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5 自動車の消えた国 (騎兵編)

 鉄道の次は、公道を走る乗り物です。

 博人が懲罰大隊の最寄り駅を降りたのは、正午を少し過ぎたころだった。

 近畿地方はS県にある、大きな湖を東に望むその駅は、水辺のそばだけあって昼間でもまだ肌寒い気がした。海風ならぬ湖風が駅舎を吹き抜けていく。

 とりあえず、何か食べたほうがいいだろうと、駅周辺の屋台を巡り、たこ焼きと焼きそばを購入する。

 駅周辺には大衆食堂も多かったが、背嚢に大型鞄を持って入るのはさすがにほかの客の邪魔になるので、軽食を購入してベンチで食べることにしたのだ。

 この駅前から懲罰大隊のある駐屯地に向かうには、徒歩ではかなり遠い。

 何か別のアシを見つけていくべきではあるが、博人の場合はその心配は一切なかった。むしろ、まず腹を満たして体力をつけることが優先だ。

 一通り食べ終えた博人は、ベンチの横に置いた大型鞄に手を伸ばした……そのときだった。

「あの、すいません」

 不意に後ろから声をかけられ、博人はそちらへと振り向いた。

 そこには、博人と同じ下士官軍服を着た青年が立っていた。襟の階級章は彼が伍長であることを示している。

 否、同じではない。彼の軍服のズボンの股部分には少し厚手の当て布がされており、腰の吊り帯から下げる軍刀は、通常の下士官軍刀より妙に長いく、両手剣に近い長さだが柄は片手剣のそれになっている。

 軍刀は指揮官の権威の象徴であり、下士官であっても帯刀が許可される。しかし、現在の陸軍の服制では下士官軍刀は脇差程度の長さ、おおむね1尺2~6寸程度とされている。通常の長さの軍刀を持つのは将校からだ。

 博人も規定に習い、1尺2寸のものを帯刀している。ちなみに帯刀の義務はなく、購入も自腹だ。普通に買えば一振り10万円はくだらない。しかしそれでも帯刀するのは、多くの軍人にとって軍刀は一人前であることの証であり、また懲戒処分を受けた軍人は帯刀許可を失うために軍服で帯刀していない下士官は色々と誤解を受けるのだ。裕福な家なら出世祝いに買ってもらう者もいるが、博人の場合は退役下士官から安く譲り受けたものだった。

 軍服の改造と階級不相応の帯刀は立派な軍規違反であるが、しかし一部の兵科を除いて例外が存在する。

 博人が立ち上がり正面に立つと、彼は博人の階級に気づいたようだ。

 すぐに姿勢を正し、敬礼をする。

「失礼しました。中部方面騎兵群、第1尖兵中隊、赤阪 輝樹 陸軍伍長であります」

「第33歩兵大隊、陸軍軍曹、稲葉 博人だ」

 答礼を返しながら、博人は改めて赤阪伍長を見た。

 年齢は博人より2つか3つ年下だろう。背が高く細身で、整った顔立ちをしているが、おかげで坊主頭がまったく似合っていない。軍服を着るより、ラフな格好でもして髪を伸ばしてきちんとセットすれば、俳優にでもなれそうなくらいのイケメンだ。

 まったく強そうに見えない優男ではあるが、博人は彼の肩書きを聞いてやっぱりかと思った。

 彼は“騎兵”である。それも文字通り、“馬に乗って戦うタイプの騎兵”で、中国・四国・近畿・東海の防衛を受け持つ中部方面隊直轄の精鋭、尖兵騎兵である。


 鉄道の軍籍化が始まる少し前、この国には軍馬が復活した。

 自動車の生産コストと燃料費が、軍馬の飼育コストを上回ってしまったためだ。

 軍馬と馬車は徐々に広まり、燃料統制が厳しくなると民間にも普及し、乗り合いの馬車や貸切の馬車タクシーも生まれた。自動車教習所も次々と乗馬教室に変わった。

 多くの自動車会社が倒産したり、海外に事業を移してしまったが、中には国内で自動車生産に見切りをつけて馬車の製作に着手していた企業があり、大正・昭和期では実現できなかった技術力で画期的な乗り物へと変貌した。

