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第31話


【視点:松本由美】


「こんばんは、松本先輩」


 座り込みを始めて大体九時間ぐらいが経過したころだろうか、ようやく彼女が姿を現した。その顔には相変わらずの憎たらしい笑み。この酷く冷たい表情と、遼君の前で見せる乙女な笑顔、本当の彼女は一体どっちなのだろうか。


「綾瀬、さん………」


 しかし正直、待ちくたびれた。目の前の黒尽くめはいつまでたっても動かなかったし、雨は降ってくるし、身体はとっくの昔に冷え切っているし、全く持って散々だ。それでも私は挫けていなかった。遼君のことを考えていれば、まだ何時間だって粘れた。


「雨が降っても主人を待ち続ける、まるで忠犬ハチ公みたいですね」


 遼君の傍に置いてもらえてそれで可愛がってもらえるなら、別に犬になってもいいかな、なんてふとそんなことを思った。


「私、その話………大っ嫌いなんですよ」


 感情の切れ端すら見せないその声。私を見つめる冷たい目。それだけで、彼女のやろうとしていることが分かった。挙げようとすればその理由はきっといくらでもつけられる。だけど、そんなものはさして大事ではない。言葉には出来ない雰囲気だけで、私は彼女の殺意を感じ取ることができたのだから。


「へえ、そうなんだ」


 不思議と、恐怖は無かった。この展開を、私は想像できていたのかもしれない。怯むことなく、綾瀬さんの目を見つめ返す。


「本当に、汚い野良犬さんです。病気を振り撒く前にどこかに行って欲しいものです」

「言うじゃない、この泥棒猫。早く遼君に会わせなさいよ」

「前に言いませんでしたっけ? 遼さんはあなたに会いたくないって」

「それ、嘘でしょ? 遼君はそんなこと言わなかった」


 彼女の挑発にも、私は冷静に返せていた。以前放送室で相対したときとは大違いだな、と自分でもそう思った。恐らくその理由は、自分のしてしまった大変なこと、その影響なのだろう。醜く、汚い自分の激情に支配された結果起こってしまったあの事件。そのことから、少しは学べているのかもしれない。大切な人を失ってしまう辛さ、それを痛感した。

 そして―――――私を許してくれた彼の優しさ。今は彼の言葉を、彼の『好き』を信じることが出来る。だから、馬鹿な挑発にはもう乗らない。


「………冷静、ですね」


 つまらなさそうに綾瀬さんは言った。


「ふん、まあね~」


 そう言って胸を張ってみる。どうだ、この胸はお前にはないだろう。ざまあみろ、貧乳。


「………………………………」


 そんな私を見て彼女は黙り込む。冷たい視線でジトッと私を睨む。あ、失敗したかも。いくらなんでもこれは馬鹿っぽかったかもしれない。


「……………………非常に」


 しばらく睨み合いが続いた後、ようやく彼女が口を開いた。


「………非常に不愉快ですっ!!!」


 あっ、やった。初めてあのいけ好かないお嬢様を怒らせることができた。私は心の中で小躍りした。


 だがしかし、


「……松本先輩、私たちの目の前からいなくなってください」


 彼女の取り出した一物を見て、すぐ後悔した。



「こ、こんなんどこから持ってきたのよ!?」


 彼女の手の中で、外灯の明かりを浴びた拳銃が不気味に光っていた。


「意外と、簡単に手に入るものですよ?」


 ここに来て、いやらしい笑み。びびっている私を見てほくそえんでやがるんだ。何て良い性格だ。いつの間にか私の目の前に立ち塞がっていた黒尽くめも消えているし、彼女はなんて用意周到なんだろう。


