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東京悪魔  作者: 三篠森・N
東京人間模様編
14/43

東京悪魔、転職を考える

 大雪原の如き白き履歴書に吐くための呪詛の言葉を思い浮かべながらパソコンのキーボードを叩いていると、どうしようもない孤独を感じる。

 母の面子を潰さぬために籍を置いてやっていた以前の職場の紹介で労働を始めた自宅により近い位置にあるこのオフィスだが、若い社員が多い吹けば飛ぶようなサークルのようなベンチャー企業であり、老後の生活を考慮するといささか不安が残る。パソコンの扱いには多少心得があるつもりだが履歴書に記せる資格を持っている訳でもなく、面接と呼ばれる人間の傲慢な行為にもう一度耐えてやれる自信もない。今のこの職場に満足していることと言えば社長が愛煙家で喫煙者に寛大なことくらいだが、それとて煙草を吸い始める数か月前までは気にもかけなかった程度の長所であり、これまでの勤務五年を鑑みれば長所などなかったに等しいものである。しかし頻繁に喫煙のために席を外してもそれが常識とみなされるのはありがたい。煙草の本数が増えるばかりだ。


青山(あおやま)さん、最近引っ越し考えてるんだって?」


 青山とは世を偲ぶ仮の名であり母の姓である。淡崎(あわさき)は1歳年下の28歳だ。扱いに困る年下の上司である。なんでも学生時代から社長とインターネット経由で親交があり、大学卒業と同時に社長の起業の際に上京、以後腹心としてカリスマ社長の犬となり、尽くしてきたと言う。それだ。それが問題だ。20歳という若さで起業し、どこの馬の骨とも知れない二十歳そこらのガキ仲間と東京の一等地で道楽なのか真剣なのかわからない仕事を始め、カリスマカリスマとおだてられ、古株だと言う理由だけで管理職が年下ばかりで俺が下っ端というこの状況が許せない。


「何故貴様がそれを知っている」


「社長がこないだ青山さんを不動産屋で見たってさ」


「あやつ、今度は土地転がしでも始めるのか?」


「新居だろ」


 煙草をくわえてくぐもった声で淡崎が言った。


「新居とな?」


「あれ、知らなかった? 社長今度結婚するんだよ」


「な、にィ……相手は誰だ。あの手に余るじゃじゃ馬を乗りこなせる男がいるだと?」


「副社長」


「信じられぬ」


「俺はなんとなくわかってたかな。一二三(ひふみ)はキクのこと好きなんだなってさ」


 俺がこの職場をガキのお遊びと称する要素の一つとして社員同士があだ名で呼び合うことであり一二三が社長、キクが副社長である。


「あの男、大人しそうな顔をしてうまいところだけ持っていきよる。逆玉の輿というやつか。一族経営か。ますますやっておれぬ。結婚式場はどこだ。血の雨を降らせてくれよう」


「青山さんも転居を考えるんならさ、煙草はやめておいた方がいいんじゃないのってこと。まぁあの二人も身を固めてもおかしくない年だし、俺たちもそろそろじゃない? 親がうるさくなる年だろうし。それとも独身貴族ってヤツ目指してるとか? 俺はさっさと相手を探すぜ」


「ふっ、笑わせよる。貴様如きに遅れをとるか」


 俺が転職に踏み切れない最大の理由は不幸にも職場の人間関係がうまくいってしまっていることである。




 披露宴は赤坂の豪華絢爛なホテルにて行われた。招待状が送られてきた時こそ、もし会場が山手線の外だったら血の雨を降らせてやれないのではと危惧したが杞憂に終わった。転居を考えていると言うのにお祝儀なる参加料を払い、節制を心がける悪魔にあるまじき質素な日常生活ではまずお目にかかれないであろう食事の品の数々のかぐわしい香りと光沢さえ放っているような美しさに俺の半身を占める忌まわしき人間の血の本能を抑えきれず、一口食べてしまえばあとは味覚を中心とした得難き幸福に体を乗っ取られ、もはや黄金でさえも霞んで見えてしまう品々を前に箸を休める暇がなかった。酒も普段飲んでいる安チューハイやコンビニ葡萄酒とは訳が違う。今食わねば、今飲まねば今世紀中に味わうことはないだろうと俺の中のけちんぼうが俺の矜持を封じ込めた。あまりの美味にいつもよりも早く酒がすすみ、あっという間に酩酊して淡崎の演奏でてんとう虫のサンバを歌ってしまう失態まで犯した。愚かなり、俺。


