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東京悪魔  作者: 三篠森・N
東京人間模様編
17/43

東京悪魔の告白

「告白ですか」


「告白と呼べばそれは己の罪に苛まれる愚かな子羊のものになるだろう。俺がこれから話すことには、不死鳥の墓標ほども俺に罪はない。人間共が築き上げた虚偽の繁栄の弊害が理不尽にも俺に降りかかっている事実を述べるのであり」


 と歯切れの悪くなる口調を一度飲み込む。カマエルが話の続きをせがんでくれれば、それに応える形を作り上げられるので話しやすいのだが彼奴は耳を傾けるだけ、与えられる言葉のために鼓膜と脳味噌しか準備をしないのは聞き上手とは言えないだろう。


「貴様はJR山手線を知っているな?」


「はい」


「うむ。ならば、山手線がどのような形をしているかも知っておろう。輪を描いているのだ。貴様らの頭上に浮かぶ輪が如く。まぁ厳密には人間の心臓のような形だが……。悪魔は鉄で作られた輪を囲まれると魔力を失い、さらに封印される。俺は、山手線の輪に封印されているのだ」


「それは、真ですか?」


「事実だ。だが、このことは貴様の胸の内に秘め、他の存在が絶対に知ることなく過ごさねばなるまいぞ」


「神は、いつも我々を見守っていらっしゃいます」


 おのれ神め、人のプライベートの津々浦々を赤裸々に覗き見ることもやむなしの出歯亀が救済を謳うとは片腹痛し、と歯を食いしばるが魔力がないことも打ち明けてしまった今でははったりをかますことも最早滑稽、余計に神を楽しませるだけである。


「ですが、だとするのならば私が今日、こうやって仕事と偽り下界に降りてきて遊び呆けていることも、或いはノルマを達成できずに落胆している姿も神は知っているはずなのです」


「何が言いたい?」


「心を亡くすと書いて忙しいなのです。神はとても忙しい傍観者でいらっしゃる」


「なるほど」


「暗黙の了解、建前、決まり文句というものが、下界にはございますよね?」


 天使の職にある者の涙ぐましい信心と懐の深さに膝まで浸かり、その心地よさに本当に緩くなる涙腺を打ち消すついでに、一分でも威光が増せばよいと半ば自暴自棄に目をかっ開く。


「あれですよね? つまり、JR山手線の輪の内側には悪魔はヴェル様しかいらっしゃらない。いたとしても人の子とさして変わらない力しか持っていないということと認識してよろしいのですね」


「貴様の判断に任せよう」


「朗報です。ならば、私は勤務の時間に少し休み憩う時間が欲しいと思ったらJR山手線の近辺に悪魔が悪さをしていないか哨戒してくると言えば望みが叶いましょう」


 カマエルは両の掌を重ね両の瞳を閉じ、瞼の裏に焼き付けた神の姿に祈りをささげ、JR山手線の祝福と暴虐に感謝する。


「悪さと言えども、俺だって自転車泥棒をすることくらいは訳ないぞ。それに貴様、気を緩めすぎではないのか」


「神は七日日間で世界を創られました。そして最後の一日を安息日としたのです。安息の権利は認められているのですから」


 労働基準法で認められていると言いかねないなと悪魔に懸念されてしまうのが、あまりにも長い間下界の瘴気に触れて気が触れた哀れな天使の末路である。


「そうですね。ならばヴェルさんは東京限定の悪魔、さしずめ東京悪魔」


「東京悪魔」


 楽団の題目のようではないか。東京悪魔。


「ならば、23区担当の貴様は東京天使」


 しかし、何故か悪い気はせず気分がよくなって安易な冗談を口走る始末である。


「三度お伺いしますが、その東京悪魔様がこの東京天使めにどのようなご用でしょうか」


「うむ、俺の秘密を悟られず、知人に東京の街を案内してその快楽に溺れさせたいのだ。しかし、東京と言えども広し、山手線の圏内などスフィンクスの額のようなもので、俺が案内するにはいくばかしか心もとない。ならばその狭い範囲の質を高めたく、実際に東京を行脚したい。貴様にはその片棒を担がせ、忌憚のない意見を述べてほしい。俺と貴様はもう、神にも地獄にも知られてはならぬ秘密をお互いに握り合っているのだからな、互いに遠慮することもなかろう」


