「ああ、やだやだ。朝からこんな暗い話はやめましょう」と凪沙さんは自分に渇を入れるように背筋を伸ばした。


「香ちゃん、そういえばさ」と平吉さん。

「なんですか?」

「昨日、店先で高校生くらいの男子と話してたよね。あれ、誰?」


 その言葉に平太が一瞬固まったが、すぐに知らん顔でトーストをかじり始めた。

「今度うちの高校に転入してくる男子みたいです。九条院さんとか言ってたかな」

「九条院……。珍しい名前だな。九条院銀行と関係あるのかな?」

 平吉さんはおっとりと顎ひげをひと撫でした。

 それから、いたずらっぽい目で平太を見てにやりと笑う。


「背が高くてなかなかの好青年だったね。平太もうかうかしてると、香ちゃんを取られるぞ」

「あら! それは大変」と思い出したように凪沙さんが間の手を入れ、横目でうれしそうに平太を見た。

「お兄ぃ、大変なん?」と寝ぼけまなこの沙弥ちゃんが追い討ち。

 平太はふて腐れてそっぽを向き、テレビのCMを眺めている。

 こういうやり取りが苦手な僕は、黙々と山羊のようにサラダをかじるのだった。


 仁科家のマンションを出て、いつもの通学路を平太と学校へ向かっていたら──。

 また、あいつがいた。

 五両君だ。

 だが、前を歩いている五両君はなんだか様子がおかしい。

 歩き方がぎこちなく、どこか壊れた人形みたいだ。


 あっという間に僕らに追いつかれた彼は僕を見た。

 だが、昨日のようなギラギラした表情は見せなかった、というより元気がない。


「敦さ、お前も節々が痛いんだろ」と平太が声をかける。

 さすが、男の子同士。

 もう名前で呼んでるのか、と僕は感心した。


「はい、平太さん」と力なく答える五両君。

 あれ? 平太のほうは『さん』づけなの?


「お互い辛いよな。じゃあ、また学校でな」

 平太は五両君の背中を平手で思い切り叩いた。五両君は歩道の上でつんのめってよろけた。

 いずれにしても、あの彼が一日でおとなしくなってしまうとは、平太の教育的指導は効果てきめんだったようだ。


 ◇◆◇


 今日は朝方願ったように平穏に何事もなく、放課後を迎えた。

 久々に授業にも集中できたような気がする。

 なんとも小市民的な穏やかな一日だった。

 今日は店の手伝いは休みの日だ。

 凪沙さんの知り合いが、たまに手伝いに来てくれるのだ。


 僕は平太に、部活の申込用紙を先生からもらってこい、と言われた。

 僕がどこかに失くしちゃったからだ。

 部活やサークルはやる気はないのだが、平太があまりにしつこいので、もらうだけもらうことにしたのだ。


「平太は先に帰っててよ。職員室に行ってくるから」

「俺、敦のことが気になってさ。あいつと一緒に帰るわ」と平太は五両君を見た。

 指導しすぎたのを、彼なりに気にしているようだ。


 五両君、一日中、うつむいたままだったし。

 平太ってやっぱりやさしいんだ、と彼を見直した。


 平太と廊下で別れ、職員室に向かう。

 廊下ですれ違う生徒が時々、僕のことをじっと見ている気がする。


 日比野サボルの噂が色々と広まっているせいだろう。

 僕は気付かないフリをする。


 噂なんて気にしない、気にしない。


 そんなことを考えていたら、よく見かける顔の男子が歩いてきた。

 きれいな足取りで、廊下の真ん中をまっすぐ歩いている。

 文庫本を読みながら。

 テラスで必ずモカを注文する読書少年だ。

 本を読みながらでも、器用に人をよけ、しかも姿勢は崩さず歩くテンポも乱れることがない。

 いつもなら、このまま何事もなくすれ違うのだが、今日は気まぐれが起きた。


 向かってくる彼に近寄り、

「あ、あの……」と声をかけてみた。

 遠慮がちで中途半端な呼びかけになっちゃったけど、彼は気付いてくれたようだ。

 本から視線をはずし、僕をちらりと見て立ち止まり、彼は言った。


「モカ」


 そう言ったきりで、その視線は僕に向いておらず、既に読書に専念している。

 先ほどとの違いといえば、立ち止まっていることくらいだろう。

 もしかしたら、僕が声をかけたせいで、いつもの喫茶店にいる、と勘違いしているんじゃないだろうか?


