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九条院家の存亡  作者: 天川一三
2068年編
11/80

Day3:社長室の対決

 京都を後にし、僕らは午後の東京行きリニアに乗った。

 麗ちゃんは今、窓際の席で手にした赤い携帯フォンを物憂げな目で眺めている。


「それにしてもどうして皇爵様とのアポイントが取れていなかったのかしら?」

「昨日の捜査で会社が混乱してたから、手違いがあったんじゃないかな?」

「秘書の七瀬ななせにもう一度確認しておけばよかったわ。まあ、どのみちヴィンタートゥール評議会の件で皇爵様とは会えなかったでしょうけどね」


 僕は駅弁を食べていた箸を止め、たずねる。

「ねえ、東京に帰ったらどうするの?」

「先ずは九条院の再建に取り組まなければいけないけど、ヴィンタートゥール評議会のことも気になるわ。あっ、そうだ!」

 麗ちゃんは携帯フォンを操作した。

 窓の外を目にも止まらぬ早さで流れていく風景が、瞬時にテレビ画面に切り替わった。

 リニアの窓にも省電力投影シートが採用されているのだ。


「どのチャンネルもヴィンタートゥール評議会のことでもちきりね。おかげで九条院の事件はどこも報道してないようだけど、不幸中の幸いといったところかしら……」


 あるニュース番組で、一人の白人男性が演説していた。

 スパイ映画の主演俳優のような精悍な顔つきの初老の男だった。

 投影シートは音が出ないが、和訳の字幕が添えられている。

 字幕を見てると、日銀の廃止、円の廃止、日本経済の占領とか、日本国民の神経を逆撫でしそうな、物騒な言葉が並んでいる。


「郁、この人がヴィンタートゥール評議会会長のジャン・トルシュ・ロトシールドよ」


 麗ちゃんは食い入るようにそれを見ていたが、しばらくして画面を切った。


「こけおどしみたいなことばかり言ってるわ。こんな番組を見てるより、九条院の再建を考えないと」

「それよりさ、麗ちゃんも食べなよ。丸一日くらい食べてないんだからさ」

 僕が彼女の前にある駅弁を箸で示すと、「そうね」と麗ちゃんはその包みをほどいた。

 それから、麗ちゃんはご飯を一つかみして最初の一口を食べようとしたが、箸を戻した。


「祖父がなくなり、父が入院した辺りから、おそらくなにかのたくらみが始まったんだわ」

「企みっていっても、一体、会社の誰がかな?」

「反九条院家の派閥で間違いないでしょうね。それが誰かは今は見当がつかないけど、必ず見つけてみせるわ!」


 麗ちゃんは、僕の目を見た。

 間近にある、彼女の淀みない目。

 その奥に強い意志を僕は感じた。


 そこで会話が途切れてしまい、彼女はシートに深く体を沈め、なにかを考えているようだった。

 しばらくすると、携帯フォンで話し始めた。

 察するに相手は冴島さんだろう。


 ◇◆◇


 リニアは予定どおりの時刻に東京駅に着いた。

 駅を出てほどなくして、冴島さんの車が迎えに来て、僕らはそれに乗った。


「麗ちゃん、これからどこへ?」

「本社よ」


 その言葉と同時に車が走り出す。

 麗ちゃんは腕時計を見ながら、

「冴島。宝谷専務は?」と訊いた。

「先ほど電話で話しましたように、ひとまず事情聴取が終わって、昨晩解放されたようです」

「それで、今は?」

「取締役会があって、それに出席されているようですね」

「よかった。みんな、今回の打開策を話し合ってくれてるのね」

 麗ちゃんは、一つため息をついた。


 華族街を横目に、内幸町の本社ビルが間近となったころ、麗ちゃんの携帯フォンが鳴った。

 麗ちゃんが相手を確認し、電話を耳にした。

「はい、麗ですが」

 しばらく麗ちゃんは黙って相手の話を聞いていたが、にわかにその表情が険しくなった。

 そして、彼女の甲高い声が車内に響いた。


「なんですって! 父が社長解任ですって!」


 えっ? 麗ちゃんのお父さんが解任! どうしてまたこんな時に?

