11 銀輪軍曹の訓練指導
稲葉軍曹、指導官としての本領発揮。
「こんなつまらん指導させといて、その態度はなんなんですか!? ふざけんなよ!!」
午後の課業開始から間もなくして、第2懲罰大隊第3中隊事務室に博人の怒声が轟いた。
博人は第3中隊の銀輪係である自分よりも10コ以上も年上であろう軍曹に向かって、彼が書いた訓練計画書の一部であり銀輪機動経路図と時間計画表をぶちまけた。
相手は自分より年配で大先輩であるし、それなりに言葉を選んで穏便に間違いを指摘し、それなりに反省してくれれば良いと思っていた。
しかし、この軍曹はまったく反省の色など見せず、博人を舐めてかかっていた。
ことの発端は、午前の課業が始まったときのことであった。
懲罰大隊の銀輪指導官に着任して数日が経過し、博人はようやく職場になれ始めていた。
懲罰新兵も着隊し、教育隊の銀輪係からの教授計画のチェックも先ほど終わった。
各種資料は揃い、77式歩兵銀輪車の普及教育に向けての教授計画も決済が下り、ようやく一息つけると思っていた矢先のことである。
「稲葉軍曹、ちょっといいかな?」
作戦・訓練課事務室の出入り口を見ると、兵站課の相良 哲平 陸軍曹長が立っていた。
それなりに年配で、線は細く痩せこけているが190cmをゆうに超える巨人で、丸坊主の白髪頭が特徴的な曹長だ。
相良曹長は鉄道隊からの派遣隊員で、兵站課において懲罰大体の作戦・訓練における鉄道輸送の調整を行っている。
陸軍が鉄道輸送をする場合には、おおよそに分けて2種類の方法がとられる。
1つは現行のダイヤのままに、作戦・訓練時間に合わせた電車に軍用の増加車両をつなげて輸送する方法だ。通常の時刻表どおり電車が運行されるので、民間人の移動に支障が出ない。通常の訓練ではよく使う方法だ。
もう1つは、軍用車両単体を運行することだが、通常ダイヤが臨時ダイヤに切り替わることによって鉄道を利用する民間人の移動に支障をきたすという欠点がある。大隊規模の訓練か災害などの有事でもない限り、まず使われることの無い方法だ。
相良曹長の仕事は大隊の作戦・訓練の計画にのっとり、これら2つの中から適した手段を選択し、時刻表や路線図について各駅や各路線の鉄道隊本部と調整を行うことだ。
博人も輪行を伴う機動訓練を考える際には、地図や路線図、時刻表とよくにらめっこするために、相良曹長には増加車両調整や路線状況についての助言を戴いたりと着任初日からかなりお世話になっている。
普段は博人の方から兵站課に赴くところだが、この日は珍しく相良曹長が作戦・訓練課を訪れていた。
相良曹長は博人の机まで来ると、ある訓練計画書の地図と時間計画を机の上に広げた。
「これさあ、今回第3中隊からきた訓練計画なんだけど……俺は自転車は専門外だからあれなんだけど、この駅で降りてこの駅まで、この経路で機動して時間通りにこれそうか?」
相良曹長の言葉に、博人は訓練計画書の地図を睨んだ。
「え? 3中隊……これ、本気か?」
思わずそうこぼすほどに、はっきり言ってずさんな機動計画であった。
銀輪機動による行進訓練に、途中で鉄道機動を盛り込むことはよくある。鉄道は陸軍の兵員輸送の基軸ともいうべきものだから、戦地まで最初から銀輪機動などありえない。問題なのは、鉄道は時間とおりに運行されるものであり、駅への到着が遅れることなどあってはならないので、行進計画の作成の際には地図や路線図、時刻表とのにらみ合いに始まり、さらに現地の地形や当日の天候や風向きも検討して、精査に精査を重ねて計画を練らなければならない。
しかし、今回の第3中隊の行進計画はとんでも無いものであった。
博人は机の引き出しからこの地域の兵要地誌を取り出し、地形気象に関するページを開く。さらに、個人で所有する道路地図や情報課からより寄せた天気予報を見て、博人は顔が引きつっていくのを感じた。
