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♔ Ⅰ章_01節_03 シルクロードの要塞 ♔

“獅子”と名付けられたバーブル

ティムール帝国皇統継承の戦いに敗れ 新天地のインド転出

〝パーニーパットの戦い“で火器を用いて像軍団を撃破 ムガール帝国を開闢する

食卓にメロンが出ると故郷が恋しくて涙し

愛する正嗣が病に倒れれば 神の前に己の命をささげた文人・バープル

・・・・・・・・・・・1494年6月、バーブルが数えで12歳(満11歳)の時、父のウマル・シャイフ・ミールザーが、フェルガーナ中部にあるその居城アフスィで鳩小屋共々シル河の谷底に転落して死去するという事故が発生した。 ウマル・シャイフは時に39歳であった。 このため12歳のまだ少年に過ぎなかったバーブルは、フェルガーナ東部のアンディジャーンで父のティムール朝フェルガーナ領支配者としての位を継いだ。

この事故の直後、バーブルの亡父の兄、つまりバーブルのおじに当たるティムール朝のサマルカンドの君主スルターン・アフマド・ミールザーがサマルカンドから、またバーブルの母の弟、つまりバーブルのやはりおじに当たるモグールの君主スルターン・マフムード・ハーンがタシュケンドから、それぞれ別々にフェルガーナヘと来攻した。・・・・・・・・・・


♔ Ⅰ章_01節_03 シルクロードの要塞 ♔


 バーブルの故郷・アンディジャンは古来よりシルクロードの要衝の地であった。 東方のカシュガルと西方のコーカンドとの中間にある。 カシュガルはインドから北上した交易路が東西の交易幹線路・シルクロードと交わり、大きなバザールを形成していた。 東西交易上、屈指の城郭都市である。 コーカンドはフェルガナ盆地の中央に位置し、北西220キロでキルギス平原南端のタシケントに繋がる。 コーカンドから東に120キロの地点でアンディジャンの城郭がある。 アンディジャンはフェルガナ地域の中核であり、イスラーム世界の拠点でもある。 ティムール朝はこの町に城塞を設けて東方のモンゴル系勢力を牽制して来た。 また、シルクロードを往来する交易隊商から諸税を徴収していた。


 町街の南西には大きな湖・ムシュチュンがあり、湖の湖畔は長期の交易に出向く隊商や帰国しようとする隊商が思い思いに野営する。 古来、アンディジャンはフェルガナ地方の中心地として栄えてきた。 中央アジア屈指の城郭都市であり、キャラバン・サライ(交易商人宿)は休まることが無い。 フェルガナは広大な丘陵地帯の一角をしめる盆地であり、冬季の寒さは誠に厳しい。 しかし、半地球的規模で東西に赴き交易する隊商は湖畔から二時間程度で行き着くアンディジャン街の商人宿を利用する。 町全体がキャラバン・サライであり、アンディジャンの商人は中央アジア一帯で名を馳せていた。


 カシュガルは古代には疏勤国の国都であった。 タムリ盆地=タクラマカン砂漠=の西端に位置し、西部域はパミール高原、北部域は天山山脈であり 共に4000メートル以上の高峰が連なる。 この町も古くからシルクロードの要衝として栄え、ティムール朝の時代はジンギシ・カンの次男チャガタイを祖とする子孫が国家の君主として君臨していた。 バープルの母方に家である。 イスラームの拠点都市としてもこの地域一帯にその栄華を示していた。 カシュガルからはインドに向かう交易路が南下する。 パミール高原の東側を南に進み、パミールに踏み込みカラコルム山脈を超える。 タクラマカン砂漠西端に位置するオアシス都市であるカシュガルは、標高は1200メートル。 地勢は平坦で、土地は肥沃であり、モモ、ブドウ、イチジク、アンズ、リーチなどの果実を産出し乾燥果実がラクダに積まれて西安に運ばれた。 また、天山南道(西域北道)と西域南道が合流する地点でもある。


 因みに、シルクロードの西域南道=敦煌・旦末・ニヤ・和田・沙車=は距離的には最短であるにもかかわらず、極めて危険で過酷なルートである。 ホータン(和田)からカラコルム山脈に踏み込み、カシミール地方のスリナガールに抜けるルートがあり、7世紀に玄奘三蔵はインドからの帰途このルートを通り、楼蘭の廃墟に立ち寄ったと『大唐西域記』に記されている。 また、天山南路(西域北道)は敦煌からコラル、クチャを経て天山山脈の南麓に沿ってカシュガルからパミール高原に至るルートで、最も重要な隊商路として使用されていた。


