最終話
「ジングルベ~ルジングルベ~ルすっずが~なる~♪」
部屋中に、先輩の楽しげな歌声が響き渡る。
「ほらっ、遼君も一緒に歌おうよ」
「いや、俺はいいっすよ」
ノリ悪いな~、なんて言いながら先輩はまた楽しそうにツリーの飾り付けに戻る。
「すっずの~リズ~ムに光の輪が舞~う~♪」
十二月二十四日、世に言うクリスマスイヴ。
今僕らが居るのは放送室なんかじゃなくて、病院の一室。
そう、まだ僕は、入院していた。というか、入院中に新たに怪我を負って、軽く死にかけて、また手術をして、そいでもって何とか生きていた。こんなに短い期間で二回も死にかけて、それでも死んでない。奇跡というか、何と言うか。
「ジングルベ~ルジングルベ~ルすっずが~なる~♪」
腹からの出血多量に加えられた今度の拳銃も、あと数センチずれていたら左腕は二度と動かなかったらしく、本当に『奇跡』とでも呼ばなければおかしいほどの運の良さだった。どうやら神様は、よっぽど僕を殺したくないらしい。なんて、僕は神様なんて信じていないのだけれど、今日はクリスマスイヴだし、何となく心の中で「ありがとう」と呟いてみた。
「もっりに~はやっしに響きな~が~ら~♪」
だって僕はもう一度、こうやって先輩の笑顔を見れているんだから、こうやって先輩と一緒に居られるのだから。だからもしかしたら、ありがとうなんて言葉では足りないのかもしれなかった。それでも僕はそれ以外の感謝の言葉をしらないから、
「……………ありがとう、ございました」
今度は口に出して言ってみた。
「ん? どうかした?」
先輩が僕の言葉を聞き取ったのか、不思議そうに首を傾げる。
「いや、何でもないっすよ」
「ふ~ん……」
笑って誤魔化す僕に、先輩はつまらなさそうにそう言った。こんなやり取りが出来ることにもまた、とてつもない幸せを感じる。
先輩がツリーに戻ったので、僕はふと窓の外に目を向けた。
雲量は10、曇り、というかもう雨が降っている。
「よしっ、準備完了!!」
陽はもう完全に沈んでいて、高台に位置するこの病院からは、街の夜景が見えた。
「ねえ、遼君」
先輩がニヤニヤしながらベッドに近づいてくる。
「はい、なんすか?」
「今日が何の日だか知ってる?」
知ってるも何も、目の前で思いっきり準備してたじゃないか。
「クリスマスイヴっすよね」
「大~正~解~」
拍手して僕を褒める先輩。
先輩がまたこういう風に笑っていられて、本当に良かったと思う。この怪我も決して無駄なものじゃなかったんだって、先輩の笑顔を見るたびそう思えた。
「と言うわけで、私から遼君にプレゼントがありま~す」
ちょっと待っててね~、と言い残して先輩はトイレに入っていった。
何だろう、もしかしてプレゼントを渡す前に催してしまったのだろうか?
「もしくは…………」
プレゼントが、先輩の……。
「そんな趣味はねえっつーの!!!」
全く何を考えているんだか。僕にはそんな趣味はない、絶対無い、断じてない。ていうか僕、キモ過ぎだろ……。軽い自己嫌悪に襲われる。
「じゃーん!!!」
しばらくすると、先輩は勢い良く登場した。
「どうかな~、似合う~?」
「え、ええ……まあ」
先輩がしていたのは、サンタのコスプレだった。
ま、まあ当然『ああいうこと』のはずはないよな、うん。
「ホントに~?」
そう言って先輩はその場でクルクルと回ってみせた。
そのサンタ衣装は結構ピチピチで、先輩の身体のラインがはっきり出るっていうか、その……スカートもかなり短くて見えそうっていうか。目のやり場に困る格好だった。
「ねえ遼君、もっとちゃんと見てよ~」
「い、いや、見てますよ。凄く似合ってます」
「何で目を逸らすのかな~?」
分かってやってる。この人は絶対分かってやってる。
「では、肝心のプレゼントの発表で~す!!」
パンパカパ~ンなんて、自分で言う先輩は、かなり可愛い。
「プレゼントは………私で~す!!!」
そう言って先輩は上着を脱ぐと、その下のセーターにリボンが巻かれた姿が現れた。
「えっへへ~、遼く~ん」
「ちょ、ちょっと先輩!!」
僕のベッドに飛び乗ってくる先輩。そのまま先輩が僕の上に覆いかぶさる形になった。
「遼君……あたしのこと、貰ってくれるかな?」
「いや、その、えっと……主治医からは安静にしてろって」
「適度な運動は身体にいいんだよ? それに遼君は何もしなくてもいいからさあ~」
先輩は甘えるように僕の胸に『の』の字を書き出す。というか、何もしないっていうのは、僕の男としての沽券に関わるっていうか。
「いいでしょ~りょうく~ん?」
「せ、せんぱい!!」
うわっ、そんな胸を押し当てられたら………。
「ほ・ら、身体は正直だよ?」
「ひゃうっ!!」
「あはっ、可愛いな~」
ああもうこのままじゃマズイ。中原遼貞操の危機!! 誰か助けてくれ!! ああでも誰も助けないでくれ!!
