それでも貴方を愛してます
親愛なる先輩へ
いつも貴方だけを見つめていました。
貴方だけが僕の光。太陽。生きる希望。
貴方の微笑みを僕だけのものにしたい。
僕は貴方だけのものでいたい。
柏谷 満
『それでも貴方を愛してます』
嫌な夢を見た。
俺はある日の夜、学校の後輩から告白を受けてそれを拒絶した。
そしてそいつは死ぬ。そんな夢。
起きて第一に強い頭痛を感じて嘔吐した。最悪な目覚めだ。汚した床を軽く片付けて、準備を整え家を出る。
慣れた登下校の道、曲がり角でふと息を止める。
毎朝、毎朝、この場所で後輩の――柏谷満が声をかけてくるからだ。今日も……またあいつは現れるのだろう。
――ほんとうに? だってあいつは……。
俺の中によくわからない疑問と戦慄の感情が湧いてくる。
「現れるわけが無い。だってあいつは死んだのだから」
俺は吹き出して軽く笑った。夢の話だ。あいつが死んだのは、夢の、話だ。
でも俺は、あいつが本当に死んでいればいいのに、と思った。
「せーんぱい!」
軽く背をぱすぱす、と叩かれる。一度息を飲んでから、勢いよく振り返る。
「わっ!!! 驚いたー……先輩、いきなり振り返るんだもん」
男にしては華奢で色白な、少女と見紛うほどの美少年だ。柏谷満とは、そういう男。
正直に言おう。こいつは俺のストーカーだ。
俺は目の前の満を見据えてため息をついた。
やっぱり死んでいなかった。残念だ、あぁとても残念だ。
柏谷満は同じ高校に通う一年生。俺の一つ下の後輩だ。
女子にえらい人気があり、教師のうけもいい。勉強もスポーツもこなす優等生といった所だ。
こいつと知り合ったのはーあー何がキッカケだったか……。俺にとっては記憶に留めておくのも難しいくらいに些細な事。しかしあいつにとっては違ったらしい。もうあいつの人生を変えるくらいに重要な事だったらしい。
とにかくそれ以来、満は俺にベッタリだ。
最初の方は、俺も懐いてくる後輩の一人としてそんなに悪い気はしていなかった。俺は同学年の中でも何かと兄貴と頼られるような人間だったから。純粋に弟分が増えるのは楽しかった。
しかし、段々と、鬱陶しくなった。
同時に気持ち悪さと恐怖さえ覚えた時もある。
もう一度言おう。あいつ、柏谷満は俺のストーカーだ。
尾行されるわ、徹底的に身の回りを調べられるわ、私物を持ち去られるわ、四六時中付きまとわれるわ、電話やメールで携帯が鳴り止まないわ、待ち伏せされるわ……。
あぁ、もう駄目だ。書ききれねぇ。
とにかくこれは異常だ。しかしどうやらあいつには、一般人に適用される常識が通じないらしい。
というのも、柏谷満の家は特別なんだそうだ。とにかくすごい名家で、金持ちで、色々と危なくて、まぁとにかくだ、すっげえって事だ。
警察に通報した所で無かったことにされるどころか、最悪俺自身が危なくなる。そういうことで、知人や家族に相談したとして同じこと。
と、いうかだ。
こんなにもガタイが良くて漢道をゆく俺が、あんな女みたいな美少年のストーカー行為が怖いので助けてくださいなんて言えるかよ。兄貴の名が聞いて呆れるぞ。
という訳で完全無視。
俺はこのストーカー美少年を振り払って生きてみせるぞ、残りの学校生活を。
その日、満とは朝登校中に顔を合わせただけで、その後校内で会う事は無かった。
俺が夕食を食べながらニュースを見ていた時だった。お袋がおかわりの飯をよそいながら、俺に呟く。
「高校一年生の男の子の死体が見つかったって」
焼き魚を頬張っていた俺の喉に魚が詰まる。
勢いよくむせた後、テレビの画面に目を向けた。自分でも驚くほど焦っていたと思う。何故だろうか。
ニュースキャスターが「柏谷満」と遺体の名を告げる、そんな気がして。
――違った。全然知らない名だった。
高校の場所もここから結構遠い。
