東京悪魔の自問自答
東京という街は非常に狭小な地でありながら何かを楽しむには事欠かない街であることはもはや言うまでもない。
ショッピングを楽しむのなら原宿に銀座。アニメや漫画が好きなら秋葉原や池袋。靖国神社や明治神宮をはじめとした寺社巡りをして天啓を受けたり、こげ茶色の哀愁に浸るのも良いだろう。文化や科学の歴史を見学し教養を身につけたいのなら上野まで足を延ばせば事足りる。明治神宮と東京ドームに行けば白い球体を遠くへ放り投げたり棒で殴り飛ばしたりする競技、野球を観戦することも観ることが出来、と享楽の髄を結集させて街だ。
「面白きこともなき世を面白く」
誰かが面白さを提供してくれる面白さを待つのではなく、自ら世を変え面白くしてやろうという心根は悪くない。我が物顔で世を跋扈する人間共を皆殺しにし、悪がこの世の理となる面白い世界にしてやりたいと俺も常日頃思っている。しかし、悪という概念はどうも人間共には高尚すぎるようで、人間のために何かを計らってやるのに悪をテーマにするのは不適だろう。
東京名所めぐりはとバスツアー。
東京ディズニーリゾートを完全網羅ホテルパック。
「東京に住む者が楽しめる東京ツアーはないのか」
先日、喫茶店に誘われたにも拘らず山手線の外側だったために足を止め、頓挫してしまった埋め合わせを松田にしたいと思っていた俺は、ふとネットで東京の行脚について検索し、そして東京在住者に優しくない紹介共に落胆した。東京に住んでいるのにわざわざはとバスでガイドに案内されながら名所を巡ることもない。東京ディズニーリゾートなど問題外だ。かの地は東京ではなく千葉である。当然山手線の外側である。つまり俺の庭から出た場所にある。論外だ。
しかし、得たものが何もない訳ではない。埋め合わせをしようと松田に連絡を取ったとして、その行き先を松田に委ねれば先日と同じ結果になることは火を見るよりも明らかなので、予め俺が行き先を決めてから連絡をした方がいいということだ。それならば不測の事態でも起きない限り、山手線の外側に出てしまうこともないだろう。
「愚かなり……」
俺にはどこへ行けばよいのかわからない。松田の好みもわからなければ。29年という時を過ごした東京という地で飽きていない土地はない。どこへ行っても既に目新しいものは見当たらず、あくびをかみ殺すことになるだけだ。
携帯電話をいじり、誰か相談できる相手を探す。
斎藤に尋ねるのは癪だ。奴は不愉快な吐息を漏らして俺をからかい、話の核心からはウナギのようににゅるにゅると逃げてはぐらかし、まともには答えないだろう。また悪魔29歳からの青春だの東京引き籠り悪魔だのと言われるのが関の山だ。仮に参考になる答えを俺に献上したとしても、当日は尾行でもして、後日得意顔でダメ出しをするだろう。あの男の辞書に真面目や誠実、美徳といった言葉はない。面白きこともなき世を面白く、を周囲の迷惑を考えずに実行するエゴイストだ。
母は。いや、母親にデートプランの相談などマザコン以外の何物でもない。
ならば、あの原理主義の吸血鬼どもはどうか。いや、今ヤツらは夏眠に向けて血を集めることに余念がなくそれどころではないだろう。ヴェル様ともあろうお方が人間如きのご機嫌をうかがっている、と見損なわれる可能性も、吸血鬼どもが意気揚々と松田を噛み殺しデザートにする可能性も、無きにしも非ず。そもそも俺は奴らの語尾に「ッス」とつけ足すだけのスポーツ敬語が気に食わない。蛮族共め。
「貴様しかおらぬか」
「来ちゃいました。ヘヴンタイムズはお気に召しました?」
もしも物質以外をとらえる目が人間共にもあったのなら、俺の頭上に天使の輪のように疑問符がいくつも浮かんでは消えるのが見えただろう。
「貴様、カマエルか?」
「はい、カマエルでございます。ふふ、ヴェルさんにご契約いただいてノルマも達成、今日は視察という名目の下、遊び半分で下界に降りてきました」
「そうか。時にカマエル。貴様は男ではなかったか?」
