第14話
結局僕は、五限も六限もそのまま屋上でサボった。
「四時半、か………」
下校時刻まであと三十分弱。十二月の寒空の下に四時間近くいたわけだ。
「綾瀬さん、もう帰ったかな……」
教室に戻って綾瀬さんと顔を合わせるのが億劫だったから、僕は午後の授業もサボってずっとここにいたのだ。
が、
「へーっくしょん!!」
そろそろ限界みたいだ。
「さぶ……、そろそろ帰ろっかな……」
と、思ったけれど荷物の一切は教室に置きっぱなしだ。財布も定期も鞄の中。これじゃあ帰りたくても帰れない。一旦教室に戻らなくては。
「はあ……」
とにかく綾瀬さんが教室にいないことを祈って、僕は屋上を後にした。
この約四時間、僕はいつも通りの、それでも最近はなりを潜めていた憂鬱にやられていた。
もし時間が巻き戻せるなら、もし僕があんなことをしてしまったあの日に戻れるなら、僕はきっと何だって耐えられる。彼女がいない日々を過ごしてきた今の僕なら、何だってできる。そう思った。
それでも、今更何を考えたって、どんなに胸を痛めたって、どれだけ後悔しても、時間は巻き戻らない。全くもって当たり前のことだ。
それでも、それでも割り切れない感情っていうのは、確かにある。
ただ単に僕が未練がましいだけじゃないか、その指摘を否定する術はどこにもない。ただそれでも、僕は忘れることが出来なかったし、忘れたくなかった。そんな未練がましいことを考えている自分はどうしようもなく女々しいし、とてつもない駄目人間だと思う。思うけど、どうにもならないのだ。
「あーあ……」
本当に、最近の僕はどうかしていた。
高校に入って、何となく放送部に入って、それで先輩と出会って。
多分僕が朋子のことを思い出そうとしないと思い出さなくなったことには、先輩の力が大きかったんじゃないかと思う。別になんてことはない毎日だったけど、先輩と過ごした退屈な放課後は、僕の荒んでいた心をゆっくりと、僕自身も気付かないくらいゆっくりとだけど、確実に癒していった。
ああでも僕は先輩とも、綾瀬さんとも近づきすぎた。僕はそんなことをしていい人間なんかじゃないだろ? その通り、その通りの駄目人間だ。
でもさ……
「楽しかった、な………」
素直な感想が口から溢れる。高校に入ってからずっと親密な人付き合いを避けてきた僕にとって、彼女たちと過ごした時間は、紛れもなく楽しい時間だった。
その呟きが過去形であることは今の自分への決別、進もうとしている自分の否定。それらの表れ。
「ホント、危ないところだったよな」
乾いた笑い声を出しながら、一人呟いた。
今日あの夢を見ていなければ、僕はこのまま楽しい日常に身を任せて、大事だったことを忘れてしまうところだった。
そんなことを考えながら教室の前までやってきた。
――――僕は、進まないんだ。戻れないとしても、進みたくないんだ。
深呼吸をして扉を開く。
「あっ、中原さん」
――――固めたはずの決意が、一瞬で崩れてしまいそうになる。
「えっ?」
そこには、綾瀬さんがいた。
僕がやってきた途端、ぱあっと顔が明るくなる。いつもの、どうしようもなく魅力的な笑顔。
「あ………」
何故? どうして? 駄目だ、僕は止まってないと。
足が後ろに向かう。
ここから、早くここから逃げないと。
「待ってください!!!!」
僕に背を向ける時間を与えずに、綾瀬さんは真正面から僕の胸に飛び込んできた。そしてその腕で、さっきとは比べ物にならないくらいの強さで、僕を抱き締める。
「行かないでください、中原さん………」
僕を離さないように強く、強く抱き締める綾瀬さん。
これじゃあ、この状況はさっきの焼き直しじゃないか。教室には他に誰もいなくって僕と綾瀬さんの二人っきり。違うところは教室中を照らす夕陽のオレンジと、綾瀬さんの様子だけだった。