なんだろうか。先ほどから冷や汗が留まるところを知らない。
俺の携帯が、けたたましく鳴り響いて、びっくりしたあまり机の味噌汁を倒してしまった。
「あーもー! ちょっと何してん!!! ちゃんと片付けや」
柏谷満からメールが来ていた。
親愛なる先輩へ
だいすきだいすきだいすきだいすきだいすきだいすき
柏谷満
俺は携帯を床に投げつけて踏み付けた。
ついにこんなテンプレート的な事をしでかすようにまでなったかストーカー。
携帯の電源を落としてさっさと寝ることにした。
あぁ明日が憂鬱だ。
朝日に目をしかめて、携帯に手を伸ばす。
電源がオンになると共に狂ったように鳴るメール着信音。
「うざい…………」
どんなキモイ内容が羅列されてるのか、俺は流し読んでみる。必ず最初は「親愛なる先輩へ」から始まり「柏谷満」で終わる。内容はそれぞれ違うものであった。どれも特に目を引く内容では無かったが、最後のメールだけがやけに気になった。
親愛なる先輩へ
先輩、会いたい。
今どこに居ますか?
僕の精一杯の気持ちは伝わりましたか?
僕は先輩が大好きです。
先輩もきっと僕の事を大好きになってくれると信じています。
だから僕と一緒になりましょう?
待っていますよ。先輩。
僕は先輩が居ないと駄目なんです。
柏谷満
「なんだこれは…………」
ひっかかる所がたくさんあった。体が無意識に震え出して止まらない。
俺は柏谷満に電話をかけようとして――止めた。
その代わりに、満を知っている後輩の一人のアドレスを表示して、電話をかけた。呼び出し音が切れた途端に俺はまくしたてるように叫んだ。
「柏谷満は生きているかっ!!!???」
俺は重い頭を抱えて、慣れた登下校の道を歩いていた。
結論から言うと柏谷満は正真正銘、ちゃんと、生きている。電話に出た後輩から物凄い勢いで笑われた。兄貴、寝ぼけてんじゃねぇっすよ、との事だ。
しかし俺は、その後輩の言葉をどこか上の空で受け取っていたのだ。
もう自分でも答えがわかっているんじゃないのか。
曲がり角で、足を止める。
ここで毎朝、いつもいつもいつもいつも、後輩の柏谷満が現れる。あいつはストーカーだ。偶然を装っていつだってここで俺に声をかけるだろう。今日も。
「せーーんぱいっ!!」
ほらきた。
まてよ。それじゃあお前はいったい誰なんだ。
俺の頭はガンガンと割れそうだった。全身で警鐘を鳴らしている。
「先輩?」
きょとんとした柏谷満を見つめる。間違いなく柏谷満そのものだ。
「せんぱーい、どうしたんですか~」
俺は声を落として問いかけた。
「お前――柏谷満か?」
満は、少しばかり表情を暗くした、様にも見えた。何事か思案している風な素振りを見せたのち、ふ、と小さく微笑んだ。
おかしい。
俺の知っている柏谷満はこんな表情をする奴では無かった。言い方は悪いが、もっと頭が悪そうな奴だった。純粋で一直線で結構子供っぽい。あと堂々とストーカー行為してくる奴。
「先輩。今日はちょっと学校サボってお話しませんか?」
柏谷満の後について俺は公園へとやってきていた。
満はブランコに座り、優雅に微笑みかけた。
「先輩。覚えているんですか?」
「……何が」
「思い出したんですか? あの夜の事」
俺の頭に衝撃が走った。例えるならば金属バッドで思い切り殴りつけられたような。
たまらずに俺は体を折って胃の中の物を吐き出した。その様子を、満はただ静かに見下ろしていた。
瞼の裏にチラチラチラギラギラギラと光景がフラッシュバックする。
いらない記憶がパンクしそうな程に押し入ってくる。俺が嫌だとわめいても身をよじっても、頭に詰め込まれてくる。
あぁ、もう、駄目だ。
俺は口をパクパクと開けて満に向けて叫んでいた。
「柏谷満は死んだ!!!! 俺は夜、あいつに呼び出されて、そこで思いを告げられた!!!
