東京悪魔の怒りと怒り
長蛇の列の先頭は動かない。かつて勇者が魔王を討つ竜の旅のゲームの3本目の作品は数キロにも及ぶ列をなしたという。行列の長さは、その行列の先頭にあるものの価値に比例する。例えば美味なラーメン。この東京で暮らす我々は美味なラーメンを我が手にせんとするために例えアルファルトを歩く蟻を焦がす炎天下だろうと、例え犬の肉球さえも凍えさせるような極寒の時期であろうと行列をなす。そして今、俺も今すぐかたっぱしから首を刎ねてやりたいようなガキどもと、そのクソガキどもにきちんと首輪をはめられない見た目がだけが大人になったガキ親に挟まれ、新作ゲームの発売日にゲームショップに一人並んでいる。ガキ同士で集まるガキ、親子連れのクソガキ、その中にただ一人、本来ならば持てる暗黒の力で目当てのものをかたっぱしから略奪できる俺が、列に並んで店の門が開かれるのを待っている。
事の発端は父の弟、即ち天使の中で最も格が高く、神の腹心である我が叔父、ミカエルの頼みである。叔父は天国取締役という役職にあり、日々書類にハンコを押すの仕事ばかりだけだが、気晴らしに現世の視察と言う名目の元現世の電子遊戯に熱をあげている。流行にも敏感で、天国では判を押しつつ持て余した時間を電子遊戯に費やしている。その叔父が目を付けた新しいゲームソフトだが、現世の通信販売は天国には対応していないため俺が代理で現世に買いに行かねばならない。前作の評価の高さから今回の新作は、発売前から愚かな予約なきものが発売日のゲームショップに列をなすことが容易に予想できたというのに予約をしなかったのは叔父、そして俺の不覚であろう。頬を伝う汗を袖でぬぐい、暑さを呪いながら開店を待つ。世間は夏休みとやらで、やたらとガキが多くやかましくてかなわない。その中で一人、ガキ共よりも頭が個分高い位置にあるいい年をした大人の俺が並んでいると、道をゆく行列とは無関係なホモサピエンスどもから好奇の目を向けられ、なかなかこたえるものがある。
「ケンの番とっておいたから!」
目の前の野球帽をかぶった小僧が、坊主頭のガキを自分と俺の間に招き入れた。
「おい貴様! なにをしておる!」
この炎天下の下ガキ共のやかましさと予約をしなかった叔父へのいら立ちが、一気に怒声となって飛び出した。野球帽と坊主頭は俺の悪魔の恫喝に死を覚悟したようにすくえあがったが、野球帽がすぐに表情を反撃のものへ作りかえした。
「ケンと約束してたんだよ! 場所とっておくって!」
「そんなものは通用せん! 後から来た者は列の最後に並べ! それが常識だろうが! 愚かなり、クソガキどもめ!」
語気こそ強まったが俺は正論である。しかし。坊主頭はガキである特権を生かし、その場で無様にべそをかき始めた。
「そんなに怒らくなくたっていいじゃんか……それに並びなおしたら売り切れちゃうよ……」
「フハハハ! それも貴様が悪いのだ! 大方寝坊でもしたのだろう、列の最後に並び、そして売り切れだったときは、それが貴様への罰だ!」
悪魔としての本質を一度忘れ、一社会人として社会の仕組みを畳み掛けていると、近くにいた無関係のガキ共の保護者が不穏な空気を醸し出し始めた。
「ちょっとあなた言いすぎじゃない?」
「子供相手に大声出してみっともない!」
なぜか紛糾されているのは割り込んだ小僧ではなく俺である。大人げなくガキを相手に怒鳴ってしまったことは俺にも非があるのかもしれない。反省すべき点は無きにしも非ず。いや。俺は悪くない。
「いい年して。ほら、泣かないで。ほら、気にしないで列に並んで」
と無関係の保護者が坊主頭のガキを慰めながら俺の前に並ばせた。さすがの俺も堪忍袋の緒が切れた。