「結婚式でパートナーを見つけるパターンもあるからな。青山さんは目ぼしい人見つかったか?」


 俺には心に決めた者がいる。俺と契を交せるホモサピエンスは松田(まつだ)を除いて許可せぬ。とは気恥ずかしくて言えるはずもなく、淡崎と同じ年下の上司である鈴木(すずき)と同じ席に座っている美形のホモサピのメスを指差し、


「あれはどうだ?」


 と言う。淡崎は「佐藤(さとう)さんは既婚だよ」と笑いながら言った。


「ふ、残念だ」


 などと口走ってしまう始末である。


「青山さん、スピーチとかしない?」


 花嫁直々のご指名で俺に余興の番が回る。同僚共は「青山さんはおもしれーからな」と声を飛ばす。よいだろう。酒に身を任せてこの場を血と殺戮の演戯に変えてみせようぞ。


「我が輩こそただいま紹介にあずかった青山ヴェルフェゴールである。青山とは世を忍ぶ仮の名、そして新郎新婦の下で働いているのも世を忍ぶ仮の姿に他ならぬ。我が本性は悪魔。我が輩は悪魔である」


 冗談だと笑っていられるのも今のうちだ。今に貴様らは全員血祭りにあげてやる。そうすれば迷うことなく次の職場を探すことが出来よう。


「フ、フハハハハハ! 誇りに思うがよい、新郎新婦どもよ。貴様らは世を忍んでいる仮の姿とは言え、悪魔を従えていたのだぞ! 悪魔さえ従わせる新婦のカリスマ性、褒めてつかわす。先ほど貴様らが永遠の愛を誓った神の野郎はきまぐれに貴様のような優れた人間を生むからな。貴様の子も悪魔を従えることの出来るような大物になるか、今から楽しみに待っていてやろう。結婚は人生の地獄と言う。まだ見ぬ我が故郷、地獄。羨ましいではないか、俺よりも先に貴様らが地獄に行けるとはな。せいぜい楽しむがいい、寒い冬には家畜の亡骸を切り刻んだものを入れた鉄鍋を夫婦で囲み、色が変わるまで煮込んでやれ。新郎が地獄の苦しみで喉元を掻き毟り、衣が損傷したならば、新婦は針山地獄の針で繕いながら指先をついて血を流しながら己の不器用さを呪うがいい。地獄……。フーハッハッハッハ! 地獄か! 苦しみ、痛み、叫び声! なんと素晴らしい! クッ、俺も早く地獄に行きたいものだ。地獄は苦しいぞ。現世の縁、東京の地より、俺が祝福してやろう。夫婦、揃っての……地獄行き、おめでとうとな!」


 あまりにも愉快で涙が目を濡らしたので袖でそれを拭き俺の演説を讃える拍手を浴びながらマイクを手放した。淡崎が生意気にも背中を叩きながら「やっぱ青山さんはキャラがぶれないな」と紙ナプキンを差し出したのでそれを受け取り席に着く。


「やっぱりあんたスゲェなって思いましたよ」


 仕事は出来るが無愛想で己以外の全てを見下しているクソ生意気な木村でさえ俺を称賛している。

 愚かなりッ、俺ッ! 酩酊さえしていなければ……。落涙などという無様な姿を見せることもなかっただろう。それを見てしまったこの場にいる貴様らは全員有罪だ! 俺が真の力を取り戻し、人間共を一匹残らず駆逐するまで、俺は今の職場で貴様らがこのことを吹聴しないように監視しなければならない。転職はその後だ。

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