拒絶したら、あいつ、諦めなかった。何度も何度もなにか言っていて、それで、俺にしがみついて離れなくて!!! 俺が振り解こうとしたら二人揃って階段を転げ落ちた!!!!
俺はその後……目が覚めた」
満は無表情のまま、ただ俺の言葉を待っていた。
「俺は……俺は……見たんだ」
「目を大きく開けて、死んでいる、柏谷満を」
ぷっ、とそこで不似合いな嘲笑が挟まれた。
柏谷満のものである。
「あはは、なぁんだ、やっぱり君見てたんじゃない。
兄さんが死んだところ」
俺はゆっくりと柏谷満を見上げた。その表情はもはや完全に満のものでは無かった。
「答え合わせをしよう。僕の名前は城西尚吾。この名前に聞き覚えは無い? 最近ちょっとばかし有名なんだけどねーテレビとかで」
「城西……尚吾……」
聞き覚えがある。
お袋と夕食時に見ていたニュースで流れていた。遺体で発見された高校一年生の男子の名前。
それが、城西尚吾だ。
「柏谷満は、僕の双子の兄だよ。先輩。
僕達の家はね、特殊だ。兄の満は特に時期当主として必要だった。死んだらね、困るんだよ。色々と面倒な事になる。そこで~僕だ♪」
城西尚吾は機嫌が良かった。ウキウキと言葉を紡ぎ、兄の死を悲しんでいる素振りはまったく見られない。
「僕達双子は、まったく見分けが付かない。だからね表向きは、兄さんじゃなくて、僕、城西尚吾が死んだことになったんだ。
これで問題解決。いらない子、僕、城西尚吾が死にました♪ うっふふふふ。ありがとうねー先輩。僕さぁ、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっと兄さんの立場を狙っていたんだよ。
まさかこんなにも早く回ってくるなんて!!! もう40、50代くらいを見据えていたからね!!! あははははははは!!!!!!! 嬉しいなー僕は、晴れて柏谷満になりました!!!!」
俺は、ただ、公園の土を眺めて沈黙していた。
しかしどこか安堵の気持ちが芽生える自分を感じて。
「それで……柏谷満では無いと周りに感付かれる事の無い様に、俺にも付きまとっていたんだな?」
「んー? それもまぁあるけど……。君が兄さんの、柏谷満の遺体を目撃しているとなると面倒だ。それを探るためにもちょっとね」
「……俺はどうなるんだ」
「生かしておくとねーまぁ、ちょっと厄介そうだよね~。でも、君を生かしておいて利用するのも捨てがたい♪」
俺は城西尚吾から眼を背けて、どこかその言葉を遠くで聞いていた。
ふと、心臓がザワリと揺れる。携帯をポケットから取り出して、城西尚吾に画面を突き付ける。
「柏谷満が死んだ後届いた、このたくさんのメールもお前が送ったんだよな?」
城西尚吾はブランコから少しばかり身を起こして、画面を見据える。
その表情はどこか疑問に満ちていた。
「……いや? こんなの送ってないけど」
ガクン、と、心臓が蹴られたような心地がした。
「嘘だ!!! お前がやったんだろう!!!!!」
「嘘じゃないって!!!」
わかっていた。城西尚吾は嘘を付いているようでは無かった。俺を鬱陶しそうに振り払う。
そんな時だった。俺の携帯に一つのメール。
まぬけに響くメール着信音が、俺と城西尚吾の間に沈黙を作る。
親愛なる先輩へ
たとえ死んでも。
たとえ殺されても。
――それでも貴方を愛してます。
柏谷満
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