「貴様らはそれでいいのか! 何のための行列だ! 一刻も早く確実に目当てのものを手中に収めるためにだろう! そのために或る者は半休を取り、あるものは慣れぬ早朝に無理やり覚醒した! そのような者たちが行列をなしておるというのに後から来た者が楽をしていい道理がどこにある! 小僧! 貴様がいるべき場所は俺の前ではない! この行列の最後尾だ!」
保護者たちの援護を受け俺の前にいけしゃあしゃあと収まろうとしていたガキは保護者からのさらなる援護を待つようにおえつを漏らす。どうやら俺の紛糾、弾劾、追放は自分に味方してくれる保護者にゆだねたようだ。この場にいる全員が、全く持って間違っていない、一片の疑いようもない正論の俺だけが孤立している。
そうか、そういうことか愚かで矮小で出来損ないのホモサピエンス共。坊主頭のクソガキが列に割り込んだことにより最後尾の者は売り切れの憂き目に遭う可能性が生じたが、ここで坊主頭のガキが割り込んでその後の列が一つずつ後ろにずれても、ここで俺を排斥すれば結局帳尻があう。人間とは、なんと短絡的で判官贔屓な生物だろうか。あまりの都合のよさに反吐が出る。
「あなた、幾つ? いい歳してこんな子供向けのゲームの列なんかに並んで、子供相手にあんなにめちゃくちゃに怒鳴り散らして恥ずかしいと思わないの!?」
味方が多く気が大きくなったのか、つばの広い帽子をかぶった中年のメスのホモサピエンスが高貴で邪悪なるこの俺に牙をむく。無知とは罪なものだ。罰を与えねばなるまい。俺は渾身の力でそのつばの広い帽子をかぶったメスのホモサピエンスに魔眼を向ける。つばの広い帽子をかぶったメスのホモサピエンスは少し怯んだようだが、やはり後ろ盾がある分己の身の程を過信して俺を睨み返す。
「俺が幾つだと訊いたな。貴様に答えをくれてやろう。光栄に思うが良い。我が名は青山ヴェルフェゴール。今年で齢30を数える。世間的に言う、良い大人、一端の社会人だ。その良い大人の社会人がなぜ、こんな平日の昼間から子供向けの電子遊戯の列にならんでいるか。それはこの俺よりも身分の高い者の命、即ち仕事を引き受けたからだ。故に半休をとって俺は今ここにいる。大人になってでも、従うべきものには従わねばならないのだ。いいか! この愚かで無知で恥知らずな者ども、よく聞け! この、いい歳をした一端の社会人たる俺が、貴様らに世間とはどういうものか教授してくれる! いいか、まずこれは先刻も言ったが、列には割り込むな! ……おい、そこの小僧。貴様だ。名をなんと申す」
「こんどうゆうじです」
俺より五つ前にいるメガネをかけたガキを指差し、おびえた表情のこんどうゆうじを俺の表情と視線で姿勢を整えさせた。
「先刻耳にしたところによると貴様、目覚めが悪い体質でありながら、この列に少しでも早く並ぶために目覚まし時計を二つ仕掛け、早朝に自分を起こすよう母に頼んでいたそうだな」
「は、はい」
こんどうゆうじは対岸の火事と思っていた列の後方で始まったいざこざ唐突に巻き込まれたことに動揺しているようである。
「貴様はそのことを誇るが良い。褒めてつかわす。胸を張れ。しゃんとしろ。貴様はこの限りなく遅寝や二度寝が出来る貴重な夏休みのうちの一日を列の前方に並ぶために費やした。真に列の前方に並ぶべき者とは、このこんどうゆうじのように睡眠時間を削り、苦手な朝を克服した者! そして俺のように半休を取り査定に響く者! その列の少しでも先に居たいがために何かに耐え、犠牲にしたことがいることを考えろ! そこの坊主頭のようになんの犠牲も払わぬ者が、この列に割り込む資格など悪魔の良心ほどもないのだ! 貴様ら人間のスローガンはなんだったか……そう、平和や平等などという歯の浮くものだったな。こそばゆい! 勤勉な者と怠惰な者の平等、こんな不条理が許されてなるものか! こんどうゆうじよ。安心して並ぶが良い」