「私も出来れば手荒な真似はしたくないんですよ、松本先輩」


 嘘つけ、殺気が出てる。本当は今すぐにでもその引き金を引きたいに違いない。今すぐ、私を殺してやりたいに違いない。


「今後二度と、私と遼さんの周りをウロチョロしないで下さい。正直邪魔なんです。目障りで仕方がないんです」


 遼君の前では決して出さないような汚い言葉。むしろ、これが彼女の本当の姿なのかもしれない。


「…………嫌よ」


 拳銃が目の前にあったって、命が今すぐ消されてしまいそうな状況であったって、私はこれだけは変えるわけにはいかない。彼が居ない人生の辛さを、虚しさを私は知ったから。


「そんなことは、無理。私は遼君が好き。遼君に会いたい。だからここをどかない」


 はっきり、きっぱり、言ってやる。迷いは、ない。


「消えてください、死にたいんですか?」

「そうね、遼君に会えないなら死んでもいいかもね」


 こうやってまだ私は不敵に笑える。意外に神経図太いのかもしれない。

 しばらく睨み合って、沈黙が続いた。それを破るように彼女が話し出す。


「どうして…………どうして私の言うことを聞いてくれないんですか!!??」


 今までに見たことないような彼女の、綾瀬楓の感情の吐露。負の感情はとめどなく流れ出る。


「遼さんは私だけ見てくれてればそれでいいんです私だけ見て、私と一緒に居れば幸せになれるんですそれ以外の道を選んだって失敗するに決まってるんです、不幸せになるに決まってるんです。そんなのは駄目なんです私たちは幸せにならないといけないんです」


 切実な、痛いくらい真っ直ぐな気持ち。それが言葉に乗って次々と吐き出される。


「二人ともなんて、三人でなんて、そんなの絶対無理なんです。お母さんも、あの人も、死んだ。死んでしまった。お父さんは残されてしまった。私は死にたくもない!! 残されたくもない!!! それじゃどっちも不幸せなんです!!!!!!」


 もはやそれは私に向けられている言葉ではなくなっていた。誰に向かって、どこに向かって、彼女の叫びは発せられているのか。私には分からなかった。


「だから奪うしかないんです!!! それしかないんですよ!! そうしないと、私の幸せは、遼さんとの幸せはいつか確実に壊れてしまう、壊してしまう、壊されてしまう!!!」


 ただ一つだけ、分かることがある。


「………………綾瀬さん」

「これが最終通告です。今すぐここから居なくなってください!! 消えてください!!!」


 彼女は、そう綾瀬楓は―――――


「あなたは、私を殺したくない」


 ――――――――迷って、いるのだ。


「……………何を、言ってるんですか?」

「あなたは本当は、私を殺したくはないのよ。迷っている」


 そう言った途端、彼女の目が今までにないくらい大きく見開かれる。髪の毛が逆立ったような、そんな様子を見せる。


「馬鹿なこと言わないで下さい!!! 私は、あなたを、殺す!!! 殺してやる!!!!!」


 銃口が、私に向けられる。でも彼女は、引き金を引くことは出来ない。私を撃つことは出来ない。私には、その確信があった。


「だって……………」


 彼女に一歩近づく。彼女の手は震えているが、未だに銃弾を発することは出来ていない。


「だってあなたは、泣いている」


 いつの間にか、彼女の瞳からは涙がこぼれていた。


「…………あ、ああ」


 自分の顔に触れ、ようやく彼女はそれに気付く。


 そう、綾瀬楓は私とは違った。あの時の私の殺意とは違ったのだ。

 彼女は、冷静になってしまった。嫉妬の炎に全てを喰らい尽くされたわけではなかった。もともといつも冷静で、自制心の強い彼女だ。ふとしたきっかけで、考えてしまったに違いないのだ。


「無理、しない方が良いわよ」

「う、うるさいです!!!!」


 彼女の殺意はもう壊れかけていた。怖くも、なんともない。

 私は少し羨ましかった。殺意に飲み込まれなかった彼女が、私にはないギリギリの判断力を持った彼女が。彼女は馬鹿になりきれなかった、何かが彼女にブレーキをかけてしまった。


