Day4:九条院総研
一夜明けた。
今朝は学校に行ったフリをして、今どこにいるかといえば、麗ちゃんの家の応接間だ。
今日は、九条院総研という所に彼女と行くのだ。
そこにあるタイムマシンについてはいまだに半信半疑というか、正直言うと、そんなモノが実在するなんて信じることができない。
昨日は麗ちゃんの元気を取り戻すために、話を合わせたけどね。
まあ、研究所で研究中なのは事実かもしれないけど、麗ちゃんには悪いけど、実用できるなんてことはないと思う。
きっと、そこのところを彼女は勘違いか、聞き間違えをしたのだろう。
そうそう、昨晩はようやく、わが家に帰った。
よく考えると、一昨日の昼休みに学校を出てから家には何の連絡も入れずに外出したままになる。
幸い、冴島さんが僕の家に電話してくれてたので、面倒な説明はしなくてすんだが、母にはこっぴどく叱られてしまった。
小学生の妹からは寝るまで、不良、不良と茶化されまくりで、かなり鬱陶しかった。
まあ、麗ちゃんと一緒だった、ということで父には大目に見てもらえたが、こりゃ、来月の小遣いはそれなりに減額されるに違いない……。
そんなことを考えながら、応接間を見回すと、先日の捜査の名残か、空の段ボールや書類の入ったバインダーがテーブルの上に散らばっている。
すっかり荒れてしまったテーブルを横目に、部屋の奥へと進む。
応接間の調度品は、私財を売り払ったせいか、僕が幼稚舎の時に初めてこの部屋を目にした時に比べると、かなり少なくなっているというか、ほとんど残っていない。
背の高い柱時計も、アールヌーボの美しい造形の電灯も、壁に掛かっていた何枚かの大きな風景画もすっかりなくなってしまっている。
ただ一つ、小さなガラス造りの電灯だけが、マントルピースの中央に大事そうにまだ飾られている。
僕はその前に立ち、そのスイッチを入れてみたが、電球が切れているようで明かりは灯らなかった。
と、後ろで人の気配がしたので、振り返った。
麗ちゃんだった。
今日の彼女はジーンズにトレーナーとラフな格好だったが、唇にはあのフロスティピンクの口紅がしっかり塗られていた。
麗ちゃんは横に立ち、僕が見ていた電灯の傘をいとおしそうにやさしく撫でた。
「これね。故障しちゃったみたいなの。修理しなきゃと思ってたんだけど」
「これって、昔からここにあったよね」
「そうよ。私はこの電灯には大切な想い出があるの」
「だから、処分しないで残してるんだ」
家族との想い出なんだろうと考え、またその電灯を眺めた。
くすんだ赤と白のガラスがモザイク模様に並んだ、きのこのような傘。
きっと、電気が点くときれいなんだろう。
「まあ、それは売っても大した値段にならないし……」
麗ちゃんがちょっと淋しげな目で、電灯を見つめた。
それから、思い直したように、僕を見ると、
「さあ、行きましょう! いよいよ、正念場よ!」と拳をかざした。
「う、うん……」
僕はそれに曖昧にうなずいた。
タイムマシンなんて存在しなかったら、麗ちゃんはどうするんだろう? と思いつつ。
「さあ、急いで!」
麗ちゃんが僕の手を引き、僕らは応接間を出た。
◇◆◇
冴島さんの車で九条院総研に向かった。
都心部にあるのかと思っていたら、車はどんどん郊外へと進んでいった。
のどかなよい天気で、ドライブ日和だ。
けど、その天気とは裏腹に、都心部と同様に郊外も不景気な日本経済が影を落としている。
閉鎖された工場。
草が生え放題の広大な空き地。
空き部屋の目立つマンション。
ゴーストタウンと化した団地。
都心部とはまた違った光景が窓の外を流れていく。
もし、麗ちゃんが過去に行けるとしたら、今見てるこの景色を変えることができるのだろうか?
