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第26話


【視点:綾瀬楓】


 ―――――――その日は私の誕生日だった。


 お父さんはまだお仕事から帰ってきていなくて、私とお母さんは二人で誕生日会の準備をしていた。お母さんと私は、お屋敷の厨房で使用人の皆さんと一緒に夕ご飯の支度をしていた。一緒に、といっても私はただお母さんの後ろにくっついて歩きながら、私の大好物が作られていく様子をワクワクしながら眺めていただけだったのだけれど。


 彼女がやってきたのはその時だった。


「奥様、………様がいらっしゃいました」


 名前はもう、覚えていない。それでも私は彼女とあったことが何回かあったので、きっと私の誕生日を祝いに来てくれたのだと、そう思った。


「こんにちは」


 私は彼女に丁寧に挨拶をした。お父さんやお母さんの知り合いの人と会うことが多かったので、私はこうした対応に慣れていた。お客様にこうやってキチンと挨拶をすると、お父さんもお母さんも私を褒めてくれた。


「こんにちは、楓ちゃん」


 彼女も私ににこやかに挨拶を返してくれた。彼女は少しやつれていて、眼も軽く充血していたが、そのときの私はあまり気にしなかった。それよりも彼女が手ぶらで、どこにもプレゼントを持っていない様子だったのが残念でならなかった。


 それから私のすぐ傍で、お母さんと彼女は話し始めた。話の内容は良く分からなかったけれど、お母さんの顔は彼女を心配しているような、そんな顔だった。そんなお母さんに、彼女はただ笑って応えていた。


 しばらくすると、お母さんがお手伝いさんに呼ばれた。


「ちょっとゴメンね」


 そう言い残して、お母さんは席を外した。その場に残されたのは、私と彼女だけだった。


「ねえ楓ちゃん。プレゼント持って来たんだけど、欲しい?」


 待っていた一言が彼女の口から発せられて、私は大きく頷いた。彼女に連れられるまま私は歩いていって、たどり着いた先は人気の無い廊下だった。


「それじゃ、プレゼントを出すから、ちょっと目を瞑っててくれるかな?」


 彼女は優しくそう言って、私は何の疑いも無く目を閉じた。一体何が出てくるんだろう?何がもらえるんだろう? 幼い私の心の中は、そんな期待で一杯だった。


「…………ごめんね、楓ちゃん」


 小さくそう呟く声が聞こえた直後、


「楓っ!!!!!」


 そう叫ぶお母さんに、私は抱き締められていた。


「………よかった、無事で」


 そう言うお母さんの顔はとても優しくて、その声は何故だかとても震えていた。


「………あ、あ、ああ」


 その向こうで彼女の酷く動揺した声が聞こえた。


「どうして、どうしてあなたが………」


 その声から彼女が泣いているのが分かったが、私は何一つこの状況を理解できずにただお母さんの腕の中で突っ立っていた。


 プレゼントは、一体どうしたんだろうか? どうしてお母さんは私を抱き締めたまま、ちっとも動こうとしないのだろうか? あの人は、どうして泣いているのだろうか?


 そんな疑問ばかりが、頭の中をグルグル回っていた。


「楓、大丈夫よ……大丈夫、だから」


 お母さんはそう言って私の頭を撫でてくれた。その手は何故か震えていて、とても弱々しかった。しばらくそうしていると、お母さんの身体から力が抜けていって、ついにその場に力なく倒れこんでしまった。


「………お母、さん?」


 返事は、ない。


「お母さん、お母さん」


 そうやってお母さんを揺さぶっているときに、見つけた。


 ―――――――その身体に深々と刺さった、刃物を。


「あ、あ、ああ、あ、あああ…………………ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」


 大声を発しながら、彼女は走り去っていった。


 私は、何も出来ず、ただそこに座り込んだままだった。






 この後、走り去った彼女を不審に思った使用人が私たちを見つけて、お母さんはすぐに病院に運ばれたけれど、大事な血管を損傷していて出血が酷かったらしく助からなかった。病院に駆けつけたお父さんが泣きながら私を抱き締めてくれたけれど、私にはお父さんが泣いているのかがさっぱり分からなかった。


