第5話
【視点:松本由美】
―――おかしい。
昼休みが始まってもう三十分が経つのに、遼君はまだやってこない。いつもなら昼休みの連絡放送と昼ごはんの為に、毎日放送室にやってくるのに。無論私が放送室にいるのは遼君と昼ごはんを食べるためだ。
ぐ~~。
お腹が間抜けな音を立てて鳴る。遼君が来るまで私も昼ごはんは我慢していた。一体何があったのだろう? 先生に用事でも頼まれたのだろうか?
「遅いよ、遼君……」
思わずそう呟いてしまった。一人でいる放送室は静かで寒くて、そして寂しかった。
何だか、嫌な予感がする。
教室にでも見に行ってみようか? でもそんなことしたら遼君に変に思われるだろうか? でもやっぱり心配だし、行ったほうがいいかな。どういう理由にすればいいだろう?
『放送室に来なかったから心配になって』
ダメ、これじゃあ好きだってことがバレバレだ。
『連絡放送サボりやがって何やってんだコラァ!!』
うん、これはいい。でもいちいちこんなことで教室まで行ったら嫌われるだろうか? ウザイ先輩だなんて思われたら一貫の終わりだ。
ああもうどうすればいいんだろう?
とにかく会いたいよ、会いたいよ遼君!!
「ええいもう、行ってしまえ!!!」
とりあえず教室にいるかどうかだけ見に行ってみよう、それからどうするかはまた考えればいいんだ!
「突撃!!」
私が放送室を出ようとノブに手をかけたときだった。
「あれ?」
勝手にドアのノブは回って扉が開かれた。バランスを崩して私は前に倒れる。
「おわっ、と。大丈夫っすか先輩?」
バランスを崩した私が倒れこんだその先は、
「りょ、遼君……」
誰よりも待ち望んだ彼の胸の中で、私はしばらくそのままで居たくなった。でも、その幸せはやっぱりそんなに長くは続かないようで、
「よいしょっと」
遼君は私の肩を掴んで、私の体勢を立て直した。
「怪我はないっすか?」
「……うん」
やさしく笑う遼君。私はどうしようもない幸福感に包まれる。
―――――だけど、
「そうっすか、良かったです」
―――――だけど次の瞬間、私の幸せは音を立てて崩れ去った。
【視点:中原遼】
「んじゃあ入って」
僕は綾瀬さんを中に招き入れた。
「し、失礼しま~す」
綾瀬さんがおずおずと中に入ってきた。少し緊張したその表情も、ああ、ため息が出そうになるくらい可愛い。
「……………誰?」
先輩はポカンとした様子で呟いた。
「あ、こちら今日転校してきた綾瀬楓さんです。学校の案内してたとこなんすよ」
「よ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる綾瀬さん。
「……………先輩?」
未だにただ立ち尽くす先輩に、心配になって僕は声をかけた。
「……え? あ、ゴメンゴメンちょっとぼーっとしちゃって……」
申し訳なさそうに笑った後、先輩は「よろしくね」といつものような口調で言った。
だけど、その昼休みの先輩の様子はどこかおかしかった。
【視点:綾瀬楓】
一瞬で分かった、とでも言うべきだろうか。
あの人は、放送室にいたあの先輩は、確実に中原さんのことが好きだ。
昼休み終了後、授業中に私は松本先輩のことを考えていた。
最初に中原さんと喋っていたときのあの表情、同じく私が入ってきた時のそれ、そしてその後の様子。
『女の勘』とでも言うものなのだろうか、こんなのは初めてだ。
綺麗な、人だった。
あの人は私の何倍もの時間を中原さんと過ごしていて、私の知らない中原さんを沢山知っている。正直、分は悪い。
でも、
「…………負けるわけには、行かないですよね」
誰にも聞こえないくらいの声で、私は言った。自分自身を鼓舞するために、この戦いに勝利するために。
中原さんの後ろ姿を見て、今日何度目か分からないため息をついた。黒板に書いてある授業内容をノートに写している。
ああ、これから毎日彼の背中を眺められるなんて、私は何て幸せなんだろう?
だめだめ、背中なんかで満足してちゃ駄目なんだ。
もっと、もっと近くに。
もっと、中原さんの近くに。
―――そして願わくば………。
その後のことを考えると、顔が赤くなった。
これももう、今日何度目か分からない。
よし、決めた。私も放送部に入ろう。
まずは、そこからだ。
【視点:松本由美】
不安は的中した。当たりも当たり、大当たりした訳だから『女の勘』っていうのもあながち間違いじゃないんだろう。
「…………ハア」
昼休みが終わって始まった午後の授業。今の私には何の教科なのかは分からないし、興味すらない。
窓の外を見ながら考えてるのは、もちろん彼のこと。
あの娘(綾瀬さんっていったっけ)に話しかける遼君の目、それに遼君を見る彼女の目。頭にこびりついて離れない。
(嫉妬ってやつか………)
自分がこんなにそんなことをする人間だなんて今まで思ったこともなかった。
遼君は彼女のことをどう思ってるんだろうか?
あれだけ可愛い娘だし、嫌いってことはないだろう。でも、でもきっと知り合ってまだ少ししか経ってないし、好きってことも………希望的観測すぎるだろうか。
全く彼の気持ちは分からない。
「でも」
はっきりしてるのは、あの娘が遼君のことを好きだっていうこと。
あの表情は、あの声は、あの目は、完全に恋をしている。
「…………ハア」
それを考えるだけでまた、胸の中にとんでもなく汚いものが込みあがってくる。
―――嫌だ。遼君を取られたくない。遼君が私以外の女の子にあんな風に笑うのを見たくない。
それに、それにあの娘が私は許せなかった。放送室に、私と遼君の聖域に、入り込んできたあの娘が私は許せなかった。
「…………負けるもんか」
そうだ、負けてたまるか。遼君を好きな気持ちだったら、出会って間もないあんな娘になんか負けるはずがない。もう怖がってなんかいられないんだ。『ただの先輩』のままでいる訳にはいかないんだ。臆病な自分を変えないといけないんだ。
「…………よし!」
今日は遼君の勉強を見てあげよう。密室二人っきりの放送室、これは私にとっての最大の武器だ。あわよくば急接近!!
さあ心は決まった。あとは全力で事にあたるのみ!!
ノートに大きく太く、『打倒綾瀬楓!!!』と書いて、私の決断式は完了した。