「百歩譲ってこれが強行軍にしたって、無茶苦茶だ。この山道の所でこの速度は出ないし、この経路だとここの農道では緊急搬送時の馬車が入れない。うわっ……こことか風向きに逆らいまくってるのに時速20km? 時速10kmでも危ういぞ。これじゃ、駅到着が少なく見積もっても2時間は遅れるんじゃ……? いやいや……この武装でこの速度はちょっと……」
道路地図の平面距離と銀輪車の緒元上の速度(それも軽装の場合)だけしか見ないで計画を作っていることがアリアリと伺えた。
くどいようだが鉄道機動を伴う行進計画は、十二分な計算と予測が必要で、経路上の地理や天候、風向・風速、時刻表や路線の状況、兵員の武装や練度から出せる巡航速度や最高速度、そうしたものを確実に把握した上で、非常時の腹案や経路変更や安全管理計画まで精査に精査を重ねて練る必要がある。部隊の駅到着が遅れれば作戦や訓練そのものが破綻するし、最悪鉄道ダイヤに多大な影響を及ぼすことになる。
一応、非常時の腹案として短縮コースの設定もされているが、これでは走行開始早々にそれを実行することになるだろう。はっきり言ってこの訓練計画は破綻している。
博人が顔を引きつらせている横で相良曹長はやっぱりな……と言わんばかりに大きなため息をついていた。
「俺、この経路について土地勘は無いですけど、断言できます。これ無理ですわ」
「あー、やっぱりそうか。うん、なんとなくわかっちゃいたけどね……俺もこの地域の路線についてはいくらでもいえるんだけど、道路状況についちゃ俺も土地勘ないし、自転車の移動能力でどうかってのもよくわからんから、鉄道隊員としてこの計画にあんまり意見できないんだよな。向こうの銀輪係がそれで間に合うって断言すると、どう追及していいかもわからんし」
そんなことを話していると、第3中隊の伝令が相良曹長が持っているのと同じ訓練計画書を持って作戦・訓練課にやってきた。秋山少佐の決済をもらいにきたのだろう。
中隊規模の訓練なら、とくに作戦・訓練課の決済はいらないが、駐屯施設外での訓練と鉄道機動が絡むために本部各課の決済が必要なのだ。
課長席にいながら博人と相良曹長の会話を聞いていた秋山少佐は、すぐに博人を机まで呼びつけ、博人は伝令から計画書をひったくった。
そうこうしているうちに、秋山少佐は内線電話で第3中隊に電話をかけて、向こうの銀輪係を呼び、博人に受話器を渡した。
伝令の上等兵が何事かとオロオロしているなか、博人は訓練計画書の行進計画における不備をコンコンと第3中隊銀輪係に指導したのであった。
それから数時間後、昼休みの始まる数分前くらいに手直しされた訓練計画書が伝令によって届けられた。
あのあと、秋山少佐は課内であの訓練計画書のチェックを行わせたが、行進計画以外の点では不備は見つからなかった。
博人は手直しされた行進計画を再度チェックする。
じっくりと目を通し、気づけば昼食時間を知らせるラッパが鳴っていた。
「どうだ?」
秋山少佐がおもむろに博人に問う。
「駄目です。この銀輪係、銀輪特技認定を本当に受けてるのか疑問です」
博人は伝令に計画書を叩き返し、呆れたとばかりに大きなため息をついた。
「よし、稲葉軍曹、午後から3中隊に行って直接指導してこい。向こうの中隊長には俺から一言言っておく」
「了解」
向こうにしてみれば、生意気な若造に見えたことだろう。階級は同じであるが、軍歴で見れば彼は大先輩のはずだ。
大隊付銀輪指導官なんて大した肩書きだが、所詮は参謀長の威を借る若手軍曹。
おそらくそう見られたに違いない。
そういう観点で考えれば、大隊付の銀輪指導官に任命するなら本人の特技・資格や経歴を考慮しつつも、階級や年功序列も考慮して曹長以上か勤続年数の長い年配の軍曹を配置したほうが有無を言わせず指導ができていいものだ。
懲罰大隊での勤務経験でも、向こうが先輩だし、それなりに訓練地域に土地勘があるのかもしれない。
だが、向こうの不備を見つけた以上、彼のその自負や自身、プライドや土地勘があるという妄想を、理論と数字と事例、確かな根拠で粉砕する必要があった。