 さて、軍隊における騎兵は、砲騎兵、輜重騎兵、尖兵騎兵の概ね3種類に分けられる。

 砲騎兵とは、軍馬を用いて野戦砲や弾薬を乗せた荷車を牽引し、戦地において砲兵として戦う機動性の高い砲兵である。

 輜重騎兵とは、兵站任務を主として行う騎兵で、軍需物資を載せた荷車を軍馬を用いて牽引する騎兵だ。

 また、軍馬を操る兵種として乗馬歩兵もあるが、これは移動手段として軍馬を駆り、戦闘の際には馬から下りて戦う兵種であり、歩兵に分類されている。

 ちなみに、馬車の御車台から馬を操作する兵隊は騎兵とは呼ばれない。騎兵とは、馬に乗ってこそ騎兵だというのが、陸軍全体の認識である。

 そして、もっとも精鋭とされるのが尖兵騎兵である。前述した2種類の騎兵と違って砲や物資を牽引することなく、戦闘時に馬を下りることなく、人馬一体で戦う騎兵である。


 赤阪たち尖兵騎兵は、陸軍の中でも軍服姿が変わっている。

 ズボンの股当ては鞍に跨ったときのスレ緩和であり、よく見るとわかるのだが、履いている軍用ブーツも鐙を踏みやすい造りになっており、博人のものとはデザインが違う。

 長い軍刀は馬上から敵を切りつけるために特化したものだ。

 尖兵騎兵の主要装備は馬上での取り回しに特化した騎兵銃(カービンライフル)だが、それは戦闘服用の装備であり、一部の例外を除き軍服着用時には装備できない。しかし、尖兵騎兵の任務には式典の際の要人警護などもあり、戦闘服ではなく軍服を着用しなければいけない場合も多い。そのため、拳銃もそうだが、長めの軍刀を持つことになっているのだ。

 それにしても、そんな尖兵騎兵がなぜこんなところにいるのか? よりにもよって懲罰大隊の最寄り駅に。もう3つか4つ進んだ駅には、他の駐屯地もあるのだが?

 考えられる理由は一つだ。

 もしやとそれを博人が口にする前に、赤阪のほうが早く口を開いた。

「もしかして、稲葉軍曹も懲罰大隊へ向かわれるんですか?」

 も……ということは、やっぱりこいつもか。

「ああ、そうだ……、って、どうした?」

 博人が答えた瞬間、赤阪はいきなりガッツポーズをとり、すぐに駅前のある一点を指差した。

 駅前のロータリーには、客待ちをしている馬車が数台並んでいる。タクシーだ。

「よかったら一緒に行きませんか?」

「ああ、そういうことか」

 民間が運営する馬車には2種類ある。乗り合い馬車と馬車タクシーだ。都会では馬単体や馬車をレンタルすることのできるようなところもあるが、ここの駅周辺にはそういう店はなさそうだ。

 さて、この駅から懲罰大隊のある駐屯地までの一般的な移動手段は2種類に限られたことになるが、まず乗り合い馬車は却下である。

 乗合馬車は街の路線図に沿って走り、停留所で乗り降りする大衆向けの移動手段だが、懲罰大隊最寄の停留所から降りても、約3kmは徒歩移動である。

 一方で馬車タクシーの場合、駐屯地の門前まで運んではもらえるが、貸切運行のため料金が高い。決して手の届かぬ値段ではないが、1人で乗るには少々懐が痛い。

 よく見ると赤阪の足元には、大きなキャリーケースがある。

 手荷物のようだが、おそらく愛用の馬具であろう。背中には博人に比べれば小ぶりだが、背嚢も背負っている。これをもって停留所から2kmも歩くのはきついだろう。

 博人もそうであるが、通常部隊移動命令が出た際、軍の管轄する輸送便で荷物等は移動先に運んではもらえるが、到着が遅れることがある。おまけに、荷物の扱いが雑だともよく耳にする。そのため、博人も赤阪も最低限の日用品と貴重品、愛用品などは手荷物として運んできたのである。

 なるほど、たしかに魅力的な話ではある、と博人は考える。

 2人で料金を割り勘してタクシーに乗れば、これらの大荷物とともに駐屯地まで直行でき、おまけに料金も程よい値段ですむのだ。

 しかし博人には、すでに目的地に向かうアシがあった。

「ごめん、俺、すでにアシがあるんだわ」

「はい?」

 博人の言葉に、キョトンと首をかしげる赤阪伍長。

 そんな伍長をよそに、博人はベンチの横に置いた大型鞄に手を伸ばす。

「ええっ!! なんですかそれはっ!!?」

 鞄の中から出てきたそれを見て、赤阪はギョッと目を見開き、驚きの声をあげた。

「陸軍最新鋭装備……の試作品。陸軍大学の研修の修了祝いに、処分するからあげるって研究室からもらったやつ」

 博人は手馴れた動作で、“それ”を組み立てていく。

「27インチ型、重量10.25kg、対価重量は120kg、緒元上の軽装時の最高時速60km、巡航速度はたしか時速20kmか。両輪取り外し可能、ハンドル及びフレーム折りたたみ式」

 説明しながら“それ”完成させ、収納していた布製鞄をなれた動作で折り畳み背嚢にしまうと、作動点検を終えて、博人はそれに跨った。

「正式名称は……77式歩兵銀輪車(試作型)だ。」

 それは、1台の軍用自転車であった。

「こいつを使いこなせるようになるのは色々大変だったのでね、今日がこいつとはじめての公道デビューなんだ。悪いが、タクシーは他を見つけて乗ってくれ」

「あ……はい、お気をつけて」

 唖然とする赤阪を残して、博人はペダルを踏み込み、懲罰大隊へと向かうのだった。


 書いた後で思う。

 軍曹、ひどいな。

 一緒に馬車に乗ってやって、初乗りは後日でいいんじゃないかな?

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