僕の胸の中から発せられるその声は震えていて、か細くて、今にも消えてしまいそうなほどだった。
「……ど、どうしてここに?」
「中原さんが、心配だったからです」
この娘は僕のためにここに残ってくれていたというのか。
「どこかに行ってしまって……ずっと戻って来なくって……心配したんですよ?」
気持ちが、揺らぐ。
「アハハ……ゴメンね。ほら、俺ならもう大丈夫だから。ね? 離しても逃げないから」
「ダメです」
「元気だから、心配ないって」
「ダメです」
「それにさ、こんなとこ誰かに見られたら大変じゃない?」
「私は全然構いません」
声を明るくして言うが、綾瀬さんは全く僕を離そうとしない。僕の胸に顔をうずめて、腰周りを強く強く抱き締めていた。こんなに強く誰かに抱き締められたのは、初めてじゃないだろうか。
「………………………っつ」
そんなことを考えたら、頭の中に朋子の顔が浮かんできて、彼女と抱き締めあったことを思い出して、胸が酷く締め付けられた。
「………どうして、どうして中原さんはそんなに無理するんですか?」
ここでまた僕が無理してない、なんて言ったらきっと綾瀬さんは一生僕を離してくれないだろう。
「どうしてって………」
そんなものは決まっている。自分がしたいからだ、自分がこれを選んだから、自分が止まっているんだと決めたから。僕みたいな駄目人間は、人と深く関わるべきじゃない。
「………俺が、俺がこれでいいから」
「良くないです!!!」
今までにない大きな声を出して、そして僕の顔を見上げた。
「綾瀬、さん………」
その顔は――――泣いていた。
僕はまた、泣かせていた。泣いてなんか、欲しくないのに。
「どうして、周りを頼ってくれないんですか?」
そんな迷惑をかけるわけにはいかない、僕みたいな駄目人間は他人に依存なんかしちゃいけない。もしそんなことをしたら、きっとまた僕は誰かを傷つけてしまう――――傷ついてしまう。もう僕は失う辛さを味わいたくない、失ってしまうのが、怖い。
だから僕は止まっていようと思ったんだ。
「中原さん……私、中原さんのことが好きです」
胸の中から僕を見上げながら、綾瀬さんは言った。その瞳には、涙が夕陽に照らされてオレンジ色に輝いていた。
「綾瀬さん……」
本当は、分かっていたことだった。綾瀬さんの日頃の僕に対する態度を見ると、それ以外の答えは出てこなかった。それでも僕は、逃げていた。だって僕は駄目人間だから。
「綾瀬さんはきっとさ……何か勘違いしてるんだよ」
僕らが出会ったあのコンビニ強盗の一件。あのときの僕はきっと、綾瀬さんの目にはさぞ格好良く映っただろう。でも、
「俺は綾瀬さんが思ってるほど、出来た人間なんかじゃないんだ」
でも僕は、駄目人間なんだ。そんな奴が、こんな素敵な女の子と結ばれていいはずがない。
「……どういう、意味ですか?」
依然として綾瀬さんは僕から離れようとしない。彼女と密接している時間が長くなればなるほど、僕の気持ちは揺れてしまっていた。
ダメだ、ダメだ、ダメなんだ。自分に必死に言い聞かせる。
「俺は、駄目人間なんだよ」
そう口にすることで、決意を固めなおす。ここでもし綾瀬さんにもたれかかってしまったら、きっと僕は彼女をいつか傷つけてしまう。だって駄目人間だから。
僕の台詞を聞いて綾瀬さんは俯いて黙ってしまった。もう諦めたのだろうか? だったら早く離れてしまおう、そう思って腕に力を入れたその時だった。
「………そうですね。中原さんは、ダメな人です」
綾瀬さんは俯いたままそう言った。そうだ、だからこんな奴のことは見捨てたほうがいい。さっさと離れたほうがいい。
「こんなにあなたのことを好きな人がいるのに、逃げるなんてズルイです」
そう言いながら顔を上げた綾瀬さんの表情は、
「え?」
とても穏やかで、そして笑っていた。
「もう一度言いますね、中原さん」
――――止めてくれ、そんな顔で笑わないでくれ。
