東京悪魔(12歳)vs吸血鬼斎藤(12歳)
母の妹の娘、即ち俺の従妹にあたるホモサピエンスが七歳を迎えた。
人間の寿命は短い。ついこの間までヒトの皮に綿を包んだだけのようなものだった従妹が一人で立って人語を操り、ランドセルと呼ばれる牛の皮をなめして組み上げたピカピカの鞄を背負い一人で学校に行くらしい。道理で正月にポチ袋で包む金額が増えていくわけである。
人の寿命は短い。かつては従妹と同じ年まで生きられない子供が多かったと言う。故に日本では現在でも子の三歳、五歳、七歳を祝う行事がある。かつては俺も母に連れられ日本古来の正装をさせられ、八百万の神々が暇を持て余す神社で写真を撮られたものである。従妹も七歳。七五三である。宴の後、自宅で従妹からもらった山ほどの千歳飴をかじりながら斎藤から借りた海外ドラマのDVDを見ていたら、奥歯の辺りに鈍い痛みが走った。慌ててかじっていた千歳飴を見ると右奥歯の差し歯が千歳飴にくっついて抜けてしまっていた。保険証を持たない俺は大慌てでさっき別れたばかりの母に電話した。千歳飴で差し歯が抜けたことを伝えると母は呆れ声でかかりつけの闇歯科医に連絡を取り、予約を取り付けてくれた。「どうしてこんなになっちゃったの」と闇歯科医も地獄の釜の蓋のように目を丸くしたが、このいい年をした誇り高き悪魔たる俺がたかが菓子ごときに夢中になり不覚を取ったと何度も言えるはずがなく、共通の知人である母に聞いてくれと説明を託した。
思い返せばこの差し歯生活ももう長いものである。生えたての永久歯をへし折られて以来とすればもう十八年にも及ぶ。俺の歯を折ったのは、俺に比べると下賤で不躾で全てにおいて劣るが人間よりは小指の甘皮ほどマシなあの斎藤である。
かつて俺はそろばん塾に通っていた。せっかく悪魔の子を授かったのだから普通に育てるのはもったいないという母のあまりにも身勝手な教育方針により出生届すら出されなかった俺は学校にも通うことはなく、専属の家庭教師がついて十八歳までに高校卒業程度の学力を身に着けた。しかし母は自宅という閉鎖された空間では息子が将来社会出て人間に紛れて暮らす、或いは地獄の軍勢を率いて人間共を血祭りにあげるための社会性が育まれないと判断した。故に他の子どもたちが小学校に通い始めるころ、俺はそろばん塾に入学させられたのである。当時、母は俺に糊の効いたズボンと高級品のチョッキを着せて金持ちとしての見栄を張り、俺は俺で何故悪魔である俺がなぜホモサピエンス共と肩を並べて弾を弾かねばならぬのだとぶつくさと文句を言いながらも休まず通い続け、そろばんの成績でホモサピエンス共に後れを取ると、七つの大罪・憤怒が血の池地獄の泡のように頭の先まで沸きあがり、まずはこのそろばん塾から世界を制圧蹂躙してくれるわと息巻いてそろばんを弾き続け、齢十を数える頃には既に俺に比肩する者はないほどのそろばん塾の魔王にまで上り詰めていた。ちょうどその頃、我が生涯最大の好敵手にして宿敵、そして無二の悪友斎藤と出会うのである。とにかく気取ったいけ好かない鼻につく姿は現在でも大いに面影を残している。ガキの時分から斎藤は斎藤だったのである。ピカピカのランドセルを背負っているくせに海外ブランドのポロシャツを着、ブランド物のジーンズだのチノパンだのを履いて小学生にあるまじき洒落た格好で、退屈そうなツンとした顔で凄まじい速さでそろばんを弾き、こんなもの出来て当たり前だと言わんばかりに俺を見て鼻で笑った。そろばん塾の魔王の座は儚くも新参の斎藤に奪われてしまったのだ。将来は医者になろうと言うものが馬鹿野郎では困るが、怠惰でなければならない俺もこの時ばかりは悪魔の本懐を隅に追いやり、魔王の座を奪還すべく粉骨砕身臥薪嘗胆の日々を送り、いつまでもパチパチやってるんじゃないの! と寝間着姿の母に叱責されることも少なくはなかった。眼中にはもう斎藤しかなかったのだ。しかし俺が王座を陥落してから約二年の月日、斎藤は一度も俺に王座を譲らなかった。
斎藤たちの学年が六に上がる頃のある日、俺は帰路でスーパーマーケットの前で繋がれている犬をからかう斎藤を見かけた。斎藤はランドセルを背負ってソフトクリームをペロペロ舐めているくせに気障に片手をポケットに突っ込み、一人ぼっちでそこにいた。先に斎藤に気付いた俺が満腔の嫌悪の眼差しを送っていると、それに気づいた斎藤がポケットから手を抜き気さくに手を振り「ヴェルじゃん」と俺を呼んだ。
「貴様、頭が高いぞ。俺を誰だと思っている。偉大なる母より賜った我が名は青山ヴェルフェゴール」
「アイス買ってやるよ」
当時から金回りのいい奴だった。そして目の仇にしていたはずの宿敵の施しを甘受してしまうほど俺は幼く、そしてアイスは魅力的だったのだ。斎藤は二つ目をアイスを食べながら、俺がアイスを貪る様をイヒヒヒと奇妙な笑い声を漏らしながら興味深そうに観察していた。