とはいったものの……指揮系統上、というよりは指導官であるため序列では博人のほうがこの軍曹よりは上位に位置するが、先輩に対して最低限の礼儀はわきまえるべき……という倫理観からくるジレンマが博人を悩ませる。
博人はまず、訓練時の兵員の武装状況から考える巡航速度と最高速度の計算から説明し、さらに経路上の特性を兵要地誌や市役所から取り寄せた道路状況図等を用いて説明し、風向・風速の観点から出せる理論値を懇切丁寧に説明した。
「以上の観点から、この行進計画は破綻しています。さらに、安全管理上の観点から見ても、非常時搬送用の馬車の手配ができていません」
しかし向こうはまったく自分の非を認めるつもりがなかった。
「稲葉軍曹は現地の土地勘が無いからそう言えるんです。この計画で問題ありません。大した計算と見積もりによるご指摘ですが……」
「では、山口軍曹は現地の経路偵察を行われたのですね? その偵察結果資料が行進計画にまったくありませんが、どういうことでしょうか? 情報課の兵要地誌にはない、地形や気象の特性が発見されたともいえますよね?」
「いや、それは、その……。だが、いざとなれば短縮ルートで間に合わせることもできるんだし、こちらのルートなら問題ないんだろう?」
「それでは第3中隊の訓練そのものが破綻したことになりますが、いいんですか?」
「今回のこの訓練は防御訓練が主体であって、行進後の築城や戦闘がメインなんだ。その前の行進については重視されていないだろ? これは中隊の訓練であって、中隊長の決済はすでにおりているし、主たる訓練が可能なら問題ないだろ?」
このクソジジイ、本気で言ってるのか?
たしかに、この中隊の訓練計画書によれば防御訓練が主たる訓練である。鉄道機動と銀輪機動をしたのち、この演習場において防御戦闘訓練をすることになっている。
だが、この訓練は行進から始まる以上、行進計画には第3中隊長の訓練方針も示されていて、この訓練経路もそれに基づいて計画されているはずだ。主たる訓練ができればいいだろうなどと、上官を舐めているとしか思えない。
しかも、短縮コースをとった場合、予定の駅までの到着が3時間近く早まることが予想され、駅前での混雑が起きる可能性もある。それを避けるために速度を落とした場合、経路上において一般の自転車や馬車が道路渋滞を起こす可能性も考えられる。そうした事態を考慮しても、やむ得ず使用するのが非常時の短縮コースのはずなのだ。
博人がその点を指摘すると、この銀輪係・山口軍曹は舌打ちして、
「あー、よくわかりました。今日中に書き直します、大隊付銀輪指導官殿」
渋々といった様子で机についた。
やれやれ……とりあえず反省の色は薄いが、なんとかなったか。
博人は長い安堵のため息をついたが、ふと計画書の作り直しをしている山口軍曹の机を見てその顔が凍りついた。
計画作成をしている山口軍曹の机には地図と時刻表しかなく、使い古された過去の訓練計画書のコピーがおいてあり、他の資料が見当たらない。明らかに過去から使い古された計画書を写して、計画作成をしていることがわかる。
博人の場合、前の所属部隊でも机の上には膨大な量の地図やら路線図、地誌調査結果や気象情報誌が積み上げられていて、常にそれと睨めっこしながら、指揮官から示された方針に応じて経路選定をやってきた。少なくとも博人が知る限りでは、銀輪係や指導官ならそうやって計画を作成していくのが当たり前であった。
しかし、山口軍曹はそうした過程を一切なしに、つまりは計画を自分で作るということを放棄していた。
目の前のこの光景は博人にとって信じられないものであった。
「ふざけんなよ、てめえー!!」
気づいたときには、博人の拳は先輩軍曹の鼻っ柱を打ち抜いていた。
稲葉軍曹がキレた!!?
作者としては、温厚なキャラクターにしたかったところでしたが、11話にしてキレました。
山口軍曹は果たして無事なのか?
そして、相良曹長は今後もよく登場しそうです。