「遼さ~ん、メリークリスマー……って、何やってるんですか松本先輩!!!!」
ああ、ここで救いの女神の登場。………べ、別に全然残念なんかじゃないからね!!
「もう~今遼君との愛を確かめ合ってたんだから邪魔しないでよ!!」
「早く遼さんから離れてください、この痴女っ!!」
「つーかさ、楓……その格好」
楓が着ていたのは、
「あっ、その……似合ってますか?」
「うん、似合ってるけど」
先輩と同じサンタ服だった。
「うわ、バッカじゃないのあんた。そんな格好して」
あんたが言うな、あんたが。
「ねえ楓、ちょっとその上着脱いでみてくれる?」
「だ、駄目ですよ!!」
真っ赤になって拒否する。……ああやっぱり楓も先輩と同じなのか。
「何~? 見て欲しくないものでもあるの~?」
うわ、何と言ういやらしい笑み。楓は真っ赤な顔をして先輩を睨む。でもその表情に殺意なんかは見当たらなくって、そう、本当に微笑ましい怒り顔だった。
「アッハハ、あんたも立派なアッホじゃない」
「や、止めてください!! 松本先輩と一緒にしないでください!!」
というかこの二人、実は仲が良いんじゃないだろうか?
「ていうかあんた、その格好で外から来たの?」
「そ、そりゃあここまで来るのはそれなりに恥ずかしかったですけど……でも、松本先輩だって同じ格好してるじゃないですか!?」
ああやっぱりその格好で外から来たんだ。他人の目に晒されながらこの格好で外を歩く楓は酷く滑稽で、酷く可愛らしかったんじゃなだろうか。
「ふふん、あたしはこの部屋の中で着替えたの。それにあんたとは服の中身が違うから」
そう言って先輩は自分の胸を強調した。うおっヤバイ、また男の生理現象が来ちゃいそうだ。
「まな板、絶壁、幼児体型」
楓を見て大人気なく、勝ち誇ったかのように言う先輩。
「お、大きさなんて関係ないです!! ね、遼さん?」
え? そこで僕に振るの?
「バカ言わないで。遼君は大きいほうが好きだよね、ね?」
うわ、どう答えても僕は恨みを買う。ど、どうしよ………。
「いや……その~えっと~…………アハハ、どっちも俺は好きですよ?」
やっぱり僕には笑ってこう言うことしか出来なかった。
「うんうん、遼君は優しいんだね。そうだよね、はっきり言って、また発狂でもされちゃったら大変だもんね~」
「……最初に発狂したのは誰でしたっけね?」
おおっとここで綾瀬楓嬢の反撃開始。
「何よこの泥棒猫!?」
「何ですか、やりますか? 今度は果物ナイフでも使いますか?」
「上等じゃない、今度こそ殺ってやるわよ!!」
「ああやっぱり松本先輩は、殺人未遂で逮捕されて刑務所にぶち込まれた方が良かったみたいですね」
「ふ、二人とも落ち着いて!!」
ヒートアップする二人を、僕は何とかをなだめにかかる。
僕は意識を取り戻した後、改めて楓と二人で話した。その場に居るのが癪だといって、楓は先輩を追い出した。
『遼さん、私は遼さんの選択に従います』
開口一番、これだった。
『いいの、楓? 楓のお父さんとお母さんは…………』
『滝村さんから、聞いたそうですね』
少しだけ悲しげに、笑う。
『確かに私の両親は、この選択肢を選び、そして失敗しました』
落ち着いた口調で、楓は話す。その表情は笑っているけれども、酷く辛そうだった。
『それでも、あの人たちと私たちは、違います』
『楓………………』
楓は、乗り越えたようだった。その目の奥には、確かな光がある。
『でも遼さん、私が松本先輩を殺そうと思ったのは、両親のことだけが理由じゃないんですよ』
『え?』
少しはにかんだ笑顔で、こう続ける。
『羨ましかったんです、松本先輩が。遼さんにあんなに酷いことしても許される、そんな松本先輩が羨ましくて、憎たらしかったんです。私がああしても、遼さんは許してくれるかどうかわからない。許してもらえるほど愛されてる自信が、なかったんです。きっとこれが一番の理由なんです』