 前記の玄奘は西域の商人らに混じって天山南道(西域北道)のコラルから峠を越えて天山北路へと渡るルートを辿って、天山山脈中央部を横断するルートを経由してイシュク湖に至りタシケントに到達している。 最も危険で困難なルートを踏破しなければならなかったのは、当時の諸民族国家のパワーバランスの上に乗らなければ、一介の求道者など命の保証はなかったであろう。 まして、国禁を犯した唐の僧であれば最も危険な匈奴の懐に飛び込むしか道はなかったであろう。 その後、玄奘三蔵は中央アジアの旅を続け、ヒンヅゥークシュ山脈を越えて印度に至っている。 途上の君主たちの支援が無ければ不可能な旅程であった。


 蛇足ついでに、シルクロードに関して話せば、シルクロードの天山北路は敦煌または少し手前の安西から北上し、ハミまたはトルファンで天山南路と分かれてウルムチを通り、天山山脈の北麓沿いにイリ川流域を経てサマルカンドに至るルートがある。 ジンギスカーンがちゅうおうあじあ親征に利用したルートである。 紀元後に開かれたといわれる。 砂漠を行く上記ふたつのルートに比べれば、水や食料の調達が容易であり、平均標高5000メートルとされるパミール高原超えの旅程に比べれば、約倍の日程・日数を要する。 しかしながら、草原の道が続く雄大な旅程が楽しめる。


 話は、再び余談の脇道に入るが、フェルガナは汗血馬の故郷である。 サマルカンドを中心的な都市とするザラフシャン川流域地方の古名はソグディアナである。 その南部域、パミール高原とヒンヅゥークシュ山脈の狭間地域がバクトリアと呼ばれていた。 ソグディアナはトランスオクシアナとも呼ばれ、ソグド人の故郷である。 ソグドの居住地であるソグディアナがシルクロードの西安とアケキサンドリアを直線的に結ぶ中間に位置することから、紀元前5世紀の頃より ソグド人は広く交易に従事し、交易の富を独占してきた。 


  紀元前323年から327年まで中央アジア方面へ侵攻したマケドニアのアレクサンドロス大王はソグディアナとバクトリアにおける過酷なゲリラ戦を強いられ、将兵の士気の低下を招いた。 ソグド人が唯一、アレクサンドロス大王に抵抗した民族となった。 しかし、アレクサンドロス大王やその部下であるクラテラスは北方の好戦的な遊牧民・スキタイを抱きみソグディアナに波状攻撃。 しかし、フェルガナ盆地に立て籠もったソグド人は矛を収めなかった。


 アレクサンドロス大王はフェルガナ盆地の入り口にギリシャ人の入植地を建設し、自らは南接するバクトリア地方の有力者であったオクシュアルテスの娘ロクサネを妃とした。 追い詰められたソグドの民は、パミール高原を超えて東方に四散した。 彼等はシルクロード沿線にソグド・コローニーを建設し、益々 交易の富を独占して行った。 唐の繁栄は彼らが齎したものである。 バープルが生誕した地・アンディジャンは、中央アジアで最も安全で豊潤な風土であった。


バーブルは文学と書物を好み、征服先の土地に所蔵されている書籍を接収した。 また、自然に対しても強い好奇心を持ち、動植物に対する詳細な記述を書き残した。 カーブルに建設した庭園の1つであるバーグ・イ・ヴァファーには、インドで採取したバナナの木やサトウキビが植えられた。 バーブルはインドの人間・自然に好ましくない印象を抱き、中央アジアの果実、氷、水がないことを歎息した。 多くの金銀を蔵する点、多種の職人が無数に存在する点には好意を持っていた。

バーブルには自慢好きな、やや短気な面もあった。 ある時バーブルは馬を引いてきた従僕の態度が悪いと腹を立てて彼の顔を殴りつけたが、薬指の付け根を脱臼してしまった。 その後3か月間字が書けず、弓も引けない状態が続いた。 時折残忍な性格も覗かせ、インド遠征の際に敵対するアフガン人の首を切り、首の塔を建てることが数度あった。

バーブルはアーイシャ・スルターン・ベギムの異母妹であるマースーマ・スルターン・ベギムと恋に落ち、1506年の冬にヘラートで彼女と結婚した。 マースーマ・スルターン・ベギムは娘を産んだ後に亡くなり、バーブルは彼女が残した娘に母親と同じマースーマという名前を付け、溺愛した。

バーブルは早い段階から長男のフマーユーンを後継者として考え、生前に臣下にフマーユーンに王位を継承する意思を伝えていた。 1520/21年にバーブルは当時13歳のフマーユーンをバダフシャーンに総督として派遣し、息子を気遣ってフマーユーンの生母であるマーヒム・ベギムとともに任地まで付き添った。 パーニーパットの戦いの前にフマーユーンが初陣を飾った時の様子を、誇らしげに書き残している。


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