第8話
「今日はとっても楽しかったです、ありがとうございました」
「いやいや、こっちも楽しかったし」
丁寧に頭を下げる綾瀬さんに僕は恐縮してしまった。
「はい、それではまた明日」
「うん、またね」
最後に綾瀬さんの笑顔を残して、いつもの黒塗りベンツは遠ざかっていった。
というか、マ○クの前にあんな高級車が横付けしている光景なんて、一生に一回見られるかどうか分からないようなものだ。
「………何つーか、貴重な体験だったかも」
「ふ~ん、そう。そんなに楽しかったんだ」
「へ?」
振り返ると僕のすぐ後ろに、由美先輩が立っていた。
「う、うわあ!!」
その距離があまりに近かったから、僕は思わず飛びのいてしまった。
「………そんなに楽しかったんだ、あの娘と一緒にいて」
「………せ、先輩?」
先輩がただ、無表情でそこに立っていた。
「い、いつから見てたんですか?」
「二時間くらい前から」
それってほぼ最初からじゃないか。
「ど、どうしてここに?」
「帰りに寄ったら偶然二人がここにいたから」
「アハハ、覗き見なんて趣味悪いっすよ~」
「…………………」
先輩の様子はおかしかった。
ふざけてる様子もないし、別に僕をおちょくってる訳でもなさそうだ。
微妙に気まずい沈黙の後、先輩が口を開いた。
「……ねえ遼君」
「は、はい」
今までに見たことのないような先輩の顔、それは何だか―――
「……あの娘のこと、好きなの?」
―――何だかとても、寂しそうだった。
「………先輩、どうしたんすか?」
あまりに様子がおかし過ぎる。今にも壊れてしまいそうな、そんな表情で僕を見る。
先輩の方に手を伸ばす。
「あっ………」
指先が触れた途端、先輩の体がビクンと揺れる。
「大丈夫ですか?」
その一言を機に、先輩の表情が変わった。
いや『変わった』というより、『戻った』という表現が適切だろうか。ともかく先輩の様子はそれからだんだん人間味のあるものに変わっていった。
「あ、アハハハ!! 冗談よ冗談」
まるで今までのことを全て誤魔化すために笑っているようだった。
「もう、遼君たら本気でビックリしちゃってるんだもん。私の演技力も捨てたもんじゃないかもね~。あはははは~」
「……何か、あったんすか?」
そうやって笑っている先輩は、とても無理をしているように見えた。
「何にも無いってば~、もう~遼君ったら騙されやすいんだから~!!」
何にも無い訳ないじゃないか、そんな顔してたら。
「……その、俺で良かったら何でも力になりますよ!!!」
そんな先輩が心配で、放っておきたくなくて、僕はそんなことを言っていた。
「えっ?」
僕がそう言うと先輩は少し驚いたように黙って―――まあ僕もこんなことを言った自分に驚いたんだけど―――それからため息をついて、
「………その張本人にそんなこと言われてもね」
「え、何です?」
「何でもないですー」
一言目は、何と言ったのか良く聞き取れなかった。
「先輩」
「何よー?」
「何か拗ねてます?」
「なっ、そ、そんなことある訳ないでしょ」
「そ、そうっすか」
どう見てもそういう風に見えるのだが。
「……ねえ、遼君」
「はい、何すか?」
少しの沈黙が過ぎた後、先輩がおもむろに口を開く。
「さっき『何でも力になってくれる』って言ったよね?」
確かにそう言った。思わず出た言葉ではあったが。
「ええ、まあ。俺に出来ることだったらですけどね」
「うん、問題ない」
「?」
僕には先輩が何を言おうとしてるのか分からなかった。だけど先輩は何だかとても楽しそうに、ニヤニヤと笑っている。
「そしたら、これからの登下校は毎日必ず私と一緒にすること!!」
先輩が言った意外なことに、僕は思わずポカンとして言葉を失った。
「いい、毎日だからね、毎日!! 一日だってサボったら駄目なんだからね!!」
毎日一緒に登下校、別にどうってことない。クラスの男子どもには何て言われるか分からないけど。
「………はい、別に構わないっすけど」
「ホントに!!??」
断る理由がどこにあるというのだろう。
「ええ、っつーかそんなことで良いんですか?」
「アハハ、やったー!!」
てっきりもっと無理難題を押し付けられるのかと思っていたので、思いっきり拍子抜けしてしまった。
「約束だからねっ、遼君!!」
何故かは分からないけど子供みたいにはしゃぐ先輩を見て、僕は少し安心した。
【視点:綾瀬楓】
走る車の中から流れていく町の景色をぼんやり眺めながら、彼のことを考える。
今日は幸運にも中原さんと二人でお昼ご飯を食べに行けた。今まで一度も行ったことのなかったファーストフード店に連れて行ってもらって、おいしくハンバーガーを食べて、楽しくおしゃべりをして、まさに待ち望んだ通りの展開。
なのに、
「……なのに、どうしてでしょうか?」
こんなに、満たされない感じがするのは。
