東京悪魔と大魔王ルシファー
引き裂かれる親子は悲劇の象徴であり、明日も人間が悲劇でむせび泣くことを明日に待望している我々悪魔にとって引き裂かれる親子は嘲笑の的であり糧である。
「久しぶりだな、ヴェルよ」
「大魔王殿」
品川駅は忌むべき我が生誕の地である。この品川駅を貫く聖なる鉄の輪JR山手線の内側に生まれてしまったがために我が悲劇は幕を開ける。その俺にとっての禁忌の地、品川駅のホームにて俺は蕎麦を注文し、箸を二つ取って片方を手渡す。
「今の私は大魔王でも堕天使でもない。息子との再会を喜ぶただのルシファーだ。父上、もしくはルシファーと呼べ」
かくいう我々、即ち俺と父上ルシファーも山手線によって引き裂かれた親子であるが我々は悪魔であり人間のそれと同じように悲劇と当てはめるのはふさわしくない。
父は魔王である。
かつてクソッタレの神の右に座ることを唯一許された存在である優れた天使だった父ルシファーは、年中無休の過酷な労働体制、現世での行いがよかった者のみを受け入れる天界の選民思想に反対、万人を分け隔てなく歓迎する世界の創造を神に提案し、却下された。自分の思想が最も高潔で哀れな子羊たちにも優しいと主張する父は、神から弾圧を受け神の教えに最も忠実な父の弟、即ち俺の叔父にあたる大天使ミカエルと熾烈な兄弟喧嘩を繰り広げ裁判に持ち込むも、天界の裁きを担当する者に神の教えに背く父の方を持つ者はおらず敗北、仕事を干された父は自棄を起こして地獄を作った。正義を貫くのが天国、自由を手に入れるのが地獄というコンセプトを打ち出し、自らが地獄の長に就くことで何人かの天使のヘッドハンティングに成功した。地獄が軌道に乗ってからは、神が「生前の行いが悪かった者は地獄行き」というプロパガンダを展開したが、その結果より敬虔な者だけが天国に招かれるようになり結果として父は天国の浄化に一役買ったことになる。神の前ではお役所仕事の役人ではあるがフレキシブルな姿勢と人々の幸福を願う叔父上ミカエルは父の手腕を認め、書簡で父に謝罪して神には秘密で和解、俺の誕生時にも叔父上は東京の上空に現れ祝福をしたという。父の万人を受け入れる地獄のコンセプトに魅了され転職した天使の中にはアザゼル、ベルゼブブと言った優秀な天使も含まれており、彼らの活躍によって現場を退いた父は気まぐれに世を忍ぶ仮の姿で東京の町をうろつき、当時高校生だった母に誘惑されるも鋼鉄の精神力で母が高校を卒業するまで清い交際を続け、俺が生まれた。しかし父は俺をその手に抱くことすらできなかった。何故ならあの時、父が一歩でも前に踏み出せば父もまた聖なる鉄の輪山手線に封印されてしまい、地獄の取締役が永遠に不在になってしまったからだ。地獄は地獄創設時の志を持ち続ける敏腕取締役大魔王ルシファーにより地獄としてなりたっているのである。そして家庭より仕事を優先した父を母は紛糾した。その軋轢は今でも解消されていない。しかし俺は父を尊敬している。現世、天界と並ぶ地獄を作り上げた手腕、そして現在でもそれを維持し続けるカリスマ性。一方俺は何を成し遂げたと言うのだ。吹けば飛ぶような小さな会社で領収書と向き合って電卓とキーボードを叩くだけである。
山手線の内側に足を踏み入れることのできない父。山手線の外に足を進めることのできない俺。我々は引き裂かれた親子なのである。故に我々が携帯電話もしくはパソコン越し以外で会話をすることが出来るのは忌むべき山手線の線路の上、駅のホームと山手線の車内だけなのである。
「父上」
「どうした息子よ」
「父上こそ急にどうしたのだ」
「凜々子は最近どうだ」
凜々子とは母のことである。母は齢48歳にして全盛期の美貌を損なわせず現在も世の男と言う男を誘惑し続ける魔性の女であるが俺が出来てからは一線を越えず貞操を守り続けている。だが母がアパレル企業で発揮した商才で稼いだ金額は計り知れず俺よりもよっぽど悪魔然とした姿から巷では悪魔と呼ばれている。そんな現世の悪魔である母に父は一途な気持ちを持ち続けており、会うたびに口を開けば凜々子はどうしている、凜々子は元気か、と俺に尋ねており今でも父の携帯電話の待ち受け画面は写真をスキャンしてデータ化した若き日の母の姿である。最近では叔父上をも巻き込んでSNSでの母包囲作戦を企てているようだが、叔父上のいる天界は地獄と違って現世の電波が受信できないようであり、現世のスマホゲームに傾倒してしまった叔父上は今、神に電波状況の改善を申し出ているようである。
「最近はスポーツクラブとホットヨガに通っているようだ」
「凜々子はどこか体が悪いのか?」
「美貌を維持するためのようだ」
「アンチエイジングというやつか。白斑問題のことを凜々子は知っているのか? 美貌よりも健康が第一だ。粗悪な商品に手を出してはならぬ。コラーゲンは良いと聞くぞ。多少値は張るが鮫の軟骨のサプリメントはよく効くらしい。絶滅危惧だのと言われているが地獄の情報ではまだ鮫は絶滅するほど減ってはいない」
