東京悪魔と死後の世界
「おい貴様何をしている」
品川駅のホームにすでに死んでいるように生気がない、二十歳を少し過ぎたくらいの若い女が一人、ベンチに座っていた。俺は何かの予感を感じ取り声をかけた。
「死のうと思っています」
「そうか。好きにしろ。……? 待て、今ここでか?」
女が冷笑にも似たため息をついた。
「やめろ。死ぬな。好きにしろとは言ったが今ここではやめろ。明日はどうだ」
「いえ、今日魚座12位ですし」
「貴様はそれで死ぬのか? 俺が見た占いでは今月の運勢で魚座は12位だったぞ。明日でもよいではないか」
「思い立ったが吉日と言いますから。次の電車で飛び込みます。あなたは次の電車に乗りますか? 乗るのならその次の電車で飛び込みます」
「今日は飛び込むな、と言っておろうが!」
今日、ここで飛び込まれてはならないのだ。
「今日は俺の誕生日だ」
今日は俺の誕生日である。今日、出勤した俺はサプライズでまず祝われた。吹けば飛ぶような若いベンチャー企業だが、やけに福利厚生がしっかりしておりまさか人付き合いの悪い事務の悪魔の誕生日の手当までもしっかりしていると思わず、経理としてはそんなところに金を割くなと涙が出るほどの浪費であった。祝いの品を受け取り、終業の合図の後、オフのカマエルと少し茶を飲み、俺の誕生日祝われマラソンの予定も最終区、品川駅のホームでの父ルシファーとの食事を消化するのみとなった。聖なる鉄の輪、山手線だが、その山手線の結界の内側の俺と外側の父は、山手線の車内と駅のホームでのみ顔を合わせることができる。しかし父も多忙の身である。今ここで、この女が電車に飛び込んでしまうとホームは封鎖、父との会食ができぬどころか、父が居合わせた場合、その場にいた参考人して事情聴取されるとなると、地獄大取締役ルシファーである父も山手線に封印されてしまう。もし、聴取の場所が山手線の線路の外側だった場合は、無理矢理連れ出されると俺はおそらく死すると思われる。女だけでなく俺も死ぬ。
「誕生日……」
「齢30を数える」
「いい会社に勤めているんでしょうね。提げているのはお誕生日のお祝いの品ですか? 愛されていますね」
「贅沢などできぬ程度の会社だ。それでも生きている。仕事が辛いのか?」
「あなたは死後の世界を信じますか?」
「死ねばどうなるか俺に聞いているのか? よく知っているぞ。教えてやろうか」
「神を信じますか」
「ヤツは信じぬ」
「……これがわたしの仕事です。宗教なんて儲からないんですよ。運もない! よりにもよって声をかけた人も同業のプロだし、最後に一人ぐらい救いたかった……」
女がこの世の終わりのように顔を覆ってベンチに蹲った。実に旗色が悪い。
「仕事がうまくいけば貴様はここで死なぬか?」
「だから宗教なんて儲からないんですよ。芸能人が一人でも出家して来たら助かるのに……」
「仕事だけが人生ではないぞ。俺だってそうだ」
「でも人生に何か目標や生き甲斐があったとして、そのために仕事もせずに突き進むというのは社会的地位や経済力を失っていく時間のかかる自殺であって、夢とか生き甲斐とかそういうのは仕事をして稼いで立派な社会人という肩書を掴んだ上でのオプションでできるものだし、生き甲斐や夢もお金がかかるので、お兄さんもそうやって仕事をしているわけで、しかもお祝いまでされて、わたしなんてこの仕事始めてから学生時代の友人もみんないなくなったし」
「今お兄さんと言ったな? 俺を勧誘するな。いいか、俺は本当の地獄と悪魔と天使を知っている。貴様らのようなまやかし、或いは曲解された神秘を真っ向から否定できるだけの真実を俺は知っている」
「職業病ですよ。それにお兄さん、本当にプロじゃないですか。わたしが死んでも代わりはそこらを探せばいくらでもいるとわかりました。あぁ」
「そのプロというのをやめぬか! 生まれの問題だ」
「サラブレッドですか。なら広報ではなく信者か教祖の方でしょうか」
「やめぬかと言っておる!」