彼女が言う明るい未来、それをタイムマシンで手に入れることができれば、どんなに素晴らしいかわからない。
本当にそれができるならば……。
ひとり物思いにふけっていたら、突然車が加速した。
後ろの座席にいた僕と麗ちゃんは思い切り揺さぶられ、体がぶつかった。
「冴島! どうしたの?」
麗ちゃんが運転手を問いただす。
「すみません。先ほどから尾けられているようです」
「えっ? 尾けられてる?」
僕と麗ちゃんは後ろを見た。
二台の黒いSUV車が距離を置いて、走って来る。
「遠回りになりますが、そこの角を曲がります」
冴島さんはウインカーも出さずに車を急左折させた。
僕と麗ちゃんは、遠心力で今度は大きく体をドア側に振られた。
二台のSUV車もタイヤを軋ませ、曲がってきた。
「やっぱり、追ってくるよ、冴島さん!」
「当分、荒っぽい運転になりますので、お二人とも気をつけて!」
冴島さんの言った通り、車は猛スピードで無作為に何度も角を曲がった。
交通量が少ないのがせめてもの救いだったが、もうどこを走ってるのかわからない。
片方のSUV車は脱落したようで、追ってくるのは一台だけになった。
長い直線道路になった時、SUV車の窓から黒服にサングラスの男が身を乗り出し、拳銃をこっちに向けてきた。
「冴島さん、銃だよ! 銃持ってるよ、あいつら!」
僕の言葉に麗ちゃんは頭を抱えて、シートの下に身を隠した。
「郁! 見てないで、あなたも隠れなさい、早く!」
僕が身を隠すのと同時に、車の後方でなにかがぶつかる鈍い音が何度か聞こえた。
「撃ってきたよ! 撃ってきたんだ!」
「二人とも、急停止します!」
冴島さんの声がしたと思ったら、急ブレーキで頭を前のシートにぶつけた。
「麗ちゃん! 大丈夫?」
横を向くと、麗ちゃんはシート下で団子のように丸くなってうずくまっていた。
そういえば、彼女はジェットコースターとか絶叫系マシンは昔から苦手だったのを思い出した。
車は反転して走り出すのかと思ったが、停止したままで動かない。
恐る恐る、シート下から頭を出し、冴島さんに後ろから訊く。
「どうして逃げないの?」
「いえ、こっちが停まったら、あの車は追い越したまま走り去ってしまいましたので」
「どういうこと、冴島?」
麗ちゃんはおっかなびっくりの様子で、頭を上げた。
「意図は不明ですが、警告でしょうかね?」
「警告って、何の?」
「お嬢様、そこまでは私にもわかりかねます……。それより二人ともお怪我はありませんか?」
しばらく、そのまま道の端に寄せて停車していたが、SUV車は戻ってくることはなかった。
「いったいなんだったんだろう?」
「やはり、九条院家をつぶそうとする奴らがいるんだわ。郁、こんなことに巻きこんでごめんね」
「僕のことより麗ちゃんのほうが心配だよ。九条院家が狙われてるんだったら」
「とにかく、急ぎましょう。タイムマシンに乗りさえすれば、問題は全て解決できるわ」
僕らの車は再び九条院総研へと走り始めた。
そのあと、何事もなく、目に映る光景に緑が目立ち始めたころ、車は道を逸れ、高い塀に囲まれた敷地の前で停まった。
ゲート横の警備室で手続きをすると、そのゲートが開いた。
正面には、ロータリーの向こう、窓の少ないサイコロのような立方体の建物があった。
五階建てくらいだろうか?
車はロータリーを回り込み、正面玄関で僕らは車を降りた。
「郁、着いたわよ。いよいよタイムマシンに乗り込む時よ。覚悟はいい?」
「う、うん……」
麗ちゃんの問いに、僕は曖昧に返事をした。
実は覚悟なんてなくて、いまだに半信半疑だし……。
そんな僕の気持ちなどお構いなしに、彼女はさっさとエントランスにある受付に寄ると、既に話がついているようで、すぐに所長が出てきた。
白髪交じりの頭のいかにも研究者といった風貌の初老の男性だった。
「これはこれは。ようこそ、九条院のお嬢様」
所長がうやうやしく頭を下げた。
「挨拶はいいから、あれの用意はできてる? すぐに使います」
その言葉に所長がなにかを両手で止めるような仕草で、
「いえ、まず説明を聞いていただかないことには」と少々焦り気味の表情で言った。
「説明なら聞きますから、案内して」
麗ちゃんはそんな所長の様子は気に留めず、研究所に入ろうとした。
所長が慌てて、それを引き止める。
「いえ、お嬢様、あれならこっちです」
所長が正面玄関の横のほうへと僕らを手招きした。
研究所を壁沿いにぐるりと回り、裏手へ出ると先の建物に隠れる形で、小さなやはりサイコロ型の建物があった。それは二階建くらいの小さな建物だった。
「あそこなの?」
麗ちゃんが訝しげな目で建物をにらんだ。
「ええ、機密事項なので別棟で開発しているのです」と所長は手もみをし、
「実はまだ、動物実験の最中でして、人体にどういう風な影響があるかは、皆目見当がついておりません。その辺については、責任者より説明をさせますが」と歯切れの悪いしゃべりでまくしたてた。
えっ? タイムマシンが本当にあるの!