「なるほど、ヴェルさんの庭を案内するということですね」


「そういうことになるな」


「ふむ」


 カマエルは顎に手を当て、思案を巡らせる。


「山手線の内側となると、非常に手狭です」


 カマエルはショルダーバッグからセロハンテープで継ぎはぎされた一枚の日焼けした地図を取り出し、ベンチに広げて置く。紙のくたびれ具合からカマエルの苦労がうかがい知れる。


「逆に、ヴェルさんが立ち入れない場所で魅力のある土地となると、日暮里より東は全滅。浅草はもちろん、両国国技館、東京スカイツリーもアウトですね。銀座も圏外。東京湾を一望するお台場、豊洲にも行くことは叶いません」


 腕を組み、背筋を伸ばして少し顎を突き出し地図を高い位置から睨みつける。


「渋谷、原宿などはお連れが若い方ならばお勧めしたいところですが、線路の内側だけとなると、山手線の封印のことを隠し通すのは厳しくなるでしょう」


「渋谷はならぬ。いけ好かない女子高生共や髪を染めた生意気なガキ共が大手を振るっていて目を回す。それに足を延ばせばすぐに代官山だ。視界に山手線の外側の街がちらついては、胃が痛む」


 代官山を指差し、そのまま人差し指の伸びた爪で傷跡をつける。


「以上のことを踏まえると、ショッピングやおしゃれを楽しむ街の望みは断たれたとみて間違いないでしょう」


「ふむ」


 松田(まつだ)のことをよく知っているわけではないが、俺が知っている松田は洒落た街の空気を吸うことに快楽を覚えるような人間ではない。背伸びをして着飾り、玄人ぶらねば楽しめない街よりも、安く、そしてわかりやすく楽しい街。そして、山手線の中心になるべく近く、すぐ外側にある何かに足を運ばれないような街。


「俺の見立てが正しければ、そのツレはなるべく金のかからない散策を好む。だが、以前はアンティークの喫茶店に誘われたことがあったな」


「しかし、いくらなんでも立ち食い立ち飲みまで質素では、相手の方にも失礼ですし」


「そうだな。呼び出されて立ち食いでは相手の気分も悪かろう。どうせならもっとよい体験を用意すべきだ」


「と、なるとテーマが必要ではないでしょうか」


「テーマとな?」


「ただ闇雲に歩き回るだけでは疲れてしまいますし、山手線をくぐることも無きにしも非ず。山手線の中に繋ぎ止めておくテーマを提示して、それに関連づいた地を巡りましょう」


「なるほど、繋ぎ止めておく、か」


「その方が盛り上がりますし、楽しみ方を最初から固定できるので」


 テーマ。東京は娯楽には事欠かない街であることは言うまでもないが、その中から一つのテーマを選び出せと課題を突き付けられると非常に難しい。膨大な選択肢の中から松田を満足させるもの間違いなく選び出せるほど、俺は松田のことを知っている訳ではないとカマエルから出された助け舟をにべにもなく沈めそうになるほどの及び腰で、地図を眺めて眉間に寄る皺に辟易する。


「本郷。学生街はどうだ?」


「いいと思います。お寺が多い場所みたいですね、私も仕事では門前払いされてしまうだろうとあまり足を踏み入れたことがありませんが、すこし歩けば山手線に接近することにはなりますが上野公園も! そういうのがお好きな方にはもって来いのルートですね」


 悪魔の端くれとして、神を祀った社に行くのはいかがなものかとも思うが、どうやら俺が嫌悪感を覚える神がいるのは教会だけらしく、神社や寺では仏や八百万の神の誰かがごろごろだらだらしているのが視界のあちこちに鬱陶しく入り込んできても、それに目を瞑れば寺社の持つ古風で物憂げな雰囲気は、足しげく通う訳ではないが、どちらかといえば好みである。松田が寺社巡りや下町の空気を好むのであれば、よい選択肢だろうとしばし自分の意見に酔いしれる。


「では、行ってみますか」


「あ、なんだ、そのカマエルよ。俺は電車には乗れぬ。徒歩でも構わないか?」


 いつもどうやって移動をしているのですかというカマエルの問いに専ら徒歩である旨を伝えるとカマエルは「健脚なのですね」と答えた。俺は山手線に封印されている身であり、鉄道に乗ると山手線をくぐってしまう可能がある。山手線の輪を出ようとすると全身に鎖で縛りつけられたような全身の重さと苦痛が体を襲うため、うかつに電車に乗ることはできない。


