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少年は夢を笑う

 「そう。まったく馬鹿な話だ」

 

 そいつはいきなり現れた。

 まるで煙突に溜まる煤のように、黒い体を揺らして、そいつは現れた。

 手に黄金の錫杖を握った禿頭の僧。

 「夢、どろぼう」

 夢どろぼう。博士が虚ろな瞳でそう告げる。

体には深々と金の錫杖が突き刺さっている。

光の粒が、博士の体から出てはさめざめと空へと散っていく。

その様は先ほどの博士の夢が散った光景によく似ている。

哀しさは感じない。

ただ見るからにあたたかななにかが砕けていくことだけが分かった。

 「誰だ。お前は」

 俺は震える声で、そう言うのがやっとだった。

 黒づくめとも、リサとも、博士とも違う。

いや、目の前の男は、この夢のすべてとかけ離れた完全な異物だ。

おかしさの欠片も感じさせない現実世界のものとして、俺の前に立っている。

 「夢どろぼう。そう呼ばれている」

 ひどく落ち着いた声音で夢どろぼうは応えた。

苔生した岩のようだ。

悠久の時を経て、整えられた自然の芸術のように、その声は静かだった。

 俺を大蛇のように覗く両の眼の下で、博士が力なく夢どろぼうの袈裟を掴んだ。

 「なんだ?」

「私は、消えるのか? ……消えられるのか」

喜びとも悲しみともつかない表情を浮かべ、博士は聞いた。

「消える。跡方もなく、なにの疑問も残さずに消えていく」

なにの感慨も感じられない声で、夢どろぼうは答えた。

そこに迷いなど露ほども見られない。

「では、私の夢は……」

そう弱々しく尋ねた博士の顔はひどく醜かった。

ぼさぼさの白髪は更に乱れ散り、ほつれ、蛇のように絡み合い、汚れきった野生の羊を思わせる。その下で、ふるふると歪む灰色の瞳は、曇った硝子のように濁って、真白な結露を滲ませていた。

「消える。跡方もなく、なにも解かずに消えていく」

そう言われた時の博士の顔を表現する言葉を、俺は持たない。

圧倒的な絶望で塗りつぶされる寸前、一隅残ったキャンパスの白。

それは夢どろぼうの言葉によって、一度だけ大きく光り、キャンパスを席巻して、線香花火のようにぽつりと黒闇へとのまれた。

星の死ぬ一瞬を、博士は顔面で演じきったのだ。

かろうじて、喩えることを許されるなら、博士の表情はそんなものだった。

「そんな……」

 博士は夢どろぼうを見た。

最後に箱から出ていく希望を見つめるのように、穢れた涙で頬を汚しながら、博士は夢どろぼうを見、次いで俺を見た。

 にこり、と博士が笑う。

壊れかけた人形に微笑みかけられたかのような、嫌悪が全身を駆け巡る。

 「どうだい? 大人に好かれる子ども(ウェンディ)。君の言う通り、夢は叶わなかったが、私は叶った」

 朗らかに博士は哄笑した。

夢として生まれた博士の夢は、博士の死を持って叶えられる。

それを博士が喜んだかどうか、俺には分からない。

粒子となって消えゆく博士を、俺は黙って見送った。

黙って送ることしかできなかった。

「笑わないのか? 夢を叶わぬという者(ウェンディ)。ピーターは行ってしまったぞ」

久しぶりに再会する友人のように、気安い雰囲気で夢どろぼうが話しかけてきた。

手に握った錫杖を夢どろぼうが撫でるたび、博士の残り香が消えていくのが目に見えて分かった。

「笑わない。俺は人の夢は笑わない」

他の人がどうだか知らないが、俺はそう決めていた。

 「なんだ。きちんと笑っているではないか。これは失礼した」

 夢どろぼうは皮肉気に口の端を歪めた。

 「俺は笑ってない」

 「夢が夢に溺れて、溺死した。確かに、お前はを笑ってはいない。だが、お前は夢を笑っている」

 「俺は、笑ってない」

 「それが分からないから、お前はウェンディなのだ」

 俺の否定など気にもせず、夢どろぼうはそう言った。

その眼はすでに笑ってなどいない。

高次の定理を理解できないものを見下すような色がそこにはあった。

 「だから、俺は!」

 「そいつから、離れるっす!! たっくん」

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