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第9話

『今日は楽しかった。ありがとね、遼』

『………ああ、うん』


 ここで別れなくてはいけないのが名残惜しくて、電車を一緒に降りることすら出来ないのが悔しくて、自分が受け入れた約束であるのにそんなことを思う自分にどうしようもなく腹が立って、僕の返事は図らずとも歯切れの悪いものなってしまった。


『………………………』

『………………………』


 微妙な沈黙が、僕らを包む。


 ――――この電車を降りたら、僕らの関係は『別になんでもない友達』に戻る。


 せめてそれまでは、そう思って僕は彼女の手を握る僕の手に、少し力を込めた。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女は苦笑いに似た表情を浮かべて僕の手を握り返した。


 電車がもうすぐ、駅のホームに入っていく。

 今日の終わりは本当に、もうすぐそこまで来ていた。


 おいおい、別にこれが今生の別れでもないだろ? これからだってこんな機会は何回だってあるんだし。

 そう自分に言い聞かせるが、それでも胸の痛みは引いてくれなかった。


 嫌だ、終わって欲しくない。

 今日に終わって欲しくない。


 だけどそれでも、僕の意思とは無関係に僕らを乗せた電車はゆっくりと、ゆっくりと減速していって、そして――――停まった。


『それじゃ、バイバイ』


 荷物を持って、彼女が言った。その顔は、相変わらず優しく微笑んでいた。


『……うん、また』


 彼女の手を、離す。

 振り向きもしないで歩いていく彼女を少しの間見送って、『彼女とは別の』扉から僕も電車を降りた。


『…………………はあ』


 ホームに彼女の姿は見えなかった。この目で見送ったのだから当然のことだけれども、それでもため息が漏れた。


 それから僕は一人で階段を上って、一人で改札を出て、一人で家路に着いた。

 クリスマスの街は色とりどりのイルミネーションや、幸せそうなカップルで満ち溢れていた。

 それらに毒づく気力もなく、僕はただ冬の星空を見ながら歩いた。


 彼女も今、この星空を見ているだろうか?

