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東京悪魔  作者: 三篠森・N
東京大魔境編
30/43

東京悪魔とミス・キントウン

「……ここはどこだ。状況は?」


 どうやら気絶したのちにどこかに運び込まれたようだ。皮張りのソファに腰かけられ、冷たいタオルが頭に乗っている。自慢のジャケットは見覚えのあるいかついスカジャンと一緒にえもんかけの上だ。周囲を見渡すと喫茶店のようである。コーヒーの香りが充満している。


「わたしの店だよ」


 カウンターの前の席に腰かけていたピンクブロンドのショートボブにモスグリーンのエプロンをかけた咥えタバコの女がパンと小気味よい音を立てて新聞を翻した。


「貴様何者だ。どこの者だ」


「ご挨拶だなぁ」


 新聞をカウンターに置き、欧米人の如く掌を上に向け、肩をすくめる謎の女。


「ふざけるなよ、その新聞。天国新聞ヘヴンタイムズではないか。貴様カタギではないな」


「ご名答。わたしは高輪(たかなわ)夕子(ゆうこ)。元仙人」


「仙人?」


「生まれも育ちも樹海。今は東京でしがないカフェのマスターやってる」


「その仙人が何の用だ」


「その言い草は何とかならないの? 周囲を敵ばかりとでも思っているの? むしろあんたは愛されてる。天国にも地獄にもね。わたしはあんたを助けたんだよ?」


「俗物丸出しのその破廉恥な頭で仙人とは笑わせよる」


「あんたも悪魔としちゃかなり情けないよ。あんなところでぶっ倒れちゃって。そうだ、用。あんたベルゼブブから頼みごとを預かってるだろう?」


「地獄の手のものか」


「似たようなものだけど厳密には違う。ミカエルの知り合い」


 役職で言えば叔父上を呼び捨てにできるのは神だけである。しかしこの女はいともたやすく叔父上を呼び捨てにする。つまり、天国の階級には当てはまらないものということになり、天使ではない。そして俺が倒れたあの場所から俺を運び出せたということは、山手線の呪縛を受けた悪魔でもない。そしてヘヴンタイムズを持っている。本当にこの女は仙人、東京に住むスピリチュアルな存在なのだろう。そして俺を運び出す……つまり救出したということは、この女は敵ではない。それにこの女の言う通り、俺は天国にも地獄にも敵はいない。それほど存在を知られていないからだ。


「まずは礼を言おう。俺の名は青山(あおやま)ヴェルフェゴール」


「こっちはさっき名乗った通り。まずはコーヒーを淹れよう。ウチはブラックが売りでね」


「いただこう。ミルクと砂糖を忘れるな」


 高輪がコーヒー豆を一粒齧り、挽く。俺はポケットからスマホを取り出し、無事を確認してから時刻を確かめる。俺が失神してから実に2時間が経っていた。高輪は恍惚の表情でコーヒーを淹れ、カップに注ぎ、ポーションをソーサーに沿える。


「どうぞ」


 角砂糖を三つ落とし、スプーンかき混ぜ、その渦にポーションを落とす。一口飲むと、カフェインが効いたのか急に頭がさえてきた。


「ベルゼブブ殿、ベルゼブブ殿の地下アイドルグッズは⁉」


「安心しな。ちゃんと回収してる。あんたも難儀だね」


「忝い。うまいコーヒーだな。コンビニで売れるぞ」


 お世辞ではなく抑えきれない本心が漏れると、高輪はイヒヒヒと悪戯小僧めいて笑った。どうやらよほどコーヒーに自信があったと見える。それにこの高輪という女、ウソを言っても見抜いてしまいそうな、本物の仙人のような浮世離れした不思議な空気を纏っている。


「わたしの身の上話を聞いてくれる?」


「聞こう」


「さっきも話した通り、わたしは元仙人。そういう家系の出身で、生まれた時から修行の身さ。だから霞だけ食えば生きていける。でもそうはいかないようになった。キッカケは太平洋戦争の敗戦。GHQの支配下で給食が出るようになり、義務教育の徹底もあってわたしたち仙人も学校で給食を食べるようになった。それが大きな分岐点となる。わたしたちは食べ物の味を知ってしまったんだ。世の中にはこんなおいしいものがある。それを知った仙人……少なくともわたしは樹海で霞だけ食べながら瞑想する生活が出来なくなった。高校にも通ってフリーターになって、今はミカエルの斡旋でこの店をやってる。この頭は仙人失格の証。高校時代は辛かった。もう弁当だからね。結構な頻度で空の弁当箱を渡されて昼飯は霞、って日があった。そしてわたしは美食の町東京に食欲を満たしに来た」


「まるで雲を掴むような話だな」


「ミス・キントウンとでも呼んでおくれよ」


 イッヒッヒと歯を覗かせる。


「して、なぜ叔父上が?」


「ミカエルはわたしたちを導こうとしている。仙人、妖怪、妖精。そういった類のものを東京で受け入れ、人間社会で生きていけるようにしたいと考えている。その方がいろいろ都合がいいからね。新聞も売れるし。そのためにまず、人間とそれ以外の境界線が一番曖昧で、その中でも特に俗物のわたしがまずテストに選ばれた」


