第4話
【視点:松本由美】
「おはよ遼君」
いつも通りの朝、通学路で私は遼君に声をかけた。
「あ、おはようございます」
よし、今日は朝から遼君と会えた、いいことありそう。なんて心の中でガッツポーズ。
「今朝も寒いっすね~」
何だか嬉しそうに遼君は言った。
「どうしたの、そんなにニヤニヤして?」
彼の機嫌がいいと、私まで何だか嬉しくなる。
「冬は好きなんすよ」
これまた笑顔。やっぱり私は彼のことが好きなんだ。
「そうなんだ~」
こんな他愛もない会話をしながら、学校までの坂道を登る。
「あれ?」
突然遼君が声をあげた。その視線の先には、
「あの車って………」
いつぞやの黒塗りのベンツが悠々と走っていた。
「また誘拐されちゃうかもね」
冗談めいた口調で私は言った。
「まさか」
遼君は苦笑いをしながら、それでもあの車が気になっているようだった。
あの誘拐事件から一週間が経っていた。遼君が可愛い女の子との再会について頬を思いっきり緩ませながら話すのを見て、私はどうしようもなく不愉快な気分になって、そしてそんな自分が嫌になったりもした。
黒塗りのベンツは周りに威圧感を振りまきながら進んでいって、校門の前で停止した。
「もしかして……」
私の心に今あるのは、不安。
じゃあ遼君の心の中にあるのは?
「マジかよ……」
もしそれが期待だったら、
「中原さん、おはようございます!!」
「え!? 綾瀬さん、それウチの制服じゃ」
―――だったら私は、どうすればいいんだろうか?
【視点:中原遼】
正直、驚いた。こんなことが起こるなんて思ってもみなかった。
「今日からお世話になります、綾瀬楓です。よろしくおねがいします!!!」
朝のHR、担任の紹介をうけた後、綾瀬さんはそう言って頭を下げた。彼女が教室に入ってきたときからずっと、教室中がざわめいている。
「すげー、可愛い……」
「ほ、惚れた……」
「あんな娘、初めて見た……」
それくらい、綾瀬さんは可愛いのだ。
指定された席に向かう途中、綾瀬さんは僕の方を見てニッコリ微笑んだ。
…………それだけで、今日一日幸せに過ごせそうだった。
一時間目が終わってからの休み時間、当然クラスメイトたちは綾瀬さんのもとに詰め寄った。
「どこに住んでんの!?」
「え、えっと……桜ヶ丘のほうに」
「血液型は!?」
「え、Aです」
「誕生日は!?」
「十月さんじゅ」
「俺、高橋っていうの!!! よろしく!!!」
「え、あ、はい、よろし」
「てめえ、抜け駆けしやがって!!!! 俺武藤、よろ」
「お、俺佐藤!!!」
「え? え?」
「田中です!!!!!!!」
「わ、あわわ」
可哀想に綾瀬さん、飢えた獣たちに囲まれて。
「は、はう~~~」
漫画とかだったら混乱で目が渦巻きになっているんだろうなあ、とか呑気に考えながら僕は席をたって、手を叩きながら群集の中に割って入った。
「はいはい諸君落ち着いて、綾瀬さんも困ってるだろ?」
みんなが次第に落ち着きを取り戻し始める。もう高校生だしそんなにガキじゃないってことだろう。
「はあ、はあ…………中原さん、助かりました。ありがとうございます」
そう言うと同時に天使の笑みが発動。生きててよかった~。
が、僕が和むのとは反対に、級友たちは殺気立っていった。
「何、おまえら知り合いなの?」
し、しまった。
「い、いや、知り合いっつーか何つーか……」
僕は言葉を濁して何とか最悪の事態を回避しようと努める。
「い、いえ、中原さんは知り合いなんかじゃなくて……」
「そうそう知り合いなんかじゃなくて」
ナイスだ綾瀬さん。ここで誤解を解ければ、飢えた餓鬼どもからのリンチは回避できるはずだ。
「中原さんは私の……だ、大事な人です」
「そうそう大事な……って、ええっ!?」
おいおいそんな顔を赤らめながら言ったら、みんなに誤解が……って、え? え?この娘は何を言ってるんだ!?
