第3話
今日は早めに学校を出た。なぜかというともうすぐ期末テストが控えているからだ。先輩の成績は全く問題ないのだけれど、僕の方に問題がある。
先輩と一緒に学校を出ると、いつもの風景に一つ見慣れないものが入り込んでいるのを見つけた。
「何すかね? アレ」
「さあ……何だろうね」
黒塗りのベンツ、そして黒いスーツに、黒いサングラスの男が数人。
どう見ても怪しいその集団は、校門の脇から学校の中を覗いていた。
「怪しいっすね……」
「うん、怪しいね……」
僕も先輩も自然に声を潜めていた。
「とりあえず、触らぬ神に」
「祟りなし……っすね」
僕らはその脇をそそくさと通り抜けて、さっさと退散することにした。
が、しかし
「君、ちょっといいかね」
そのどすの効いた声は明らかに僕に向けられていた。
「は、はい……何でしょう?」
恐る恐る振り返る。
僕の顔を確認してから、男はおもむろに上着の内ポケットに手を突っ込んだ。
――――まさか、銃!!??
僕は慌てて駆け出そうと方向転換をした。このままじゃ殺される!!
だが、僕の目の前には別の黒尽くめがいて逃走経路は絶たれていた。
「くっ………」
気付くと僕の周りはいつの間にか黒尽くめに囲まれていて、先輩とは隔離されていた。
「ふむ、やはり間違いないな……」
先ほどの男が、手元の紙と僕の顔とを交互に見比べて言った。銃は持っていないようで、少しだけ安心した。
「あの、一体……」
少しだけ安心はしたが、不信感は消えない。一体こいつらは何なんだ、僕に一体何の用なんだ。
「ご同行願えますか?」
黒尽くめは無表情に、平らな声でそう言った。
「は?」
理解できていない僕を無視してことは進む。両腕を黒尽くめに掴まれて、僕は車の中に押し込まれた。
「ちょ、ちょちょちょちょっと!!」
僕の抗議もむなしく、ベンツは発進した。
「遼君!!!」
ドアが閉められるときに、先輩の声が聞こえた……ような気がした。
車に揺られて僕が連れて行かれた場所は、立派なお屋敷だった。この街の高台に位置する壮大な屋敷。いかにも金持ちが住んでそうな建物だった。
一体全体、どうして僕はこんなところに連れてこられたのだろうか? 今までの人生で、こんなデカイ屋敷に住んでいる人と知り合いになったことはないと思う。
うわ、内装もかなり豪華だ。壁にかかってるこの絵なんかは、きっとかなり高いんだろう。
と、僕は大きな扉の前に着いた。
「失礼します」
黒尽くめの一人がドアをノックして言った。
「うむ、入れ」
中からは、低く厳つい声が返ってきた。その声に僕は緊張してしまった。
―――もしかして、ヤクザの屋敷!?
だとすれば、最悪。人生終わった。
重い扉が、ゆっくりと開かれる。扉が開いていくと共に、僕の緊張も高まる。
「ようこそいらっしゃった!! 歓迎いたすぞ」
扉の先の広間の豪華なソファーにどっしりと構えているのは、白髪の厳つい男性だった。着物なんかを着込んでいて、やけに威圧感があった。
「は、はあ……」
僕は何も言えなかった。歓迎なんて言われても、別に招待状とかを貰った訳でもないし、それにこんな知り合いはいない。親戚でもなければ、もちろん友人でもない。恐らく、初めて会った人だろう。
「昨日は本当にお世話になった。なんとお礼をしていいのやら……」
昨日? はて、このヤクザみたいなオッサンと昨日僕は何か係わりをもっただろうか。
考えるまでなく、ノー。電車で席を譲った覚えだってない。まあ、普段からそんなことはしないけれど。
―――と、僕はその老人の横に見覚えのある顔を見つけた。圧倒的な存在感の彼にすっかり、彼女は隠れてしまっていた。
「あ、昨日の店員さん」
気付くのに時間がかかったのは、昨日と服装が違ったのも原因の一つだろう。
僕がそう言うと彼女の顔はパアっと明るくなった。
「はい! 覚えていてくださいましたか!!」
昨日のことなんだから忘れているわけないだろう。それにこんな可愛い娘なんだし……。
「君がいなかったら、家の娘はどうなっていたことか」
この時点で、僕の頭の中で色々なことが繋がった。
昨日の店員さんはここの家に住んでて、あのいかつい爺さんはあの店員さんの父親か何か。それできっと、今日僕がここに連れてこられた理由は、昨日のお礼をするためなんだろう。
【視点:綾瀬楓】
あの時のこと、昨日彼が私を助けてくれたときのことを思い出すと、今でも体が熱くなってくる。
強盗の狂気に満ちた目から私を救ってくれた彼は、本当に格好よかった。まるで、悪の魔王に捕まったお姫様を助け出す、『王子様』みたいだった。
家に帰ってから、彼の名前を聞いておかなかったことを後悔した。かろうじて分かるのは、制服から通っている高校くらい。何年生で、どこに住んでいて、どんな生活を送っているのか、それらは全くわからなかった。
気になって気になって仕方がなくて、私は家の者に彼を探してもらうことにした。何としてもキチンとお礼がしたかったしそれに―――もう一度彼に会いたかった。
感じたことのない胸の高鳴り。彼のことを思うだけで、鼓動は自然に速まった。
初めての経験。これがいわゆる『恋』なのだろうか?