「テスト?」


「悪魔と人間、その他が共存できるかをね。この場合、悪魔とはヴェル、あんたのことだよ。名付けて東京大魔境計画」


「俺に何をしろと?」


「わたしとの共存。とはいえ、わたしはコーヒー淹れることと美味いものを食べることしか考えていない。だからヴェルはわたしのコーヒーを飲んで、美味いものを食べさせてくれればいい。それにわたしはこの店で料理の腕も磨く。あんたが食べてレビューをくれればいい。美味いものの自給自足ができる」


「簡単に言うな。俺は……」


 助けてもらった恩はあるが何ゆえにこんな不埒な仙人に俺がそんな重い礼を返さねばならないのか。


「俺は!」


「でももう女の人追っかけてぶっ倒れたところ写メったし、ミカエルにチクるよ?」


 外道が。この女、仙人になりきれなかったのは食欲のせいではなくこの腐った人間性の問題だろう。叔父上に密告されるのは非常に困る。叔父上は俺と松田の関係にいらぬ助け舟を出すろう。さらに叔父上はベルゼブブ殿と俺の関係を知っており、叔父上はその関係を悪くも思っていないが、事態が派手になって神やほかの天使がその関係を知ると、このことを知っていた叔父上がどう思われるかはわからない。高輪を遣わしたことからもこの東京大魔境計画は叔父上の独断と思われるが、神やほかの天使はベルゼブブ殿と間接的に繋がっている叔父上や鎹である俺をよく思わないだろう。


「わたしをよく見て。こんな頭だけど、顔はそんなに悪くないでしょ?」


 高輪が体を伸ばし、俺の目を覗き込む。その目には妖艶が宿っている。俺は背筋に鳥肌が立ち、体を反らしてシャツの袖で顔を隠す。


「この痴れ者がァ! 俺を誘惑する気か! 俺には……」


 俺には松田(まつだ)が……いるのか? 今日のことでもう俺と松田は遠く離れてしまったような気がする。おのれベルゼブブ殿。おのれ桜庭梓! おのれ高輪夕子! もう松田は……


「そんな気はない。わたしも東京から出られない相手はゴメンだよ。でも、ヴェルはなんていうか、女性経験ないよね?」


「チックショウが!」


「わたしがレクチャーしてあげるよ」


「レクチャー? 貴様ごときに何ができる! 俺が好いているのはあくまで松田! 貴様ではない! 数いる女のうちから選んだのではない! 無量大数の存在の中から俺は松田を選んだのだ!」


「だからとりあえず女に慣れよう。不慣れな感情はあるでしょ? 松田さんに似た苦手意識をわたしにも感じているはずだよ」


「松田は、松田は……」


「ヴェルさぁん。上手くやっていこうよ。まずは頭を冷やしてさ」


「貴様に何の得がある」


 不意に出入り口のベルが鳴り、長身にトレンチコートの優男が我々の間に割って入る。そして俺をねめつけ、カウンターに拳を叩きつけた。


「いい加減聞き分けぬかヴェルフェゴール!」


「叔父上」


「お前が倒れたと夕子から聞き、やってくればお前は駄々をこねている。情けないことこの上なし」


「叔父上。こんな話は聞いていない。今日に限ってはその威勢に負けられぬ。どこの馬の骨とも知れぬこの女、俺にどうしろと言うのだ。どこで見つけてきたのだこの破廉恥な頭を」


「ゲームセンターだ。お前と夕子には東京大魔境計画を進めてもらう」


「東京大魔境計画……」


「夕子は仙人として悪魔のお前を、悪魔のお前は仙人としての夕子を、そしてそれと同時に互いの人間性を高めていく。お前たちに欠けているものを教えてやろう。協調性と友人、深いところでの人間の付き合いだ。もちろん、真の人間関係は他者の強要を超えた先で育まれる。だが、いい歳をした大人同士が、やれと言われたことを最低限出来ぬようでは大人とは言えぬ」


 何ゆえに俺はここまで言われねばならないのか。


「ヴェルよ。お前を悪魔と知る人間はごく僅かだ。そしてお前を悪魔とする人間は皆、お前を人間として接している。凛々子殿もそうだ。だが夕子は違う。お前を人間であり悪魔でもあると認識している。さぁ、互いに秘密を分かち、高め合うがよい」


 まぁまぁまぁ、と相手が天国のナンバーツーだというのに高輪はなだめるように肩をポンポンと叩き、コーヒーを差し出す。


「とりあえず店のメニューを増やしたい。当面の課題として、一緒に頑張ろうよヴェル」


「くそぅ、叔父上を立てるためだからな!」


 こうして最悪の出会いを果たした俺とミス・キントウンこと高輪夕子。だが、俺が真に高輪夕子に感謝するのは、まだずっと後のことなのである。


「ところで貴様、GHQの支配がどうと言っていたな。歳はいくつだ」


「わたし? 21だよ」


「小娘ではないか! よくも見てきたように言えたものだ!」


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