「…………大事な、人、だと?」
ほらみんなまた殺気立ってるし、
「み、みんなほら落ち着いて、もう高校生なんだから大人に、ね?」
何を言っても無駄のようだ。目に宿った殺意は消えるどころかどんどん膨らんでいく。
「や、やめろーーーーーーーー!!」
死刑、確定。
【視点:綾瀬楓】
「あ、あの中原さん」
昼休みになると、私は待ってましたというばかりに彼のところへ向かった。
「どうしたの、綾瀬さん?」
中原さんはにこやかに振り向いて、それからすぐ、
「あ………やば」
「え?」
すぐに気まずそうな顔をした。
「とりあえず外へ!!」
中原さんは急に私の手を掴んで、教室から逃げ出すように走り出した。
「え? え? どうしたんですか?」
いきなりの出来事に私の頭は上手く動いてくれない。中原さんは走り続ける。
「あ! こら中原!!!」
「抜け駆けは許さねえぞ!!」
「待ちやがれーーー!!!」
教室中から野太い声が溢れ出すのを、走りながら私は聞いていた。でもそのときの私の心は、中原さんと繋がれた右手にあって、他の人達のことなんてちっとも考えていなかった。
胸が、すごくドキドキしていた。
中原さんが私の手を握っている。
私の、手を。
私も中原さんの手をぎゅっと握り返す。
このままずっと走っていてもいいな、なんてそんなことまで考えていた。
【視点:中原遼】
「はあ、はあ……ここまで来れば大丈夫かな……」
鬼のようなクラスメイトたちから何とか逃げ切って、僕らがやってきた先は屋上だった。
「はあ、はあ、はあ、はあ………すっごく、ドキドキしました」
綾瀬さんが息を切らしながらいった。
「ゴメンね、急にこんなに走らせちゃって」
でも、こうでもしないと僕は確実に飢えた餓鬼ども、もとい愉快なクラスメイトたちに、先ほど同様、ボコボコにされてしまう訳で。
「いえ、そんな………楽しかったですし」
何故か綾瀬さんは顔を赤くしてモジモジしながら、まるで照れてるみたいにそんなことを―――
「あ」
やっとその理由に気付いて、僕は綾瀬さんと繋いでいた手を急いで離した。
「そっ、そのっ、ごめん!!!」
「あっ………」
離された僕の右手を見て、切なそうな声を出す綾瀬さん。そんな綾瀬さんを見て僕も思わず顔が赤くなってしまったりして、もうどうすればいいか分からない。
「え、ええっと、その………それで綾瀬さん、なんの用だったの?」
何とか平常心を取り戻して、僕は綾瀬さんに尋ねた。
「あの、お昼ご飯、ご一緒できないかなって思って」
これまた顔を赤らめながら。全く、こんな可愛い娘にこんな表情でこんな提案をされたら、
「うん、もちろんいいよ」
断れるはずがないだろう。
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
そんでもってこの笑顔が、僕をとんでもなく幸せな気分にしてくれる。
僕と綾瀬さんはベンチに腰掛ける。流石にもう十二月ということもあって周りには誰もいない。
綾瀬さんは嬉しそうに鼻歌なんかを歌いながらお弁当の包みを開いていく。その様子を僕はにこやかに見ながら自分の弁当を……、
「あ」
持っていなかった。弁当、というか今朝コンビニで買ったおにぎりは教室に置きっぱなしだ。
「どうしました?」
「いや、昼飯、教室だった」
取りに戻ろうにも教室に行った途端、僕はこの天国には帰って来られなくなるだろう。愉快な仲間達の手によって。
「す、すみません。私が急に」
「いや、急に連れ出しちゃったのは俺だからそんな謝んないでよ」
どっちが悪いとかそういう問題じゃなくて、仕方のないことなのだ。
「昼は次の休み時間にでも食べればいいから、綾瀬さんは気にしないで」
ね、と付け足して僕は綾瀬さんに言った。
「それじゃあ、私のお弁当少しあげます」
少し悩んだ後、綾瀬さんはそう言った。
「そんな、綾瀬さんのもらうなんて」
「いいんです。私どうせ食べきれないんだから」
そう言って、はい、とサンドウィッチを手渡してくれた。なんだかんだ迷った挙句、僕はそれを受け取って、楽しい昼食の時間を過ごしたのだった。