 驚いて、麗ちゃんを見る。


 彼女は肩を大きく上下し、かなり興奮してるようだ。

「とにかく、もう本社に着くから、すぐに事情を説明しなさい!」

 電話を勢いよく切り、悔しそうに唇を噛みしめる麗ちゃん。

 なんだか事情を訊くに訊けない雰囲気で、僕は麗ちゃんが話してくれるのを待ったが、とうとう彼女が口を開くことはなかった。


 ◇◆◇


 本社に着き、エレベータに乗り、また昨日と同じ高層階へ。

 今回は宝谷専務がエレベータ前で待っていた。

「宝谷専務! どうしてこんなことに?」

 麗ちゃんが厳しい表情で専務につめ寄った。


 専務はいつもののんきそうな表情も消え失せ、昨日の事情聴取で疲れたせいもあるのか、少し青い顔をしていた。

「いえ、それが取締役会の三分の二の賛成で決まってしまったのです。出席者も改正新会社法の定足数に達してましたので、不本意ながら可決されてしまいました」


 麗ちゃんは専務を指さした。

「あなたは──、あなたは賛成したの!」


 専務は手の平を見せ、首を何度も振った。

「いえ、滅相もございません。私はもちろん反対しました。しかし、根回しされてたのか、他の取締役のほとんどが賛成しましたもので……、誠に申しわけありません」

 今度は何度も頭を下げる専務。


 麗ちゃんはまだ怒りが収まらない様子だったが、怒る相手は専務じゃないと悟ったのか、

「わかったわ。それで、新社長は誰に? そいつが今回の犯人ね」と言い放った。


 専務が恐縮しきった表情で答えた。

新井あらい副社長です」

「造反者は新井副社長だったのね! いいわ。彼と直接話をします。案内してくれる」

 麗ちゃんが専務と歩き出す。

 それを聞いて、また僕はここでお役ご免か、と回れ右をしようとしたところ、

「郁も来なさい。あなたも今回の件で随分ずいぶん頑張ってくれてるんだから、敵の顔くらい見ておきなさい」


 意外な言葉に、戸惑う僕。

「え? 僕なんか立ち会っていいの?」

「いいに決まってるじゃない。あなたがいたからこそ、私もここまで頑張れたのよ」

 麗ちゃんが振り向き、僕に大きくうなずく。

 僕はこれまで一度も踏みこんだことがない、この廊下の先へと足を進めた。


 ◇◆◇


 深紅の絨毯じゅうたんの感触を確かめるように踏みしめ、僕は歩く。

 隣には麗ちゃんと宝谷専務。

 麗ちゃんは眉をつり上げ、全身から殺気だったオーラを漂わせている。

 触れると指が切れてしまいそうなくらいの剣呑けんのんさだ。

 彼女はこれから勝負を挑む相手を頭の中で思い浮かべているのだろう。


 だが、僕は副社長の顔をよく憶えてない。

 というのも、副社長の交替が割と最近だったからだ。

 どんな顔だったかな、と考えながら歩いてるうち、廊下の奥の扉に突き当たった。

 専務に案内された、そこは社長室。


「早速、社長室に居座るとはふてぶてしい根性ね。敵ながら見上げたものだわ」

 麗ちゃんが燃えさかる目で、扉を舐めるように見回した。

 それから、ばんと一つ足を鳴らし、

「さあ、開けてちょうだい!」と専務に命令した。

 その声に気圧され、ノックもせずに専務が扉を開く。


 目に飛びこんだ、その部屋は広々として開放感に溢れていた。

 大きな窓から燦々と陽の光を浴びながら、豪奢な机で一人の男が葉巻を吸っていた。


「新井副社長!」

 広い部屋に麗ちゃんの声が響く。


 麗ちゃんは脇目も触れずに真っ直ぐに、窓際の社長卓に歩いていく。

 僕は、彼女の少しあとを歩きながら、副社長を観察した。

 大柄な人だな、というのが第一印象だった。

 大きな社長の椅子に座っているが、その椅子が小さく見えるほどだ。

 顔はいかにも海千山千といった感じで、いくつもの皺を従えた目は眼光鋭く、隙がない。

 病気で社長不在の大会社を任されるほどの人間だ。並の人物であるはずがない。


 その副社長は麗ちゃんが近づいても、気にする様子もなく葉巻を吸い続けている。

