2 軍曹・稲葉博人の学生時代
学生時代の博人の回想と葛藤、そして、懲罰大隊についての説明だね。
小学生時代、将来の夢という作文を書いたことがある。
なんて書いたかは忘れたが、きっと夢にあふれた内容だったと思う。
父親のような教員になるとか、学者になりたいとか、祖父のように何か特別な技能を持った職人だったか……、案外近くの農家で特産品の野菜作りとかも考えていたと思う。
ただなんとなく仕事をして、結婚して、多くも少なくもない給料で家族を養って……周囲の大人を見ながら、漠然と自分もそうなるのだろうと、博人は思っていた。
そんな漠然とした未来像が変わったのが、中学に入学した頃だ。
この国の指針について、だいたい皆この頃、意識し始める。
社会科の教師は熱心に語り、進路指導担当者は真剣に指導を始める。
『富国強兵方針にともなう国家繁栄の重要項目』
1、少子化抑止
2、食料自給率の向上
3、軍事力、特に歩兵戦力の充足
半世紀前の平成の頃、どうにかしたくてもどうにもならなかったこれらの課題に対して、改正された現在の憲法では国民の義務として、「富国強兵に寄与する義務」というのがある。
それを促進する具体的な策として、政府は画期的な制度を確立する。
それが、『懲罰大隊制度』と『勤労農村制度』である。
軍籍に属さない満27歳の独身男子は陸軍の懲罰大隊で兵役に、満27歳の独身女子は国営の勤労農村にて農役に、強制的に従事させられるのだ。さらに、結婚から3年以内に子供を作らなかった場合、5年以内に離婚した場合、正当な理由がなければ兵役もしくは農役、重い場合は懲役刑も覚悟しなければいけない。
平たく言えば、国は国民に対してこう言いたいのである。
「若いうちに結婚して子供(未来)を作り繁栄に寄与するか、嫌なら国勤(国防と生産)に従事して身をもって国家の礎となれ」
中学・高校時代、進路を語るのであれば、結婚をいつするかは重要な課題であった。
博人は特にこれに頭を悩ませた。
結婚とは何か? 考えて嫌になる。
崖っぷちの27歳の担任のデブが結婚したときいて、どんな奥さんだろうかと見に行ったら、担任に負けず劣らずのデブスだった。夫婦に幸せそうな顔はなく、妥協と諦めがアリアリとうかがえた。
あんなふうにはなりたくない。
過去の偉人の言葉が、脳裏を過ぎった。
結婚とは、その実態やいかに
人生の節目 人生の分岐 人生の妥協 人生の墓場
博人は極端に容姿が悪いわけでもなかったが、何か特別な才能があったり、皆に期待されるような将来有望な存在でもなく、モテるわけでもなかった。
将来、結婚相手を選べるほどの余裕があるとは思えなかった。自分ももしかしたら27歳を迎えたとき、あの担任のように妥協しまくって、諦めて、ただ何かの作業をするように好きでもない女と子供を作って、さほど多くない給料でそんな家族を養いながら、細々と暮らしていくのではないか?
そんな自身の未来像が脳裏を過ぎり、身震いした。
いや、そうでなかったとしても女はとにかく面倒くさい。我侭でちょっとしたことでヒステリーを起こすし、何より話がなかなか合わない。一緒にいると疲れるばかりだ。
そうなるくらいなら、潔く懲罰大隊で兵役につこうかと考えたが、やめた。
たしかに、衣食住は最低限保障される。国のために戦う兵隊をかっこいいとも思った。任期は4年……それだけ耐えればいいはずだ。
だが、懲罰兵はまったくかっこいい兵隊ではなかった。
有事の際は背中に地雷を背負い、旧式小銃と数十発の弾をもち、蛸壺から出られないように足かせをつけられて配備され、時間稼ぎの捨て駒にされる……というのが、当時の社会科の授業で聞いた懲罰兵の姿だった。携帯電話も通じない山の中に駐屯し、毎日尻を蹴られながら訓練をし、豚の餌のような食事と週に2回の入浴が唯一の楽しみだったという、週刊誌の記事も思い出す。
だめだ。そんなのは嫌だ。
そんなとき、はたと気がついた。
社会科の教師が、制度にかかわる条文を読んでいた時だ。
「……軍籍ニ属サヌ満27歳ノ男子ハ…………」
「!!!」
……軍籍!?
「先生! 軍に入隊すれば、結婚しなくていいんですか?」
「ん…稲葉、質問があるならちゃんと挙手しなさい。……まあ、そうだな。懲罰大隊にいくまでもなく、軍人として国家への忠勤を果たしている以上、制度上は特例として認められているな。」
そうだよ……その手があったよ。
懲罰部隊じゃなくて、普通の軍隊なら待遇はまったく違う。結婚しなくてもいいうえに、社会的にも認められた地位につくこともできる。
「あー、でも、稲葉。その場合、ちゃんと下士官になるんだぞ。上等兵どまりだと、数年で除隊だから、再就職はいろいろきついぞ。除隊した歳が27より若かったら、懲罰大隊だぞ。」
下士官……上等だ。そのくらいなら、まだ努力でどうにかなるだろう。
そのあと、先生が何を言っていたのか、博人にはもう聞こえていなかった。
ただこの日から、博人は将来に向けた確固たる目標を持って勉学に励んだのは確かである。
そして、高校を卒業した博人は軍に入隊したのだ。