私は小学校も、中学校も、そして今通っている高校も全部女子校だったから、同年代の男の子と接したことがほとんどなくって、だからよく言う『恋愛』の経験なんかは一切ない。
だから、もう一度彼と会いたかった。もう一度会ってこの感情の正体を確かめたかった。
家の者たちには手がかりとして、昨日のコンビニの監視カメラから抜き取った彼の顔写真を持たせた。
「あの、中原さん」
二人きりでは間が持たなくなって、私は彼に話しかけた。
「は、はい?」
彼も少し固くなっているようだった。
全くお父さんたら何考えてるんだか……。いきなり、
『それじゃあ、後は若い者に任せて……』
なんて言っていなくなるなんて。それで私たちは今、広間で二人っきりになってしまっている。お見合いじゃないんだから変な気を遣わなくていいのに。
「今日はその、少し乱暴なやり方になってしまったみたいで、申し訳ないです」
使用人たちは一体何を勘違いしたんだか……。あんな連れて行き方をしたら、彼もビックリするに決まってるのに。
「いや、そんな気にしなくていいからさ」
困ったような笑顔で彼は笑った。
「それにさっきから、綾瀬さん頭下げてばっかりだし」
彼の一言で、私はハッとした。
「そ、そういえば」
「ね?」
思わず笑いがこみ上げてきて、私たちは二人で笑った。このお陰で、場の空気が少し緩んだ気がした。
「それにしたって立派なお家だよね」
彼は周りをきょろきょろ見回しながら言った。
「そうですね、無駄に大きいですよね」
ホントに無駄に大きな家だと思う。家族は私と父親だけだから、部屋は大量に余っている。残りは住み込みの使用人が使ったり、たまに来るお客様用の部屋になったりしている。
「物凄い大家族でもないと使いきれそうにないよね……」
「そうですね」
また少しの沈黙が訪れてから、中原さんが口を開いた。
「あのさ、俺と綾瀬さんって同い年なんだよね?」
「はい、そうですけど……」
そのことはさっきの軽い自己紹介で話したのだけど、どうしたのだろう?
「じゃあさ、敬語とかじゃなくっていいんじゃないかな?」
にこりと笑いながら彼は言った。その姿もやっぱり爽やかで、胸がドキンと鳴った。
「い、い、い、いえっそのっ」
声が上ずっているのが自分でも分かった。顔が赤くなってしまう。そんな私を見て中原さんはまたにっこり笑ってくれた。
「あの何て言うか、これはクセみたいなもので、私も無意識のうちにそうなってしまうんです」
焦っている自分が本当に嫌になった。
「そっか、なら別に無理しなくていいんだけどさ」
そんなみっともない私に対しても、優しく笑う中原さんは本当に格好よかった。
「あの、本当に昨日はありがとうございました」
改めて私はそんな彼にお礼を言った。
「別にそんなに大したことじゃないからさ、ホントに頭あげてよ」
困ったように彼は言う。それでも、何度感謝したって足りないくらいだった。
「何かお礼をさせていただきたいんですけど」
だから別に気にしなくっていいって、と彼は笑った。
「そういう訳には」
「じゃあもう一杯、このお茶貰える?」
私の言葉を遮って中原さんはそう言った。
「俺、こんなおいしい紅茶飲んだことなくってさ。流石だね」
私は急いでお代わりを彼のカップの中に注いだ。
「綾瀬さんはさ、何であそこのコンビニでバイトしてたの?」
新しく入ったお茶を一口飲んでから、彼はそう尋ねてきた。
「社会勉強です」
「社会勉強?」
確かにこんな家に住んでいるのに、わざわざアルバイトするのは疑問に思うだろう。
「はい、今までずっと学校と家の往復だけの生活だったので、ちょっと私世間知らずだから」
なんて言うと聞こえは良いかもしれないけど、本当はお父さんに強制されただけだった。
曰く、
『自分の力でお金を稼ぐということを、身を持って知りなさい』
だとか。
「へ~、偉いんだね」
やった、中原さんに褒められた。思わず頬が緩む。
「でも今回の一件で、お父様がもうあんな危ない仕事はだめだって」
「ありゃりゃ、大変だね」
「はい………」
あのままあの店で働いていられたら、これから中原さんと沢山会えるのに。
それから、私と中原さんは互いの趣味だとか血液型だとか誕生日だとか、そういう他愛ない話をした(中原さんの誕生日は四月だそうだ。覚えておこう)。
「お嬢様、そろそろお時間が……」
ノックをして執事が入ってきて言った。確かにもう結構な時間だった。
「あっ、ごめんなさい。こんな時間まで引き止めてしまって」
「別に帰ったって何にもするわけじゃないから大丈夫だよ」
中原さんはまた、笑って言った。まだ数時間しか一緒にいないのに、この人は本当に優しい人なんだと、心から思った。
帰ろうとする中原さんに私は勇気を振り絞って言った。
「あの……ま、また会ってくれますか?」
頷いてくれた彼を見て、私は今までに感じたことのない程の幸福感に包まれた。
【視点:中原遼】
帰りも僕は黒塗りのベンツに乗せてもらった。こんな高級車に乗るなんて、一生に何回あるだろうか?
ああしかし綾瀬さん可愛かったなあ。彼女の姿を思い返して僕は思わずため息を吐いた。
まるでお人形さんみたいに彼女は可愛かった。
あんな可愛い娘にあんなに感謝されて、もうマジで言うこと無し!! って感じだったりした。
『あの……ま、また会ってくれますか?』
あんなの顔赤くしながら言うなんて、反則に決まってる。
鞄から携帯を取り出すと、先輩からメールが来ていた。何やら黒尽くめに拉致された僕を心配してくれているらしい。
『大丈夫でした~。
詳しいことは明日学校で話しますね』
と、先輩にはこれだけ送っておいた。