『そんな楓、俺は』
『はい、分かってます』
僕の反論を遮るように、楓はまたニコリと笑う。その笑顔は、本当に、まるで天使のようで、
『遼さんは、私のことも許してくれました』
僕の大好きな、楓だった。
『ああしてもらわないとそれが分からないなんて、私は物凄く馬鹿で、そして弱いです』
『…………そうかも、しれないね』
そう言った後、僕はおもむろに楓を抱き締めた。左腕は固定されて動かないから、右腕だけでだけど。
『りょ、遼さん?』
驚く楓。だけど離さない。
『俺もさ、本当に弱いんだ。弱くて弱くて、駄目人間なんだ』
朋子のことを思い出す。僕は彼女を傷つけた。自分の弱さから、彼女の一番大切だったものを壊してしまった。
『でもさ………俺らは弱いからこそこうやって一緒にいるんだよ』
『え?』
『馬鹿で、弱くて、一人じゃ何にも出来ないから、こうやって抱き合うんだ』
僕も楓も、そして先輩も、みんな弱いから一緒に居る。みんな弱くて寂しいから、人を好きになる。だからそう、僕らは弱くても、それでいい。
『はい……そうですね』
楓も僕を抱き締め返す。決して激しくはないけれど、温かで心安らぐ抱擁。この温もりをずっと大事にしよう。改めて、そう誓った。
「あ、雪!!」
クリスマスケーキも既に食べ終わった頃、窓の外を指差して先輩が言う。
先輩の言う通り、夕方から降り始めた雨は、今になって雪に変わっていた。
「綺麗だな~」
無邪気に窓辺に駆け寄る先輩。
今年の初雪だった。
「何ですか、雪が降ったくらいで喜んで。庭でも駆け回ってきたらどうですか?」
「……綺麗だな、雪」
「はいっ、そうですね遼さん!! 私も雪って大好きです」
「あんた変わり身早っ……」
雪は街じゅうに、降っていた。
しんしんと、静かに降り積もっていた。
そんな幻想的な景色を、僕らは眺めている。
由美先輩と、楓と、僕と、三人で。
今の僕には、彼女たちがいた。僕のことを真剣に想ってくれている彼女たちが。
―――――愛しさは、心の―――――
こんな一節が、ふと浮かんできた。何だったけ、これ?
「…………ああ」
思い出した。
思い出してふと、昔の辛いも記憶も同時に脳裏をよぎった。ついこの間までの僕ならばきっと目をそらして、それを記憶の彼方へ追いやろうとしただろう。
でも、でも今の僕はもうそんなことはしない。逃げない。
そういう風に、彼女たちのお陰で僕はなれたのだ。
今街に降り積もるこの雪のように、彼女たちからの愛しさは、僕が作っていた壁を越えて降り積もってきた。
その愛しさの雪は、僕の心に深く、高く降り積もってきて、今まで僕を縛り付けてきた過去を乗り越えるための力になってくれた。
僕の望んでいた『何か』は、ゆっくりと、それでも確実に降り積もってきていて、僕に力をくれていた。
もちろん、完全に朋子とのことを忘れられたわけじゃない。別に忘れようというつもりもない。今だって彼女とのことを思い出すと心は痛むし、後悔はいくらでも沸きあがってくる。僕は今でも弱くって、まだまだ駄目人間で、全然駄目人間で、やっぱり駄目人間だ。根元の弱さは、きっと少しも変わっていないと思う。
「先輩、楓」
―――――でも、それでも僕は前に進んで行こうと思う。
「ん、どうしたの遼君?」
―――――悲しみも、切なさも、後悔も、全部背負って、それでも前へ。
「はい、何でしょう遼さん?」
―――――だって、彼女たちの愛しさが僕にそれだけの力をくれたから。
「俺はさ……」
―――――この景色を忘れないように、胸に焼き付けて、進んでいこう。
「二人のことが大好きだよ」
―――――僕の愛しさは、この二人だから。
愛しさとウンタラカンタラ
完
(追記)2014/5/22 表現を一部修正しました。