「なぁ、お前学校行ってないだろ」
と斎藤が言った。俺は無言を肯定としてアイスを食べ続けた。
「俺もだよ」
またイヒヒヒと笑った。
「このランドセルピカピカだろ? とても六年使ったとは思えないぜ」
「そうか」
「なぁ、お前もなんだろ?」
と斎藤がそろばん塾では見せない、期待と好奇が漲った造りのいい目で俺の顔を覗き込んだ。悪魔であることはまだ口外してはならないと母が口を酸っぱくして言っていたため背中を冷や汗が流れた。
「ほら、見てみろ」
斎藤は俺の答えを待たずに自らの口の端を摘まみあげ、歯を露わにして俺に見せつける。そこには人間のそれとは違う、刃のように尖った小さな犬歯が生えていた。
「俺、吸血鬼。クォーターだけどな。お前は牙ないけど、もう抜けたのか?」
後に聞いた話だが、吸血鬼は幼少期には鋭く尖った犬歯が生える。それは乳歯のみであり永久歯は人間と変わらないものが生えてくる。
当時も吸血鬼のことはテレビや新聞でかじる程度には知っていた。世界には人の血を飲まねば生きられない人種がいる。それは世界中が周知の事実だったが俺と斎藤がガキだった当時、人権団体が吸血鬼と言う呼称に鬼、という言葉が入っていることが人権侵害だと訴え、東欧で国を相手に人権団体が訴訟を起こしたことを発端に、各国の吸血鬼に対するスタンスの再確認と見直しが問われていた。日本に住んでいる悪魔の俺からすれば吸血鬼問題など人間とサルはほとんど同じとかカニとヤドカリはほとんど同じとかその程度でそれ以上でも以下でもないものだったが、吸血鬼の多く住むヨーロッパでは未だに解決されていない問題らしく、各国によって違う認識を万国共通にするべきだと世界中を巻き込んでの大騒ぎとなっていた。最も注目を浴びたのはEU圏の某国である。その国では「吸血鬼は人間ではない」と定められており、そのことに人権団体が憤慨。大使館が襲撃を受け「人間とそうでないものの境界線を引く」会議が行われた。そこで「人間と同じ言語を操る者は人間」という人権団体に対し、怒りが収まらない某国は信じがたいことにいくつかの単語を教え込ませたオウムを会議に出席させ「ならばこれも人間だ!」と主張する暴挙に出た。吸血鬼問題は泥仕合になった。そして対岸の火事ではなくなった日本もご多聞に漏れず、吸血鬼に参政権等の人権を与えられていないことを抗議し始める団体が現れた。すると、今度は日本国籍を持つ吸血鬼に参政権を与えるという公約を提示した政治家の選挙事務所が吸血鬼排斥団体により襲撃され、日本でも吸血鬼問題は泥沼化。これも後に知った話であるがとにかく当時は吸血鬼にとって暮らしにくい時代だったのである。
「俺は吸血鬼じゃない」
冷たく突っぱねたが、同じく純粋な人間ではない者に初めて出会えた喜びを柄にもなく感じ、毛嫌いしていた斎藤に親近感を覚えたことを記憶している。きっと斎藤は俺に人外のシンパシーを感じ、その喜びで吸血鬼への逆風が強い最中でありながら自らが吸血鬼であることを告白したのだろう。
「俺は悪魔だ」
肉親である母でさえ俺と同類ではないのだ。だが、初めて出会った同士のために俺は初めて母の言いつけを破った。
「悪魔? そんなもんいるの?」
「疑わしくば俺を山手線のどこかへ連れて行け。俺は山手線の線路をまたぐことは出来ぬ。悪魔は鉄の輪に囲まれると出ることが出来ぬのだ」
「マジかよ」
「誓って本当だ」
「じゃあ俺たち人間じゃない同士だな」
「ああ」
「最高だぜ。仲間が出来たらさ、一度やってみたいことがあったんだ。ちょっと付き合えよ」
斎藤はゴミを生垣に放り投げ、ランドセルを片手にぶら下げてどこかへと歩き出した。黙って後を追うと行き着いたのは黄昏に染まりつつある人の姿もまばらな公園だった。
「ケンカしようぜ」
愚かなり、幼少期の俺たち。俺も何故かその申し出を快諾し斎藤と殴り合い、取っ組み合い、そして敗北した。吸血鬼のガキ一人すら倒せないのではまだ人類を蹂躙するには力が足りないと己の無力さに悵恨の涙すら流したが斎藤を恨む気持ちは悪魔の良心ほどもなかった。俺が滂沱の如く涙を流すので、斎藤がランドセルを背負わせてくれたことも覚えている。俺がランドセルを背負ったのは後にも先にもこれだけだった。母を怨んではいないが無性に嬉しかった記憶として俺に刻み込まれている。この戦いで俺の鉄拳を受けて犬歯をへし折られた斎藤は、このあとすぐ中学受験のためにそろばん塾を辞めた。時を同じくして俺もそろばん塾を辞めた。母はケンカが出来る相手がいるのは喜ばしいと話した後、菓子折りと歯の治療費を持って斎藤の家に行き、同じように俺の歯の治療費を用意していた斎藤の親とそれらを交換した。
「クッ、今日は貴様の勝ちでよい!」
斎藤に奥歯をへし折られて血まみれになった口でその時に虚勢を張った。
俺の差し歯の日々は、未だなお続く俺と斎藤の仁義なき戦いの第一回戦からである。