「さっきあなた、『二人とも』とか言ってったよね?」


 一歩彼女に近づき、気がかりだった彼女の言葉を拾い上げる。彼女はまだ私に銃口を向けたままだったが、それでも気にしなかった。今の彼女に私は撃てない。


「それって遼君がそう言ったの? 遼君が『私たち二人を選ぶ』ってそう言ったの?」

「だったら………だったら何だって言うんですか!? あなたもそれじゃあ満足できるはずないでしょう!!??」


 どうやら、そうらしかった。綾瀬さんは泣きながら声を荒げる。


「確かに、満足は出来ないわね………」


 公然と二股をかけられるなんて、そんなの納得できる筈がない。遼君には私だけを見て欲しい、私だけと一緒に居て欲しい、私だけを好きでいて欲しい。


「でも私は………」


 私は一度彼を失いかけた。失ってしまったんだと確信した。その時の絶望を、孤独を、私は知っている。


「私は、遼君と一緒に居られるなら………それでいい」


 綾瀬さんの目を真っ直ぐ見つめて言う。私の言葉に、彼女は目を丸くする。信じられないとでもいうような表情だろうか。とにかく彼女はしばらく言葉を失った。


「……………有り得ない、ですよ」


 数秒後、拳銃をやっと下ろし俯きながら綾瀬さんは口を開いた。


「そんなの………そんなの私には無理です」


 声が、震えていた。いや、震えているのは声だけではなかった。身体全体が小さく震えている。


「私だって嫌よ。あんたと一緒なんか」


 これが正直なところだ。それでも、一番は私だけの幸せじゃない。


「でもそれで、遼君が幸せだっていうなら、私はそうする」


 私だけが幸せになりたいなら、力ずくで遼君を監禁でも何でもすればいい。前の私なら、そんなことも平気で考えたかもしれない。でもこんな私を許してくれた、好きだといってくれた遼君の本当の優しさに触れて、私の一番は変わった。私と、遼君の、両方の幸せ。それが今、私が一番大切だと思うこと。


 こうすることでそれが実現するなら、それはもうこうするしかない。彼女もきっと、それを分かっているに違いない。私を殺そうとするくらい、私と同じことをするくらい、本当に遼君が好きなんだから。


「だから綾瀬さん、遼君に会わせて。そして改めて遼君の答えを聞きましょう、ね?」

「………………………………」


 私の提案に返事はない。ただ綾瀬さんは右手をもう一度上げて、


「――――――――え?」


 乾いた破裂音と同時に、私の左頬のすぐ隣を何かがとてつもない勢いで通過した。


「今のは、わざと外しました」


 綾瀬さんの右手の拳銃から、うっすら煙が出ている。


「次は当てます」


 撃たれた、のだ。すぐ後ろの木に銃弾がめり込んでいるのを見て、私はようやく気が付いた。


「綺麗事は、聞きたくないんですよ」


 涙は消えて、彼女は淡々と話し続ける。


「今から、十数えます。その間に消えてください」


 十、九、八…………カウントダウンが始まる。


「七……六……五……」


 彼女は本気だ。次は当ててくる。何が引き金になったのかは分からないが、今度こそ本気だ。


「あんた……馬鹿ね」


 それでも私は動かない。だって決めたから。遼君に会うまでは帰らないって。


「四……三……ニ……一……」


 改めて銃口が向けられる。きっと、ゼロと同時に撃たれる。

 ああ、私はこれで死ぬのだろうか。せめて最期に、遼君に会いたかったな。


 ――――――――そして、ゼロのタイミング。私はきつく目を閉じた。


「はああああああああああ!!!!!!!!」


 だけど、聞こえてきたのは銃声ではなく、大きな掛け声とガラスが割れる音。


「楓、先輩!!!」


 そしてさらに、聞きなれた、誰のものよりも聞きたい声が聞こえる。私は目を開いた。


「そんな………どうして…………」


 愕然とした表情の綾瀬さん。その目線の先には、


「遼君!!!!!」


 ――――――――誰より会いたかった、彼が立っていた。



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