 先制攻撃は麗ちゃんだった。

 彼女は副社長の面先でばんと机を叩いた。

「説明してちょうだい! あなたはどういう了見で、父を解任したのかしら?」


 副社長は葉巻をゆっくり口からはずすと、表情も変えずに麗ちゃんの顔を見た。

「おやおや、これは九条院のお嬢さん。これはとんだ所を見つかってしまったかな。まだ早いとは思ったのだが、ちょっとこの椅子に座ってみたくなってね」

 副社長は葉巻片手に大げさに肩をすくめた。


「そんなことより、父の解任理由を説明しなさい!」


 副社長は大儀そうに大きなクリスタル製の灰皿に葉巻を置くと、机に両肘をついた。

「理由もなにも、こんな不祥事が発覚してしまったあとですよ。昨日だけでも大株主や顧客から非難の電話が絶え間なくかかってきているんです。その責任を誰が取るというわけではなくても、のんきに病気療養している社長をそのままにしておくわけにはいかないでしょう」


「くっ!!」

 麗ちゃんは『のんきに』という言葉に耐え難いものを感じたのか、一瞬言葉をつまらせたが、すぐに反撃した。


「じゃあ、あなたも責任を取るべきじゃないのかしら」

 副社長は珍しいものでも見たかのように目を大きく見開き、首を横に振った。

「いやいや、この未曾有の難局を乗り切るにはそれなりの人物が必要でしょう?」


「それがあなただと!」

 麗ちゃんは今にも飛びかかりそうな勢いだ。

 だが、副社長も臆する気配は微塵もない。

 彼は麗ちゃんの問いに深々とうなずいた。

「無論ですよ。私はそんな時のために副社長として、九条院に迎えられたのですから」


 麗ちゃんは両手を突っ張り、握り拳を固め、怒りに耐えている。

 その目は副社長を見据え、一瞬たりとも視線をはずすことはない。

 緊張した空気が部屋に漂う。

 専務は後ろのほうに立ち、心配そうな目でことの成り行きを見守っている。


 しばしの沈黙のあと、麗ちゃんが沈んだトーンで副社長に言った。

「いいでしょう。それならば、私も切り札を出します。華族法第百八条、親族による経営権の優先的相続手続きを開始します」

 麗ちゃんが副社長を見て、にやりと笑った。


 僕は華族法について詳しいことは知らないが、『親族による経営権の優先的相続』は華族特権の一つであることには間違いない。


 副社長は彼女の言葉をまぶしそうに目を細めて聞いていたが、彼女の言葉が終わると、大きな手で机を一つ叩き立ち上がった。

「面白い。お好きなようにどうぞ。こちらは臨時株主総会で、それを阻止してみせましょう」

 副社長が麗ちゃんを見下ろす。

 巨体なだけにその威圧感はすさまじい。


 にらみ合う二人の眼差しの間には、漫画にあるような火花が飛び散らんばかりの気迫が感じられる。

 僕は緊張のあまり、ごくりと唾を飲みこんだ。

 永遠に続くんじゃないかと思えたにらみ合いも、麗ちゃんの言葉で終焉した。


「話し合いの価値はないようね。では、いずれ株主総会でお会いしましょう。私も大株主の一人ということをお忘れにならないように」


 副社長に捨て台詞を残し、扉へと歩いていく麗ちゃん。

 僕もそれに続いた。

 副社長はそれを黙って見ていたが、僕らが扉にさしかかったころ、後ろから声をかけてきた。


「一つ忠告を差し上げておきます。社長の持ち株は既に人手に渡っていますから」

 麗ちゃんが血相を変えて振り返る。


「なんですって! 人手にって一体どこに行ったの?」


 副社長は不敵な笑みを浮かべ、言葉を継いだ。

「ふふふ、焦らなくても、それは直にわかりますよ」


 麗ちゃんは強く唇を噛みしめている。

 なにか一言返すのか、と僕は思ったが、彼女はなにも言わず、早足で廊下に出ていった。

 僕と専務はそれを追った。


 麗ちゃんの横に並び、彼女の顔を見た。

 その目からは大粒の涙がこぼれていた。


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