東京悪魔は打撃王
「フンフンフーン」
高輪が鼻歌を歌いながらバットと呼ばれる金属製の棍棒を握り、構える。そして硬貨を投入すると、電子の模擬投手がワインドアップ、それに連動してピッチングマシーンが投球すると、高輪が全身の筋肉を使ってスイング、ボールは夜空を裂き、ピッチングマシーンの背後のネットに突き刺さる。
「お、行けるもんだな」
秋葉原のビルの屋上のバッティングセンター。またも俺は、松田を探すべく秋葉原の町に来たのだ。そしてバッティングセンターに行くことの発案者は高輪だった。
「おっとこれも行けそうだっ」
乾いた金属音と同時に白球が夜空に舞い上がる。バットを挑発的にマシーンに向け、高輪は俺を見て得意げに笑った。
「ヴェルにも出来るかな?」
「誰が相手だと思っている。俺はこれでも高校野球でトト……いや、東京ドームで試合を観たこともあるのだぞ」
俺も打席に入り、硬貨を入れてバットを握る。構えはあの日、東京ドームでほれ込んだ野球選手のものだ。あの野球選手があれだけ打ったのだから俺も真似れば打てるだろう。などと甘い考えがあった。しかし放たれる白球は俺の前を素通りするだけだ。俺の背後の緩衝材を直撃し、俺の足元を力なく転がる。
「バ、バカな」
「球速下げたら?」
「貴様は何キロだ」
「100」
「ならば俺も100だ」
ハン、と高輪が鼻で笑った。
「フン! バカな! 何故打てぬ!」
「単純に慣れとかじゃないかな?」
「ならばなぜ貴様にできる! そんな汚い構えでなぜそう簡単に打ち返せる!」
「才能かな? ははは」
「おのれぇ!」
その後もフルスイングを続けるが、ボールにはかすりもしない。その一方で高輪は快音を響かせ続けた。
「そもそもがおかしいのだ。たかが直径数センチのボールと直径数センチのバットの芯、それら同士がジャストミートし、力が不可分なく伝わり飛ぶことが……数ミリと数ミリの世界だ。そしてジャストミートにはコンマ数秒の狂いもあってはならない。立ち位置の問題もある」
「でも野球は日本一人気のあるスポーツだし、実際プロは簡単に打ってるよっと!」
またもや高輪は快音。
「ぬう」
バットを渾身の力で握りしめ、ピッチングマシーンを睨みつける。高輪のことは一時忘れよう。集中力を持っていかれてしまう。高輪も無意味に俺を煽るのはよくないと判断したのか余計なちゃちゃを入れてこない。無心になるのだ。無心になり、ピッチングマシーン、自分、バットのみを認識し、心眼を開けばおのずの振り方がわかるはず。しかし手も足も出ず。
「ぐ」
「どうかした?」
「マメだ」
「マメか。じゃあよしときなよ」
「ぐ、負けを認めんぞ! いつか、いつの日か貴様を超えて見せる!」
「少年ジャンプでも読んだのかな?」
悔しいのは高輪に負けたことだけではない。周囲のオタクどももダラリダラリと簡単に打ち返す。そして松田は無類の野球好き。ここで打撃王の称号でもひっさげれば松田も俺を見直すだろう。そんな下心もあった。幸いにも俺の前には今、高輪という壁がある。この高輪を超えた時! 俺は打撃王となるのだ!