この数日間、中原さんと一緒に過ごして分かったことが幾つかある。
一つ目は、中原さんがあまり積極的に人と交わろうとしていないこと。クラスに特に親しい友人が居るわけでもなく、どこか一歩引いた付き合いとでもいうような友好関係。人当たりも良く、もっと異性にも人気があるように思えていたが、彼自身が何と言うか、心に『壁』を作っている感じがした。
その壁は限りなく透明に近くじっと目を凝らしても分からないくらいで、それでも確かにそこに存在していて、彼と他人とを隔絶していた。
恐らく、その壁の存在に気付いていない人も多くいるのだろうと思う。私だって最初はそんなこと分からなかった。それでも何となく違和感がして、私は中原さんを見続けた。確信を得たのは一昨日くらいだろうか。
それくらい、中原さんは上手に人を避ける。避けた相手に不快感を与えることもなく、上手く人から遠ざかろうとする。
私の彼への好意も、わざわざ転校までしてきた時点でバレバレだろうに、彼の行動は鈍感なためのものなのか、それとも意識して気付かないようにしているものなのか、よく分からないものだった。
そして二つ目、これが一番問題だ。
「…………はあ」
思い出すだけでため息が出る。
その中原さんの『壁』が、ある特定の人物の前でだけ、薄くなる。もちろん完全になくなるという訳ではなくて、薄くなるだけ。それでもその人の前では、中原さんの笑顔は、ずっと自然で、ずっと本物に近い。私やクラスメートと話しているときとは確実に違う。
その人物は私が一番負けたくない人で、認めざるを得ない現実は今まで感じたことのないくらい歯がゆくて、悔しいものだった。中原さんと一緒に過ごした時間、その点でやはり私は彼女に敵わない。
しかし、それ以外の部分では負けている気はしない。容姿でも、彼を想う気持ちでも、少しも譲る気持ちはないのだ。強いて一つ上げるとするなら………、
「………これぐらいでしょうか」
自分の胸部に目を向ける。
「………情けない」
思わずそうこぼしてしまった。眼下に広がるはなだらかな平原。もちろん女性の価値がこれの大きさだけで決まるわけではない、ということは分かっている。それでも敵役の彼女と比べると、自分のそれは明らかに劣っていた。
やっぱり中原さんも、その………大きい方が好きなのだろうか?
「お嬢様、どうかされましたか?」
そんな私の様子に気付いたのか信号待ちの際、運転をしていた滝村さんが声を掛けてきてくれた。
「いえ、その……」
そうだ、滝村さんにも聞いてみよう。彼は私が生まれたときからずっと側に居てくれた信頼できる老執事だ。
「あの、滝村さん」
「はい、何でしょう?」
「……滝村さんは、『山』と『平地』だったらどっちが好きですか?」
「……は? それはどういう意味で?」
「いいからお願いします!!!」
しばらく悩んだ後滝村さんは、
「そうですな~……私は『山』ですかな」
そう答えた。
「……そうですか」
やっぱり男とはそういう生き物らしい。思わずため息が出てしまう。
「山は自然も多く、美味しいキノコや山菜も沢山取れますしな。それに何より空気が綺麗で……っと、お嬢様どうされましたか?」
「………いえ、別に」
滝村さんは減給処分にでもしてもらおうか、そう思った。
【視点:松本由美】
腕時計を見る。約束の時間まで、あと十分。ちなみに待ち合わせ場所には三十分前からいた。何と言うか、落ち着いていられなかったのだ。
だってだって、朝から待ち合わせをして一緒に学校に行くなんて……まるで、まるで、
「まるでカップルみたいじゃない……」
自分でも自分の顔が思いっきり緩んでいることには気付いていた。決して知り合いには見せたくないような顔だったが、自分ではどうすることも出来なかった。これから私のためにここに来てくれる遼君のことを考えると、どうしてもにやけてしまうのだった。
手鏡を取り出して身だしなみをチェック。家を出る前も散々確認したが、この場所に着いてからも何回やったかは分からない。
よし、大丈夫、私、可愛い。
自分で自分に何度も言い聞かせる。
ああ、遼君が来たらまず何て挨拶しようか。
笑顔で元気に、
『おはよう遼君!!』
だろうか?
それとも甘えた感じで、
『もう~遅いよ~遼く~ん』
とかもいいかな?
そしたら遼君は、いつもみたいにちょっと困ったように笑いながら、
『すいません先輩、ちょっと寝坊しちゃって』
『も~こんなに手冷えちゃったよ~』
それでそれで、遼君は私の手を優しく握って、
『ああ本当にゴメンよ、僕の愛しの由美。僕がすぐに暖めてあげるからね』
『だ、ダメよ遼……みんな見てる』
『そんなの関係ないよ由美。さ、目を閉じて………』
『もう、遼ったら……………』
…………………………………。
……………………。
……………。
って、なんじゃこりゃああああああ!!!!!