深淵の碧眼も人間共を虜にして駆り立てた黄金のような流れる金髪も以前のままだが、髪の長さが違う。そして身の丈も違えば、体つきも違う。彫刻や絵画に描かれる女神でたびたび描かれているシンボリックで過剰なふくよさかさを取り払ったような細身の芸術のような美しく若い女が、動けばぱりりと糊が割れる音が聞こえるような背広を着て、首から定期入れに似たIDカードフォルダーをぶら下げ、待ち合わせ場所の東京ドーム22番ゲート前に突っ立ち、自分は新聞拡張員カマエルと同一の存在だと主張するのだから、ただでさえ松田のことで気を揉んでいた俺の混乱はますます強まるばかりだ。
「人の子と違い、天使に性別という概念はないのです。下界に降りてくるときは混乱を避けるよう、人の子を模した姿になりますけどね」
「なるほど、男の姿になるも女の姿になるも貴様らの勝手ということか」
「はい。私は仕事の時は男性、そうでない時は女性としています。悪魔はそうではないのですか?」
「俺の半分は人間だ。他の悪魔は知らぬ。だが、性別があるゆえに知りえる世界がある。七つの大罪に邪淫があるようにな」
そう。今、まさに俺を苦悩させているもののように。
「天使と悪魔、必ずしも対になる存在だということではないようですね」
新聞契約のために感情を押し殺させ、天使にあるまじき姿をさらさせるほどの疲弊に追い込んだ天のノルマという名の鎖から解放された喜びか、カマエルは感情の堰が決壊し、氾濫する幸福に流されすぎてその位置取りがうまくできていないようで、天使として本来あるべきの祝福に満ちた笑みが顔面から消えない。思えば、松田も仕事を辞めてからは随分と空気の味が美味になったようだった。カマエルも一時的とはいえ仕事を背負わなくてもよいことで、文字通り羽を伸ばしているのだろう。
「今日は何か御用が?」
「う、うむ」
東京を二人で遊び歩くのに適している場所はどこかと実際に地に足をつけ思案したい。新聞を売るために東京23区を行脚したお前なら役に立つこともあるだろうし、一番害がない。と本人を目の前にして言うことは並大抵の度胸では叶わない。
「新聞の売れ行きはどうだ?」
カマエルが人間として地に降りるための器の形を変えてしまったことは俺にとって都合がいいのか、それとも悪いのか。
「おかげさまで、上の者が懸念していたほど悪くはないようです。ほら、日本は宗教が自由な国ですから。仏教、地祇。失礼ですけど」
カマエルは俺以外には聞き取れないくらいまでに声の量を落とし、口元を隠し、信号待ちをしているタクシーを指差した。
「あの車を運転しているのは、天狗です。あちらの女性は狐、そしてあちらは狸親父でいらっしゃる。そういう各々が信仰の対象でもある方々の多い国ですから、我が父の教えに耳を傾けてもらうことも叶わず、門前払いされるばかりだろうと思っていたのですが」
「天狗とな?」
「何をおっしゃいますか。天使がいて、悪魔がいて、今更驚かれて」
東京の人種のサラダボウルさに舌を巻き、「貴様は地を這う蟻の顔の見分けがつくのか?」と屁理屈をこねて、己の無知を煙に巻く。
「日本の国は同一の民族が数千年以上支配している島国でありながら、多種多様の存在が多く見られ、融通の利く方もたくさんおられます」
「ほぅ」
「で、今日はどういった御用で?」
む、と自然に唇と表情が歪んだことが顎にかかる不愉快な負荷でわかった。
自分の抱えるコンプレックスを他人に打ち明けることは綱渡りにも似た非常に危うい行為である。しかし綱を無事渡りきることが出来れば称賛の声を一身に受けることもまた然りである。弱みを晒すことを果たして是とするか非とするか。それは己の悩みの種を吐露した相手が親身になってくれるか、それとも意気揚々と吹聴して嘲笑う愚か者かでどうかで、結果を分けることになる。後者のような不届き者が存在することは斎藤から身をもって知らされているがカマエルは前者であると信じたい心もある。なにせ奴は天使でだからだ。天使が誰かの弱みを握ったことで、ほんのちょっぴりの悪戯心が、内に秘めたる悪意をつっついて刺激し、他人に害をなすようになるとは考えたくもない。天使を信頼してしまうのは悪魔としてあるまじきことではあるが、今回ばかりは母親のへその緒から栄養を受け取って胎児の時期を過ごした人間としての生まれを言い訳にしてしまおう。
「カマエルよ。貴様、口は固いほうか?」





