第23話
「……………誰と、電話してるんですか、遼さん?」
僕の後ろには、俯いた楓が立っていた。
「か、楓…………」
その左手にはコンビニの袋を、そしてその右手は受話器のホルダーを抑えていた。
「誰と、電話してたんですか?」
俯いているためその表情は窺えない。が、その声はひどく冷たく、感情を押し殺したようなものだった。
「いや、その…………」
その姿を見て、思わず口ごもってしまう。
「松本先輩、ですか?」
ほとんど確信を持っているかのような声で、楓は尋ねてきた。
「えっと………………うん」
嘘をついたところでどうにかなるとは思わなかった。だって僕は楓との約束を破ったのだから。
「……………とりあえず、部屋に戻りましょう」
取り乱した様子も無い冷静なその話し方が、逆に怖かった。
「すみません、車椅子をお願いします」
僕らの近くに居た看護士さんに、楓はそう頼んだ。
「いや、歩けるよ」
ここまで歩いてきたのだし、そこまでする必要はなかった。
「ダメです。遼さんは怪我人なんですから」
その声からは威圧感すら感じ取れた。彼女も、きっと頑固なのだろう。
「………了解」
さっきの電話のようなやり取りを楓と今やったとして、この雰囲気じゃ笑い合える気はしなかったので、僕は素直に了承した。
程なくして車椅子がやってきて、それに乗って僕は病室まで運ばれた。もちろん押しているのは楓で、もちろん会話はなかった。
「はい遼さん。これで良かったですか?」
病室に着くと楓は最初に、コンビニの袋から黒いペットボトルを取り出して言った。
「あ、ありがとう」
一応受け取っておくが、今すぐ飲む気にはなれなかった。そもそもそこまでドクターペッパーが好きなわけでもないし、それに何よりこの雰囲気だ。話している最中にマヌケなゲップなどが出てしまったら、冗談じゃない。
気まずい沈黙が病室を包んだ。僕はベッドに上半身を起こした状態で入っていて、楓はその隣の椅子に腰掛けている。空は相変わらず曇っていて、柔らかな午後の日差しなんかが差し込んでくれる希望は、どこにもなかった。
「……………どうしてですか」
最初に沈黙を破ったのは、楓だった。
「どうして松本先輩に電話なんかしてたんですか?」
言葉の端に怒りや悲しみ、やりきれない思いなどが垣間見えた。さっきまでの無表情は、激情の裏返しだったのだろう。
「………………ごめん」
僕はただ、そうやって約束を破ったことを謝ることしかできなかった。
「ごめんじゃなくて、私は理由を聞いてるんです!!!」
ここに来て初めて、楓が声を荒げた。ああやっぱり僕は駄目人間じゃないか、畜生。
「心配、だったんだ」
それでも、僕が駄目人間だとしても、僕は彼女を守ると決めたから、だから嘘はつかないで話そう。
「私ちゃんと、先輩なら大丈夫だって、遼さんに説明しましたよね? なのに何が不満だって言うんですか!?」
今まで溜め込んできたものを吐き出すかのように、楓は言う。
「不満があったとか、そういう訳じゃないよ」
楓に悪いところなんて何にもない。こうしてずっと傍に居てくれていること、病院の面倒や医者の手配に入院費の負担、おまけに僕の頼みを聞いて先輩を助けてくれたこと、全部感謝している。それに何より、こんな僕を好きになってくれたこと。感謝してもしきれない気持ちが、僕の中に確かにある。
「だったらどういうことなんですか!!??」
だから言わないといけない。僕の気持ちをはっきり言わないと。今から言うことがどんなに最低な台詞だとしても、それでも言わなくちゃいけない。逃げたらダメなんだ。
「俺はさ、楓………」
楓が僕に前に進む力をくれたから、大事にしたいから、だから僕は言う。
「先輩のことが、好きなんだ」
楓の目をしっかり見て、僕は言った。
「―――――――――え?」
止まった。その瞬間、楓の全てが止まって見えた。いや、実際止まっていたのかもしれない。
「楓のことが嫌いだとか、そういう意味じゃないんだ。俺は楓のことも好きだから」
自分が最低最悪なことを言っているのは理解していた。『も』なんていうこの助詞は、とてつもなく相手を傷つけるものだということは、ちゃんと分かっていた。
「俺は楓も、先輩のことも好きだから…………だからどっちも必要なんだ」
意識を取り戻してからずっと考えていたことを、今、言った。それは酷く僕だけに都合の良い話で、甘すぎる考えだった。そんなことを言ってしまったら、そのあとに待っているのは間違いなく、破綻。それが分かっていても、僕はこの最低な希望にすがりつく。だって僕は心から、二人のことが必要だと思っているから。嗚呼駄目人間、ここに極まれり。
「そ、んな………こと………」
僕が思いのたけを吐き出しきってからしばらくして、楓はようやく動きを取り戻した。
「楓…………」
分かって欲しかった。限りなく不可能に近いことだとは分かっていても、楓に僕の気持ちを理解して欲しかった。
「そんなこと、納得できる訳ないじゃないですかっ!!!!!!!!!!!!」
今まで聞いたこともないほど大きな楓の声。その目尻には涙の粒すら浮かんでしまっていた。
「楓っ!!」
彼女に触れようとした。だけど楓は僕から遠ざかる。背を向けて走り出し、一目散に病室を飛び出していく。それを追おうとして急いでベッドから降りようとすると、身体が上手く動いてくれなくって、僕はベッドから落ちてしまった。
「うっ…………!!!」
腹に、鋭い痛みが走る。それだけで僕は、立ち上がる気力を失くしてしまった。
「くそっ…………」
拳を床に打ち付けて、そのまま床に仰向けになる。
こうなることは、分かっていた。それでも僕は、こうせざるを得なかった。だからこれは後悔したってどうしようもないこと。なのに、それは分かっているのに、
「楓………………」
失ってしまったものの代償に今更気付いて、胸が壊れそうなほど痛んだ。
「アハハ…………」
乾いた笑い声を出してみた。空は相変わらず曇っている。
「あ~あ………」
――――――駄目人間、ここに極まれり。