「しかし、ヴェルさん。これは考え物ですね。デートで長距離歩くとなると、健脚のヴェルさんはよいとしても女性はおめかしをしてどんな靴を履いてくるかわかりませんから」


「ま、待てカマエル。誰がいつデートだと言った!?」


「カマエルだけに、カマかけてみました」


 カマエルはエンジェルのスマイルで俺を威圧する。その美しさに、俺には松田というものがありながらもいくばかしか心を揺さぶられた。相手は天使だ。しかも性別はない。人間かカタツムリかと問われればカタツムリに近い性別だ。


「違うんですか?」


「ふん、いいか、カマエルよ。俺には友人が二人しかいない。吸血鬼のクォーターの斎藤と、天使の貴様だけだ。だが、俺は悪魔。数少ない貴重な友人にも、俺は簡単に嘘をつくぞ。ならばわかるだろう。俺は貴様に、デートプランを相談しているのではないということを」


 カマエルの誘導で陰湿な質の悪い罠にまんまとはまってしまった俺は、馬鹿正直にこれがデートプランの相談であると答えるのはあまりにも気恥ずかしいと、言葉ではそういいつつも、裏腹な真意はカマエルの斟酌に託すことにして、肯定とした。


「実際に歩いてみましょうか」


 と本郷方面にぶらぶらと進軍を始める。少しばかり足を進めれば、道行く人間共の顔ぶれはどんどんと若い者になっていく。

 「そろそろ昼食を食べましょうか」というカマエルの提案に乗り、俺も目ぼしい店を探すがどれもこれも破格の殺値、さすが日本の最高学府、東京大学のお膝元だとこの食事の値段にも合点がいく。また、以前松田が行きたがっていたアンティークのしばし凝った喫茶店もちらほらと見かける。「松田が好きそうだ」という俺のつぶやきを聞き逃さず、カマエルは「いいじゃないですか」とまた楽しげな声を上げる。


「学生街とか下町がお好きなら、お茶の水もよろしいのでは」


「参考にしておこう」


 東京大学の学食にて、この日本という狭小な国で最も優れた頭脳を持つ若者共に囲まれ、いささか肩身の狭い気持ちにはなりながらも昼食を済ませ、天界は今どうなっているのか、地獄の様子はどうだと他愛もない会話をするために口と足を動かすこと数分、街の空気のにおいががらりと変わる。若い活気と嬌声ばかりの学生街から、昔ながらの建物が軒を連ねせんべいを焼く独特の香りが鼻をくすぐるようになり始める。


「いい街ではないか」


 と財布のひもをあちこちで緩めながら、来るべく終焉ではどこから先に破壊してやろうかと品定めすると、どうもノスタルジーな印象が勝手に俺の心を侵食し始めたようで気分がいいやら悪いやらと小さな葛藤が起きる始末だ。


「お、留学生のカップルさんかい?」


「断じてそんなものではない!」


 気さくに声をかけてきた中年男性を思わず一喝してしまった。留学生に見られたことよりも、カマエルとカップルに見られたことが気恥ずかしいやらなにやら、俺の心中が穏やかでないことは、自分でも思いもしなかった強い口調の否定でも明らかだ。


「すみません、彼、ちょっと照れちゃったみたいです。ここはなんのお店でしょうか?」


「お、お姉ちゃんも日本語上手だ」


 と、カマエルが店主と俺の間に流れる一触即発の前の緊張感を取り繕う。どこまでもよく出来た相棒だとついしゃっぽを脱ぐ。


「ここはね、福引の店だよ。このガラガラを回して、いい玉が出たら商品プレゼント! 本当は3,000円以上の買い物をしなきゃいけないんだけど、お姉さんは可愛いし、ご機嫌斜めのお兄さんは気晴らしに引いていってください」


「ありがとうございます。あなたにも、神のご加護があらんことを」と嬉しそうにカマエルは神に祈り、俺は意に反して怒鳴ってしまった恥ずかしさと店主への詫びのつもりで苦笑いを浮かべ、運命の車輪のような福引を回す。