「淡崎よ」
「どうしたヴェルさん」
「折り入って頼みがある。俺に打撃の極意を教えてくれ」
淡崎は仲の良い同僚、部署は違うが、喫煙所仲間でもあり年も近く、高貴な佇まいで何かと他人を寄せ付けず孤高になりがちな俺に構う変わり者でもある。そして名古屋出身の淡崎は筋金入りの中日ドラゴンズファンであり、暇さえあれば応援歌を口ずさんでいる。
「打撃の極意?」
「バッティングセンターで打てぬのだ」
俺は先日バッティングセンターで受けた屈辱のことを全て話した。
「話は分かった」
この辺りの話の早さが、俺より年下なのに俺より役職が上な理由でもあるのだろう。
「打撃の極意かぁ。そんなもの、口で説明出来たらどっかでコーチでもやってるよ」
淡崎が笑い声と紫煙を漏らした。そしてエアバットを握り、エアヘルメットのつばに触れ打撃の構えに。
「一本足打法。これは超上級者向けだ。青山さんにはできないだろう」
「俺にも出来るものはないか?」
「ハッキリ言う。プロがやってる打法はプロだから出来てるんだよ。その辺の学生がプロと同じ電卓を使っても、プロの事務員にはなれないのと同じ」
「やはりそうなるのか」
道理で憧れた背番号6の真似をしても打てないわけである。
「でもその高輪って子の言うことも一理ある。慣れは重要だ。俺も鈴木とかと結構バッティングセンター行くけど、鈴木もバッティングセンター通ってるから結構打てるんだよね」
鈴木とは社長の大親友であり、俺にとっては年下の上司である。仕事が出来るから人に文句を言わせず、仕事が出来る者には文句は言わない。やや冷淡な印象を受けるが膨大な仕事量を支える才媛である。直接話したことは少ないが、鈴木もまた熱狂的な東京ヤクルトスワローズ好きのプロ野球ファンであるということは社内で周知の事実だった。だがまさかインドアを極めたような鈴木も打てるとは。
「一本足打法、神主打法、すり足、振り子、ガニ股、剣豪……数えきれないほど打法はあるけどどれも好成績を残すための打法だ。その中で、球の見極め重視の打法がある」
「ほう」
「天秤打法だ」
仕事帰りに東京ドーム近くのバッティングセンターに淡崎と寄る。淡崎に伝授された天秤打法なる秘術を試すのだ。硬貨を入れるとぎぃ、がちゃんとマシーンに魂が宿る。
「ぐぬ!」
空振り!
「ぬう!」
またもバットは空を切る。
「淡崎!」
一方の淡崎は低い弾道ではあるが、のらりくらり心地よい打球音を響かせている。
「ヴェルさん、ダメな理由がわかったよ」
「なぬ?」
「ヴェルさん気張りすぎだ」
「気張らねば飛ばぬだろうが!」
「いや、その前に当たらないと飛ばないじゃん。まずはバットに当てることだけ考えて。金属バットに軟球じゃ、当てればとりあえず飛ぶぜ。俺だってこんなに脱力してそいっと」
またもや淡崎のボックスから快音。
「いい弾道のヒットに見えるけどプロ野球じゃピッチャーゴロだよ今のなんて。プロの真似なんかしちゃダメだ。あとは慣れだな。まずは天秤打法の形から入って、自分の打ち方を見つけなよ」
慣れであることを認めること、それは高輪の打撃は才能であると認めなければならない。だが……
「慣れて見せようぞ!」
こうして俺は仕事帰りに毎日バッティングセンターに通い詰めた。マメができない程度にバットを握り、球をよく見て振る。いつの間にかバットがボールに掠り始めるようにもなってきた。そして疲れがたまって構えが取れず、力なく構え振る方がうまくヒットになることにも気づいた。そしてコンスタントに打球をバックネットにさせるようになった頃、淡崎を呼んで俺は修行の成果を見せた。
「だいぶうまくなったな」
その一言がゴーサインである。
「高輪よ。秋葉原に行くぞ!」
「アキバぁ? 何しに行くの」
「バッティングセンターにて貴様の上を行って見せてやるわ!」
「え、バッティングセンターのこと根に持ってたの? 勘弁してよぉ」
イヒヒヒと少年のように歯を覗かせる。笑っていられるのも今のうちだ、挑戦状を叩きつけてやったのだ。
「何球行く?」
「30球勝負だ」
「OK」
高輪も楽し気にイチローの真似をしてバットを緩く握る。
「何か賭けるものがいるなぁ」
「真剣勝負に水を差すな高輪」
「高校野球でトトカルチョをやる人が言うかなぁ。決めた。わたしが勝ったら、夕子って呼んで」
「よいだろう」
俺も高輪も同じく脱力した構え。高輪の場合は常日頃からグダグダとしているので、俺が修行の末に身に着けた脱力を既に手にしていると言える。
そして第一球目!
「フハハハハ! これが修行の成果だ!」
「やっぱりヴェルは週刊少年ジャンプ読んだろ」
俺も高輪もカァンと快音で夜空を裂く。
「ぐ……夕子」
俺はよく戦った。打撃に天賦の才のある夕子を相手に、同じ数の21本のヒットを放った。身長と体重で勝る分、俺の方が鋭い打球を放ったが、夕子の18球目は天井からぶら下がるホームランの的に直撃したのだ。あの当たりで俺は敗北を確信した。ホームランの報酬である靴下を受け取った夕子だがサイズが大きすぎるため、俺に譲ることになった。
「いいねぇいいねぇ。夕子だって」
「次は負けぬぞ、夕子!」
次こそ……俺が真の打撃王になるその日まで……。