思わずそう叫びたくなるところを、寸前で我慢する。
「はあ……はあ……、まったく何考えてんだか……」
色んなところが色々間違っている、全く持って大した想像力、もとい妄想力だった。
何か遼君は私のことを呼び捨てにしてたし(まあ、別にそれも悪くないんだけど)、それに私も『遼』だなんて………。
「……うん、いい」
ためしに口に出してみようか、ああでも何か恥ずかしいなあ~。
うん、でもちょっとだけ。ちょっとだけ言ってみよう。
「りょ、遼……」
「はい、何すか?」
「って、うわああああああああ!!!!!」
いつの間にか私のすぐ隣に遼君が立っていた。
「な、何で、そこに?」
「何でって、そういう約束だったじゃないっすか」
当然のように言う遼君。全く本当にビックリした。
「いや、いつの間にそこにいたのかって聞いてるの!」
「ちょっと前から」
「どうして声かけてくれなかったの?」
「言いましたよ、『おはようございます』って。でも何か先輩上の空だったっていうか」
まさかそこまで自分が妄想に耽っていたとは……。というかその姿を遼君に見られていたなんて、恥ずかしくて死にそうだ。これでは『もう~遅いよ~遼く~ん』なんて出来るはずもない。
「という訳で、改めておはようございます。由美先輩」
「お、おはよう遼君」
全くこっちが照れてどうするんだ。
「待ちましたか?」
「う、ううん、私も今来たところだから」
ああ、一度やってみたかったこのやり取り。ホントにカップルみたいだ。
腕時計を見ると時間はきっかり待ち合わせ時間の五分前。流石遼君。
「今日も寒いっすね~」
「うん、そうだね」
日に日に寒さを増していく十二月初旬。だけど今の私には寒さなんて関係なくって、ただ遼君と二人でいられることが嬉しかった。
「それにしても先輩」
「ん、何?」
おもむろに遼君が口を開く。
「昨日も言ったんすけど、ホントにこんなんでいいんですか?」
「え?」
「だからその………俺が先輩の力になるっていうのです」
「ああ、そのことね……」
しかし、昨日の自分のことは正直思い出したくないくらいだ。
帰り際に偶然立ち寄ったファーストフード店で、遼君と綾瀬さんを見つけて、それからずっと二人のことを離れた席から見ていた。
その時の私の様子はさらにヤバかったと思う。
頼んだ飲み物の中の氷を、気付いたときには全て粉々に砕ききっていた。
―――どす黒い気持ちがグルグル回って、抑えきれなくなって、結局遼君の目の前に出て、あんなことまでしてしまった。
格好悪過ぎる、思い出すと自己嫌悪で首でも吊りたくなってしまう。
最終的には正気を取り戻すことが出来たけど、それまでは完全に嫉妬に狂って理性を失ってしまっていた。
ああ、あんな顔を遼君に見られていたのかと思うと………。
「えっと………」
しかし、どう説明したらいいんだろうか?
『自分の汚い嫉妬が嫌で、でも遼君がいつでもわたしの側にいてくれればそんなこともなくなるだろうからです』
…………………………。
………言えるはずない。
言える訳がないし、こんなのだって結局は根本的な解決には繋がらない応急処置に過ぎない。
私が強くなるしかないんだと思う。私が強くなって、自分にもっと自信を持って、それで遼君と思いが通じ合えたなら、そうしたらきっとこんな気持ちもなくなるんだろう。
だけど今は、今はまだ、
「…………迷惑、かな?」
それには時間がかかるだろうかから、今はまだ少し甘えさせて欲しい、こうやって誤魔化させて欲しい。ダメかな、遼君?
「い、いや迷惑なんて事はないんすけどね」
急いで否定してくれる遼君。
優しくて、こんな駄目な自分でも一緒にいてくれるのが嬉しくて、やっぱり私は遼君が好きだ。
「うん、ありがとっ」
少し照れたように頭を掻きながら、私のすぐ隣を歩く遼君。
待っててね、遼君。頑張ってすぐに遼君に相応しい女の子になるから。
「……頑張れ、あたしっ!」
遼君に聞こえないよう小さな声で、新たな決意を固めて私は意気揚々と歩き出す。
と、その矢先、
「あ、あれ」
「……うわあ」
目の前を忌々しい黒塗りベンツが通り過ぎて、少し行ったところで停車した。
「おはようございます、中原さん!!」
中には案の定、宿敵綾瀬楓嬢が。
「おはよう綾瀬さん」
「はいっ、おはようございます。………あ、あと松本先輩も」
全く朝からやってくれる。
「お、おはよう綾瀬さん」
必死で笑顔を作って挨拶を返す。
頑張れ、頑張るんだ私。遼君に相応しい女の子になるんだから、こんなことで頬をピクピクいわせていてはダメだ。
「滝村さん、ここまででいいので降ろしてください」
「かしこまりました」
うわ、なんか上品そうな運転手。どんだけ金持ちなんだ、この娘の家は。
「では、行きましょうか中原さん」
「え、あ、うん」
何でこうなるのかなあ、心の中で深い深いため息をついて、学校への坂道を遼君と、邪魔者と一緒に歩いていった。
「……頑張れ、あたし」
遼君に聞こえないように私は小さく呟いた。