 がらぁん、がらぁん! と店主が終末を告げる鐘のようなもの景気よく振り回す。


「二等賞ー! 熱海温泉旅行プレゼント! お兄さん、日ごろの行いがいいおかげだねぇ。神様はいつも見てくれてるよ」


 山手線から出られない俺に熱海だと? 日ごろのいい行いだと? 苛立ちの燻りに油が注がれる。馬鹿にしているのかと俺の怒りは渦巻く業火へと燃え上がったが、最近は人間共の世界のルールではことを荒立てないようにと自制することが大切だと覚えてきたので下唇と共に怒りも噛み殺し、悪いのは運命をつかさどる神のヤツのせいということにして苦笑いで店主から熱海旅行の目録を受け取る。 

 がらぁん、がらぁん、がらぁん! と店主がさらにけたたましく鐘を鳴らした。


「一等賞! お姉さん、この商店街の商品券十万円、もってけ!」


「カマエルよ、本当に神のヤツはこれを見ていないんだろうな?」


 商品券を受け取ったカマエルは至福の表情で商品券を握りしめ、俺に手渡す。


「前に仕事で来た時にパチンコスロットなるものできまぐれに遊んでみたところ、どうも大当たりが何度も続いたようで。はやり、神はいつも我々を優しく見守っていらっしゃる」


 先ほどまで神の怠惰っぷりについて語っていた者と思えない口ぶりだ。


「ヴェルさんは熱海には行けませんから、私の商品券と交換しませんか?」


 とあまりにも屈託のない笑顔で厚意を向けられてしまうと心の靄も晴れてしまう。


「ありがたくいただこう」


 と目録をカマエルに渡し、商品券の束を鞄にしまう。


「デートプランとしてはなかなか参考に慣れたのなら幸いなのですが」


「むしろ上々だ。常に失敗せぬように気を張らねばならない本番よりも、貴様と考える方がいくばかしか気が楽で、俺も有意義で楽しい時間を送れたと言えよう」


 しかし。

 カマエルより美しくなくても、カマエルより気立てが悪くても、カマエルより気を張らねばならない相手だとしても、やはり俺は松田とこの散策をしたかった。


「しかしカマエルよ、俺はやはり松田が好きだ」


「その気持ちが大切です。私も悠久の時の間、人間たちを見てきました。おぞましい戦争も愚かな諍いも、時代の変遷全て見てきましたが、いつの世も変わらないのは人間にとっては愛こそが最も強い力であり、愛が美しいのは変わらないということ。是非、ヴェルさんも松田様を愛してあげてください」


 カマエルはこっ恥ずかしくそして顔をしかめるほどくさいセリフを微笑を湛えた美しい顔で言う。


「貴様に言われずともわかっておる」


 もし、カマエルに性別という概念があったのだとしたら。

 カマエルは誰を愛し、誰に愛されるのだろうか。もしカマエルに性別があったら、俺は揺らいでしまったかもしれない。それほど愛すべく人格を持ちながら、信仰としてしか愛されない天使という存在であることに俺は一抹の悲しみを覚えた。


「カマエルよ」


 かじるせんべいの醤油の香ばしいにおいで照れ紛らわす。


「俺は、貴様……ぬぅ、カマエルよ、この俺が人間として、貴様を信仰の対象ではなく友人としてその魂を愛してやろうぞ」


 瞬きのほどの一瞬、言葉を選ぶ時間に要したのかカマエルは言葉を発さず微笑んだ。


「ありがとうございます。私も、友達はいませんから。どうぞ、信仰の対象ではなく、私の人格を愛してください。私は神から様々なものを授けられましたが、最も嬉しかったのは、人格です。ただ任務を遂行するだけでなく、人間のそれとぼぼ同じ人格。だから私も愛が欲しいと渇きを覚えるのです。ヴェルさんは、私を愛してくださると仰いました。私の唯一の、でも一番のお友達です」


 鼻のむず痒さが消えると、今度は体中が熱病のように火照りはじめ、俺は自分の言った内容を反芻してしまい、俺の中にある窯に何度も薪をくべられたようにますます体が熱くなる。

 カマエルは腕時計を一瞥し、空を見上げた。


「お時間です。私も久々に羽を伸ばすことが出来たし、ヴェルさんとお散歩出来て今日はとても楽しかったです。私も天から、友達の恋の成就をお祈りしています」


 とにこやかな笑みを浮かべたまま、翼を広げた。


「神の加護があらんことを!」


 と、一瞬にして俺の前から姿を消してしまった。


「それはいらんというのに」


 とこぼし、鞄の中の商品券に一度触れてカマエルのためにも松田との本番は絶対に成功させねばと決意をより強固なものにし、俺は帰路に就いた。

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