 そう思ってから、ああそういやバスで帰るって言ってたっけ、と思い出し僕は力なく笑った。


『…………オリオン座みーっけ』


 その日はやけに、星が綺麗だった。








「………さん、中原さん、起きてください、中原さん」


 優しい声と体を揺さぶられる感覚に、僕は目を覚ました。


「大丈夫ですか、中原さん?」


 心配そうな顔で僕を覗き込む綾瀬さんの顔がすぐ傍にあった。何だろう、顔が濡れている気がする。


「大丈夫も何も……」


 教室の中には、僕と綾瀬さんしかいなかった。


「あれ、今………」


 周りは静寂に包まれていた。


「四時間目、皆さんは今体育です」


 時計を見ると十二時ぴったり、まさに四時間目の真っ最中だった。期末テストが終わって既に数日経っていて、授業は平常のものに戻っていた。


「………寝過ごしたって訳か」

「そういうわけですね」


 記憶があるのは前の授業の途中までだった。


「でも、何で綾瀬さんがここに?」


 当然の疑問が浮かんできた。僕なんて放っておけばよかったのに。


「い、いえ、その~、休み時間も必死になって起こそうとしてたんですけど、中原さんとてもグッスリ眠ってらして………、気付いたら授業始まっちゃってたんです」


 綾瀬さんはアハハと笑いながら言った。


「……あー、何か付き合わせちゃってゴメン」

「い、いえそんなの全然いいんです!!」


 顔を赤くして否定する綾瀬さん。

 何でかは分からないけど、やっぱり可愛いなあ。

 綾瀬さんには授業をサボらせてしまって悪いけど、この状況もさほど悪いものじゃない。


「それより中原さん、大丈夫なんですか!?」


 と、綾瀬さんが僕が起きた直後の表情に戻った。


「大丈夫……ってどういうこと?」


 僕には彼女の意味するところが全く分からなかった。


「いえ、その……中原さん、ひどくうなされてたので」

「え?」


 心配そうな顔で綾瀬さんが続ける。


「休み時間までは、中原さん物凄く安らかに眠ってらしたんですけど、四時間目に入ってしばらくしたらうなされ始めて、それから………」

「それから?」


 綾瀬さんは僕の頬にそっと手を当てて、


「――――中原さん、泣いてました」

「…………あ」


 僕の頬を優しくなでる綾瀬さん。顔が濡れている気がした理由がやっと分かった。

 その雰囲気が何だか彼女に似ていて、容姿なんかは丸っきり違うのに何故だかそんな気がして、


「何か悪い夢でも見たんですか?」


 さっきまで見ていた夢を、僕は思い出した。


 ――――何より大切だったあの女の子が、

 ――――誰より大好きだったあの女の子が、

 ――――そしてもう、僕の隣には居てくれないあの女の子が、僕の脳裏に蘇ってきた。


「………………………………」

「中原さん?」

「……アハ、アハハハハハハ、全然大丈夫だよ!! いや~何つーか、昨日テレビで深夜にやってたホラー映画思い出しちゃって~、それがもうすっごく怖いやつでさ~」


 笑って誤魔化す。誤魔化そう。


「呪いのCDっていって、それ聴いた人は三日以内に死んじゃうっていうやつでね」

「中原さん……」


 立ち上がって綾瀬さんに背を向け、窓の方へと歩き出す。あまり今の表情を綾瀬さんに見せたくなかった。


「うおー、今日は体育マラソンか~。こりゃ参加しなくて良かったかもな~」

「……中原さん」

「あはは、見てよ。吉本の奴、周回遅れになりそうだよ、女子にも抜かされてやんの!!」

「中原さん!!!」


 その声と同時に、後ろから軽い衝撃が走った。


「あ、綾瀬さん?」


 綾瀬さんの腕が、僕の腰に回っていた。


「……今の中原さん、凄く悲しそうです」


 詰まるところ、僕は綾瀬さんに後ろから抱きしめられているのであった。


「な、何言ってるの綾瀬さ」

「無理、しないで下さい……」


 僕を抱きしめる腕に力がこもる。静かで寒い教室の中で、綾瀬さんの息遣いとその温もりだけが感じられた。


「あ、あ、ああ……………」


 頭の中に様々な感情が、思いが溢れ出す。

 彼女の笑顔、匂い、体温――――泣き顔、激しい自己嫌悪、喪失感、悲しみ、哀しみ、どうしようもない程の後悔、色を失った、生きる意味を失った世界、一緒に見上げた星空、オリオン座、白い息。


「くっ………」


 駄目だ駄目だ駄目だ、このままじゃ、もうここにはいられない。どうにかして、気持ちを、気持ちを落ち着けないと。


「ごめん、綾瀬さん!!」


 綾瀬さんの腕を振り解いて、僕は走り出した。


「な、中原さん!!!」


 後ろから綾瀬さんの僕を呼ぶ声が聞こえた。

 それでも僕は走った。これ以上あそこにいたら、きっと僕は決壊してしまう。





「はあ、はあ、はあ………」


 そこからどこをどう走ったのか分からなかったが、僕が行き着いた先は屋上だった。幸いここに来る途中教師には見つかっていない、と思う。

 誰とも一緒に居たくなかった、一人になりたかった。


 仰向けに寝転がって空を見上げる。

 僕の気持ちとは正反対に、そいつは全くの晴天だった。こういう時の天気は土砂降りくらいが丁度良いだろうに。


 呼吸が落ち着いてくると、だんだん思考もしっかりしてきた。

 自分がここに来るまでの経緯、綾瀬さんの体温、言葉、そして突然フラッシュバックして来た沢山の思い出。


「最近は、あんまりなかったんだけどな………」


 ハハハと乾いた笑い声を出す。

 何より大事なことのはずなのに、何より忘れてはいけないことのはずなのに、最近の僕は周りの変化につられて、忘れかけてしまっていた。

 そのことにどうしようもない寂しさを、自己嫌悪を、後悔を感じる。


「………………ごめん、な」


 誰に向けての謝罪なのかはハッキリしている。ただ、何についての謝罪なのか、それはそうすべき対象が多すぎて挙げきることが出来ない。

 空は相変わらず馬鹿みたいに青い。


 あれからもうすぐ一年近くが経とうとしているのに、僕は相変わらず『そこ』で止まったままだった。



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