「それにいくら広報しても、神も宗教もわたしを救ってはくれませんでした。信者よりもよっぽど教団に貢献してるのに……あぁ野球部の女子マネやってた頃はよかったなぁ。みんなわたしのことを崇めてご機嫌とって、将棋の王将みたいに大事に大事にしてくれて、あいつらならきっと人助けするつもりで入信してくれると思ってたのに今じゃ皆できっと陰口叩いてる」
こいつは厄介だ。手ごわいぞ。神、宗教、死後の世界。この女はなんの経緯か知らないが、ビジネス上それらと付き合っているが、確かに俺は父が大魔王の悪魔で叔父が大天使のサラブレッド、さらにさきほどまでお茶をしていた友人カマエルは神の教えを新聞で広げている宗教勧誘のプロ中のプロである。だがしかしカマエルを見れば布教は不況で死にたいほどだということもわかってしまう。気の毒なことにカマエルは天使なのでうつ病にもかかれず過労死もできない。神公認のカマエルでさえああなのだ。神非公認の布教はさぞ辛いだろう。かと言って俺が真実を伝えれば、自分の力量をはるかに上回る宗教・オカルト知識で仕事への自信をさらに喪失してしまう。少し時間がかかりそうだ。俺は女の隣に座り、しばし打開策を考える。
「まぁ……ここは、俺の誕生日に免じ、やめてくれぬか」
「他人の誕生日だったら飛び込まないんなら電車は止まりませんよ」
「今のはダメ元だ。いいか、別に俺は貴様に死んでほしくないなどと考えているのではない。貴様が電車を止めると俺は帰れなくなるのだ。俺の誕生日だから死ぬな、では死ぬ決意を撤回させる理由には弱いことは百も承知だ。今日もどこかで電車は止まっている。昨日も止まり、明日も止まるだろう。そして毎日が誰かの誕生日だ。貴様の命日と俺の誕生日が重なること、そしてその二人がこうして出会ったことが運命や神の采配とでも思うか? ヤツはそんなことまで考えるほど暇でもなければ働き者でもないぞ」
「お住まいはどちらで?」
「ぬ、貴様、俺を勧誘できれば死ぬのをやめようとなど考えておら……」
はと俺は気づいた。これはもはや勧誘では? こやつ自身がこやつ自身を人質に取った勧誘、いや、脅迫ではないのだろうか。ならば、こちらは真実でねじ伏せるのみだが、死を決意した間際であれほど忌み嫌っていた仕事に光明が差し再び生きる気を起こしたか? あるいは初めから? それとも偶然か。
「ともかく山手線でなければ帰れぬ」
「となると」
「やめぬか! 山手線以外でも帰れるが俺は山手線しか使わぬ」
「死んだら地獄に落ちるんでしょうね。いろんな人からお金をむしりとってきた……」
「ああ、俺の知っている地獄なら、地獄行きだろうな。自らを殺めるのは許されぬ行為、天国には受け入れられぬ」
「じゃあ生きていても死んでいても一緒か」
「いいぞ。その意気だ」
その手があったか。俺の心のふるさと、悪魔である俺が悪魔でいられる場所、地獄。自らを殺める行為は神に許されぬ行為。確実に死後地獄に落とされる。毎年莫大な金額のお年玉を送ってくるベルゼブブ殿にも直接礼が言えるだろう。しかし、俺はこのまま生涯を全うすれば叔父上であるミカエルが取り計らい天国行きにされる可能性がある。ああしかし葛藤だ。自らを殺めれば地獄というのは神が定めた規定、何故死後までも神のいいなりにせねばならぬのか。しかし俺は父のコネで地獄に行く気もない。しっかりと自力で地獄に行きたい。
「でもそれはキリスト教ベースのお兄さんの宗教であって、ウチの」
「ウチのと言ってしまっているではないか」
「弊社では死後の階級では虫にさえ虐げられる最も下の階級になります。信者にそう簡単に死なれては困るので」
「弊社と来たか。実際の地獄も法人だからな。貴様も大変なのだな」
「その言葉が、本当に嬉しいです。本当に……」
「だが貴様が死ぬことなど俺にはどうでもいい。好きにしろ。ただし、今日ここで死ぬな」
「こんな仕事ですが、もう一度やってみようと思います」
「そうか。……持っていけ。貴様が望むのならば仕事にも転職にも役立つだろう」
俺は先ほどカマエルから受け取った天国新聞ヘヴンタイムズ会員版を渡してやった。
「やっぱりプロの方じゃないですか」
「やめぬか!」