「母上に直接言えばよいではないか」
「メール以外の全てをブロックされている。LINEもツイッターも通じぬ」
「叔父上は」
「ミカは基本的に現世の人間には干渉できぬ。うむ、だが凜々子が聖人と認定されればミカを介すことが出来るか? いや、それでは凜々子が地獄に来られなくなる。息子よ。やはりお前だけが頼りだ」
「鮫の軟骨のコラーゲンだな。心得た」
「うむ、流石は我が息子。時にヴェルよ。お前は妻を取らぬのか」
「父上と母上の惨劇を見れば結婚など出来るはずもない」
「私と凜々子はただの不幸な例の一つにすぎぬ。お前もそうなるとは限らない。もう30歳になるのだろう。私は心配だ。お前は人間として生きるのだろう。人並みの幸せを望むことが、人間の人間たる証拠である」
「いらぬ心配だ。俺は悪魔として生きる」
父は俺のことをどこかで観ていたのだろうか。まるで松田との関係を知っているかのような俺の最も干渉されたくないところをつつく言葉だ。
「そうは言ってもお前に流れる血の半分は人間だ。人間として生きる方が安定し、そして幸福な生涯を全うできる」
「純粋な悪魔である父上には混血である俺の気持ちはわからぬ」
「くっ……。そうだったな。父が無粋であった。お前の人生のことだ。お前が決めるべきだったな。だが、父は応援しているぞ」
「うむ」
「時に、凜々子は最近私のことを話すか?」
「父上、俺は一人暮らしをしているのだ。四六時中母上と過ごしているのではない」
「そうであったな。食うに困ってはいないのか?」
「父上は母上と俺、どちらが心配なのだ」
「両方に決まっておろう。私は凜々子の夫でお前の父だぞ」
「ならば、せめて近況を知っている俺のことを過度に心配するな。俺はもう30歳なのだぞ」
「ふ、息子に諭されるとはな。成長の証か」
「安心するがよい父上。母上の悪名を聞かぬ」
「そうか、そうか!」
「だが父上のことも話しはしない」
「そうか、そうか……」
「だが父上、前向きに考えることもできる。母上は良い行いを全くしない。法王以上に天国と地獄の両方に精通しているであろう母上は天国に行く気はないと見える。案外死後は地獄で父上とゆっくり過ごすつもりなのかもしれんぞ」
「そうなる日が一日も早く訪れることを望もう。だが凜々子には長生きをしてほしい。せめて孫をその手に抱く喜びを得るその日までは……。あぁ、我が葛藤を諌められる者が一体どこに在ろうか!」
「俺にさっさと結婚しろと言っているのか?」
「他意はない」
「父上と母上もそれぞれ再婚を考えればよいではないか。さすれば孫を抱ける」
「父はお前に重圧をかけたつもりはない。お前が私の言葉を重荷に感じたのであれば謝罪しよう」
「それには及ばぬ。時に父上」
「どうした息子よ」
「母上にもメールは通じるのだな?」
「メールだけならば。しかし返信はない」
「思い切って母上を旅行に誘ってみてはどうだ」
「旅行だと?」
「知人が熱海への旅行券をくじで当てたのだが、その者は多忙を極め熱海へ行ける予定などないと見える。父上が望むのであれば譲ってもらえるように交渉しよう」
「その者はどこに仕えている? 有給休暇すらも与えられないのか」
「ああ」
「その者が地獄に来ることを切に願う。適度な休暇が最も良い仕事させる」
「その望みは薄いだろう」
「しかし息子よ、よいのか?」
「構わぬ。いらぬ心配をさせた親不孝者からのせめてもの親孝行としてこの好機を受け取ってくれ」
「お前とその知人に幸あれ」
「うむ。ぬ、すまぬ。電話だ」
まるで測ったかのような機に我が携帯電話を悶えさせたのは、父が愛してやまない件の母である。
「どうした母上」
箸を割った父が俺の声と電話越しの母の声に聞き耳を立てる。
「あぁ、今は父上と会っている。故に俺の分は不要だ。……俺に言うな。父上と代わるか?」
父があまりにも所在なさげにしているので見かねた俺は母の返事も聞かずに、もじもじとしている父に電話を渡す。
「もしもし、我が名は地獄取締役大魔王ルシファーである。凜々子、息災か? それはなによりだ。……そうか。ヴェルには私が責任を持ってちゃんと良いものを食べさせる。凜々子。いや、聞き流してくれ。それでは失礼する。あ、あの、凜々子……。切られたぞ」
父は部下たちには見せられない、捨てられて死と救済を待つ路傍の犬のような顔をして俺に電話を返還した。
「鮫の軟骨と熱海旅行のことはなぜ言わなかった。言えなかったのか?」
「……案ずるなヴェル。まだメールがある。お前が私に齎した好機の糸はまだ切れてはいない」
「父上……」
「どうした息子よ」
「いや、聞き流してくれ。蕎麦が伸びる」
「そうだな」