こんどうゆうじは自信を持った顔と背筋で俺に感謝にも似た視線を送ったが、つばの広い帽子をかぶったメスのホモサピエンスは「だからと言って大人げなく怒鳴るなんて大人として恥ずかしくないの!」とあくまでも俺に牙を剥くようである。俺としたことが迂闊に人間のガキを励ましてしまう失態を犯してしまったが、次にすべきはこのつばの広い帽子をかぶったメスのホモサピエンスを説き伏せることである。
「大人げなく怒鳴るのが恥ずかしいだと? 恥ずかしいのは貴様ら保護者だ! 他人に叱られなければわからないように子供を甘やかし、子供でも守らねばならない社会の常識すら授けず、常識も守れない子供ここまで育ててしまった貴様は自責の念を感じないのか! どうせ貴様はこういうのだろう。それがウチの教育方針だ、と。愚かなり! そんなもの最低限のルールを守れる子供を育てるという最低限の教育を施したうえでのオプションに過ぎぬ! 恥ずかしいのはどっちだ! ルールもわからない、甘やかされて育った無知なガキ、そんな教育をしてきた貴様、当たり前のことを言っている俺! 今一度問おう。恥ずかしいのはどちらだ! 貴様らだろう! いい歳をして怒鳴って恥ずかしくないのかだと? 貴様ら保護者が、子供が過ちを犯した時に戒めるのを怠った分を、他人で大人のこの俺が今戒めているのだ! むしろ感謝してほしいくらいだ! 次は貴様だ小僧! いいか、人間は叱られているうちが華だぞ! 人間も悪魔も天使も、未熟な時期に叱られなくなったら終わりだ。誰しもが未熟な頃は過ちを犯す。だが、それを叱られないということは、貴様に関して無関心なのか、貴様が将来親に頼らない自立した大人になれなくてもいいか、こやつはいくら叱っても理解はしないと匙を投げなられたかだ! 即ち貴様の将来などどうでもいい、知ったことかと思われているいうことを意味するのだ! 小僧、貴様は今、知りもしない大人に怒鳴られて恐怖と怒りを感じているやも知れぬ。だが、理解しろ! 俺の慈悲を理解しなければ貴様はまともな人間になれぬぞ! どうだ! わかったか! 答えろ!」
俺はまだ泣きべそをかいている坊主頭を睨み付ける。つばの広い帽子をかぶったメスのホモサピエンスが何かまだぎゃあぎゃあと喚いたが、俺は「小僧と話をしているのだ」と無視した。
「ごめんなさい」
嗚咽を交えながら、坊主頭は誰に言われるともなくその場を離れ、最後尾に並んだ。つばの広い帽子をかぶったメスのホモサピエンスはまだ腹の虫が収まらないようだったが、それは俺も同じだった。坊主頭のあの言葉が本心なのかその場しのぎなのかはわからないままだが、もしそれが本心であれば俺は今日、人間を堕落させなければならない悪魔の本懐に背いて二人の少年の心を励まし、努力を推奨し、堕落した心を改心させてしまうというむしろ天使の範疇のことをやってしまった。そして一人の大人として、ガキに常識を思い知らせてやるにしても短気が過ぎたと猛省し、これで警察沙汰にでもなったら大した資格も学歴も職歴もない俺は一人の大人としてもう人生が断たれてしまう。列に割り込んだ坊主頭のガキは今日、見ず知らずの悪魔に叱責され、改心して列に並びなおした。ホモサピエンスのガキにとって悪魔の怒声はさぞかし恐ろしかっただろう。それだけの恐怖を感じたのだから、俺の分の電子遊戯の新作ソフトは褒美と詫びにくれてやる。そういう建前で俺は列を離れ、叔父に電話をかけて一部始終を話し謝罪をした。
叔父は「私はお前を責めたりはしない。お前を責めないのはお前が甥だからでも私が慈愛に満ちる大天使だからでもない。お前の言動は少し過激だったかもしれないが、間違ってはいないからだ」と優しい声で言った。
「人間の歴史を見てみろ。かつて、未熟な人間という種族が過ちを犯す度、我々天使は天罰を与えてきた。それでも幾度となく過ちを犯す人間に、天罰なんてもう馬鹿馬鹿しい。お前の方がよっぽど慈悲深い」
「叔父上の言葉はありがたく頂戴するが悪魔にとってはこの上ない侮辱であることも理解していただきたい」