 僕はちょっと手を上に伸ばし、彼の肩を叩いてみた。

 すれ違う女子から変な目で見られつつ、数度同じことを繰り返すと、やっと彼の表情が変わり、僕を見た。


「あっ、君は確か──?」

 そこで言い淀む、彼。

 僕から目をそらし、「モカ娘だよな。何故、モカ娘がここに……?」とささやくようにつぶやく。


 僕は、彼の中ではモカ娘らしい。

 なんだ、そりゃ?

 モカを注文してるのはあんたでしょう、と呆れたが──。


 まあ、正しい名前を教えればいいか、と思い直し、

「よくうちの店に来ますよね」と微笑んでみる。

「う、うん……」

 彼はそう答え、照れたのか目を伏せた。

 店では始終同じ顔なので、初めて見る表情だった。


「僕は日比野香っていいます」

「あ、ああ、ひびのかおるさんね」と開いた本のページを指でなぞる彼。

 僕の名前をカタカナか平仮名で書いているようだ。

 彼にとっては、言葉より文字のほうが頭に入るのだろう。

 僕が男言葉なのは、まったく気にしてないようだ。


「あなたは?」とたずねると、自分のことじゃないとでも思ったのか、彼は左右を見て、誰もいないのを確認してから、「えっ? 僕?」と驚いたように言った。

 僕は無言でそれにうなずく。

霧原遼一きりはらりょういち」とぶっきらぼうに答える彼。

 彼の目は開いた本に向いており、一秒でも早く読書を再開したい、という空気を漂わせている。

 なんだか、お邪魔みたいなので、

「じゃあ、またお店に来てくださいね」と言って彼と別れる。

 霧原君はなにも言わず、片手をひらひらと振り、歩いていった。


 ◇◆◇


 職員室、葵先生が席にいた。


「先生、部活の申込用紙を失くしたので、もう一枚ください」と要求する僕。

 ふわふわした髪の先生は、僕を座ったまま見上げ、

「バッ〜ド・ガ〜〜ル!」と大げさに首を振りながら、うなった。

 それから、ひきだしから用紙を一枚取り出すと、僕の前でヒラヒラと振った。

「ヘイ、バッ〜ド・ガール! ユー・リアリー・ワント・ディス・ペイパ〜?」


 うざいな〜、またかよ。日本語しゃべれよ。

 と思ったが、とっとと帰りたいので即答する。


「イエッサー、ミスアオイ!」


「はい、日比野さん。今度は失くさないでね」

「あれれ……? ありがとうございます」

 あっさりと申込用紙を渡してくれた。


「じゃあ、また明日ね。日比野さん」

 ちんまりと可愛く手を振る先生。

 その姿を見て、僕は思った。


 もしかして……、簡単な英語しかしゃべれないんじゃないかな?

 どうでもいいけど、今日はお店の手伝いもないから、さっさと家に帰ろう。


 職員室を出てすぐ、今度は見覚えのある女子生徒に出くわした。


「ありゃ? 君はこの間の立たされ坊主じゃん! 今度は職員室に呼び出し食らったの?」


 ショートカットのその背の高い女子は、えーと、米良さんだっけ?


「呼び出しじゃないです。これ、もらいに来ただけです」

 僕は手にした紙を彼女に見せつけた。


「やや! それは部活の申込用紙じゃん!」

 米良さんは興味津々の目で紙を見ると、僕にすり寄ってきた。

「ねえ、君、可愛いからさ、演劇部に入らない?」


 渋谷辺りにいる、どこぞの事務所のスカウトマンですか、あんたは?

 バックステップで距離をとり、「いえ、入りませんよ」と速攻で拒否る僕。


「そう言わずに、そこを曲げてさあ。演劇部、楽しいよ〜」

 今度は肩に手をかけてきた。なれなれしい人だなあ……。

 体をよじってたら、後ろで職員室の戸が開いた。


「やっぱ、米良か。お前、声大きいんだよ。うるさいからどっか行け!」

 いつもの指示棒を手にした葵先生が激怒していた。

 顔は怒ってるが、声が愛らしいのでイマイチ迫力がないけど。


「君、とりあえず新歓祭には演劇部ブースに来てよね!」と言い残し、米良さんは飛ぶように逃げていった。


「ちっ、また逃げたか……」

 先生は眉間にしわを寄せ、舌打ちした。


「どっか行け、って言ったの先生じゃん」と小声で突っ込みつつ、


 いったい、二人に過去なにがあったんだろう……?

 と思いを馳せる僕であった。


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