 ただ、私のお誕生日会が開かれそうにないことだけは何となく分かって、それが残念で仕方が無かった。


 私が事の顛末をちゃんと理解したのは小学生になってからで、そしてあの事件がきっかけなのか私は刃物を見るのが怖くなった。食器のナイフくらいなら大丈夫なのだが、それ以上の刃物、包丁やバタフライナイフなんかは、見るだけで身体の力が抜けて、あの日のお母さんの姿が浮かんできて、どうしようもない恐怖が私に襲い掛かってくるようになってしまった。


 誰に対してでも敬語で話すようになったのも、この頃からかもしれない。これは理由は良く分からないけれど。







「どうしてこんなこと、思い出したんでしょうか………」


 屋上の隅でちょこんと体育座りをしながら、私は久しぶりにこんなことを思い返していた。しばらくこんな状態でいたので、身体は冷え切ってしまっていて、それでも何故だかここを動く気になれなかった。

考えてみると、今の私たちが置かれている状況は、これにそっくりだった。何の因果か、遼さんの選ぼうとしている道も、きっとお父さんの選んだ道と一緒なのだろう。


 遼さんがいい加減な気持ちであんなことを言ったのではないことは、分かっていた。あの目は、決して中途半端な気持ちではないことをしっかりと示していた。


 ただそれでも、それでも、


「そんなの、認められるわけ………ないです」


 二人とも、なんて許せるはずが無かった。その道の悲劇的な結末を自分は身をもって知っていたし、それより何より気持ちが許すはずが無かった。


 憎かった。彼にあれだけ愛されている彼女が憎かった。彼を殺しかけたというのに、好きだといってもらえる。自分勝手な狂気を振りまいたにも関わらず、それを彼に受け止めてもらえる。心に傷を持つ彼の傍にただ居ただけで何もしてこなかったのに、私はその傷を癒そうと必死になったのに、それでも彼女は彼に必要とされる。おかしい、こんなの不公平だ。憎い、憎い、憎たらしい。


 どうして、どうして彼女のほうが彼に愛されているんだ。

 あいつはただ彼の隣で犬みたいに尻尾を振っていただけなのに、あんなに想われるなんて。そうだ、私が泥棒猫ならあいつは野良犬だ。小汚い雌犬だ。発情しやがって、この犬畜生。どんな病気を持っているか分からないお前みたいな犬コロに遼さんを近づけられる訳がなかろう。


「………死ねっ、死ねっ、死ね、死ね、死ね死ね、死ね死ね死ね」


 今なら私を殺しに来た当時の『彼女』の気持ちも、この前の糞犬の気持ちもはっきりと分かる。遼さんとあいつの間に子供が出来たら殺してやりたくなるだろうし、遼さんとあいつが馬鍬っているのを見ても殺してやりたくなる。


 きっと私があいつを殺したら、遼さんは悲しむだろう。下手をすれば、私のことも嫌いになる。だから別の選択肢を探すのがベスト、他の手段で遼さんと松本先輩を引き離すのがベストだ。遼さんの幸せを考えるなら、私が身を引くというのも正解かもしれない。


 そんなことは分かっている。だけど今はそれよりも、


「……………殺して、やりたい」


 あの野良犬への殺意が勝っていた。理屈よりも、感情が私を支配していた。全てを忘れて抹殺に走るあの犬ほど、私は馬鹿じゃない。そんなことをしたら大変なことになると、しっかり私は理解している、冷静だ。それでも今の私の気持ちの中心はあの女への怒り、憎しみ、そして殺意。少しでも気を抜いたらそれらに私は従ってしまう。既にトリガーに指は掛かっていて、ほんの少しの衝撃で私はそれを引いてしまう。


 ポケットで携帯電話が揺れた。病院内なのに電源を切るのを忘れていた。これはいけない。見たらすぐに電源を切らないと。


 サブウィンドウに表示されたのは、滝村さんからの着信だった。


「もしもし? 何かありましたか?」

「はい、実はお嬢様にお客様が………」


 こんなときに誰だろうか、今は自分の殺意を何とか押さえ込むのに必死なのに。


「誰です?」


 冷たい風が、屋上に強く吹いた。


「………松本由美様です」


 ―――――――引き金にかかった指に、力がこもる。


「滝村さん………」


 限界が近い、というかもうギリギリ一杯だった。


「はい、何でしょう?」


 銃弾を発する準備はもうとっくに出来ていた。


「少し、お願いがあります」


 あとはそう、狙いを定めるだけだ。



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