驚いた途端、嫌な汗が体から噴き出てきた。
麗ちゃんはといえば、
「そんなことは覚悟の上です。もう時間がないのです。動けばかまいません」
ええー! そんな……、麗ちゃん。それじゃ、僕らは実験動物じゃん!
なんだか胃がきりきりと痛んできた……。
まさか、本当にタイムマシンがあるなんて思ってなかったし……。
僕のそんな思いとは関係なく、どんどん麗ちゃんは歩いていき、ついにその建物に僕らは足を踏み入れた。
所長に小さな会議室に案内され、そこで座って待っていると、責任者らしき人物が入ってきた。
かなりの長身で大きな黒縁眼鏡をかけた、偏屈そうな白衣の男だった。
「特務開発責任者の柴久万と申します。お嬢様、お目にかかれて光栄のきわみです」
男は大げさに腰を折り、僕らに名刺を差し出した。
それから、柴久万は会議室の大画面モニターを点け、僕らを前に話し始めた。
「タイムマシン自体の開発は実用においては理論的には問題ないというのが我々の結論です。ただ、装置を稼働させた場合に副次的に発生する影響につきましては、まだ未知の段階です。そこで、お二人には、これまでの動物実験の経緯を先ずお見せいたしましょう」
回りくどい言い回しでしゃべると、柴久万はリモコンのスイッチを押した。
モニターに画像が映し出された。
その画面の中、ネズミが迷路をちょろちょろと走り回っている。
「これはタイムマシン実験前のネズミです。彼は学習で迷路のどこにエサがあるかを憶えています。ですが……」
画面が切り替わった。
先ほどは、迷いもなく一目散に走っていたネズミが、迷路の隅で右往左往している。
画面のネズミを指示棒でつつきながら柴久万は言った。
「ご覧の通り、実験後は記憶が失われたのか、エサのありかがわからないようです」
それを見て、麗ちゃんが手を挙げた。
柴久万がすかさず指示棒で彼女を指す。
「これはどのくらいの時間、ネズミはタイムリープしたのでしょう?」
その問いに柴久万はうれしそうに、にやりと笑ったように見えた。
「これは二秒ですね。二秒間、過去にネズミを跳ばしました」
「たった、二秒……」
麗ちゃんはそれだけ言うと、絶句した。
彼女が呆れるのも無理もない、タイムリープしたと言っても、たった二秒じゃ……。
僕は素朴な疑問を男にぶつける。
「でも、二秒過去にタイムリープしたとどうやって証明するの?」
「君、あまり賢くなさそうだね。ネズミと一緒に時計をタイムマシンに入れるんだよ。出てきたネズミの時計は現在より遅れてるわけだ」
くっ! 賢くなさそうって……、ひどいなあ!
タイムマシンのせいで時計が狂っちゃったんじゃないかと反論したかったが、またイヤミを言われそうなので、やめておいた。
柴久万は黙りこんでしまった僕らを見て、今度は喧嘩を止めるように両方の手の平を突き出し動かした。
「お二人ともご心配なく。ネズミはすぐに記憶を取り戻しました。それと、たった二秒とお考えでしょうが、それは必要とするエネルギーの関係で二秒にしたのであって、一年、二年と長い時間のタイムリープでもエネルギー充填さえクリアできれば、何の問題もありません。理論的には」
最後に取ってつけたような『理論的には』という言葉がすごく気になる……。
麗ちゃんを見ると、ここに来た時の勢いはすっかり削がれたようで、前髪をさかんにいじっている。
僕らの表情をぎょろりとした目で交互に確かめてから、柴久万はリモコンを押し、続きの説明を始めた。
「了解いただけましたか? では次は猿の実験です。今度は猿を五分過去に跳ばしました」
画面に檻で暴れている猿が映った瞬間、麗ちゃんが声をあげた。
「もういいわ。それで、例えば50年前でも人間のタイムリープは可能なのね?」
柴久万がその問いに、タイミングよくポンと手を打ち、僕らを指さした。
「もちろん可能です。理論的には」
なんだか調子のいい野郎だ。
デパートの実演販売のおっさんと大差がないように思えてきた……。
こんな人に僕らの命を預けて大丈夫なのだろうか?
僕は正直心配になったが、麗ちゃんは大真面目にまた質問をした。
「エネルギーの充填は問題ないのね?」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに柴久万が目を剥いた。
「もちろんですとも! この地下には核融合炉が設置されてますから!」
僕と麗ちゃんは、その言葉に驚き、顔を見合わせた。
どうやら、ここの地下にはとてつもない設備が隠されているようだ。