「私は中原さんのことが好きです」
――――君の笑顔は眩し過ぎるんだ。
「初めて会ったときから好きでした。一緒に過ごすようになってからはもっと好きになりました」
――――止めてくれ、僕の心を揺さぶらないでくれ。
「あなたが辛いなら、悲しいなら、私は助けてあげたいです、支えになりたいです」
――――そんな優しい言葉を使われてしまったら、僕は、僕は………。
「私は……中原さんが好きなんです、大好きなんです!!」
「――――っつ!!」
抱き締めていた。
僕は綾瀬さんを抱き締めていた。
きつくきつく、抱き締めていた。
「中原さん………」
「……うぐっ……うう……あ、あ」
気付くと、涙が出ていた。
誰かの前でこうやって思いっきり泣くなんて、こんなこといつからしていなかったんだろう。
「よしよし……」
綾瀬さんは、そんな情けない僕の頭を撫で続けてくれた。その優しさで、涙はさらに溢れてきた。
「うっ、うう……ひっく」
ああもう格好悪いなあ、なんて嫌になるのだけれど、涙はどうにも止まってくれなくて、僕は泣き続けた。
「大丈夫ですよ遼さん、私はずっとここにいますから」
「綾瀬さん………俺、ダメで、ダメな人間で」
「そんなことありませんよ」
少し涙が落ち着いてから、僕は体を少し離して綾瀬さんの顔を見た。
彼女と同じ、優しくて、安心できる笑顔がそこにあった。
――――ああ、そっか。だから似てるなんて思ったんだ。
「できれば、その……楓って呼んでくれると嬉しいです、遼さん」
「楓……」
その理由が分かって、僕は心の中でため息をついて、そして僕は楓にキスをした。
「っ…………」
驚いたように一瞬体を硬くする楓。だけれども、それはすぐに解かれて、僕に身を任せてくれた。
唇を当てるだけの、短いキス。
それでもその一瞬が永遠かとも思えるような、長いキス。
久しぶりのキス。
彼女以外の女の子との、初めてのキス。
「遼さん……」
その顔はぽおっと赤らんで、うっとりとした表情で僕を見つめていた。
「俺も……俺も楓のことが好きだ」
言った、言ってやった。
もう二度と、同じ失敗は繰り返さないために。
もう二度と大事なものをなくしたりしないために。
「はい、ありがとうございます。遼さん……」
そして今度は、彼女のほうから唇を重ねてくる。
「んっ……んんっ」
また先程と同じく唇を当てるだけのキスを数秒続けてから、僕は彼女の唇をついばみ始めた。
「ふっ…んん……遼さん………んん」
僕の動きに楓も合わせてきてくれる。
そして僕は自分の舌を、楓の口内に滑り込ませる。
「ふあっ、んん………」
彼女はこれまたすぐに受け入れてくれる。
舌と舌を絡めあう、口内の至る所に僕の舌を這いずり回らせる、深くて、長いキス。
「んんんっ……、はあ、はあ………遼さん………」
顔を離すとき、唾液が糸を引くのが見えた。
潤んだ瞳、恍惚に震える声、それらが僕の理性を壊していく。
混ざり合った唾液を口許にまみれさせたその楓の表情が、僕のブレーキを壊していく。
「遼さん……、その……いいですよ」
「え?」
「えっと……」
そう言って僕の、知らないうちにハッキリと自己主張を続けていた僕自身を、俯いて見つめた。
「わたし、遼さんなら……ううん、遼さんにして欲しいです」
「楓………」
僕にこんなことを言ってくれる女の子がいるなんて、僕をこんなにも許してくれる、受け入れてくれる女の子がいるなんて……。
僕はもう一度、彼女を強く抱き締めた。
「あっ、でもちょっと待ってください」
そう言うと楓は僕の緩んだ腕をすり抜けて、自分の机まで小走りで駆けていった。
「え~っと………」
何やら鞄の中をゴソゴソと探る。
しばらく彼女はその鞄を探っていたかと思うと、とてとてとこちらへ戻ってきて、
「ごめんなさい……、今日は持ってなかったです。遼さんと会ってからもしこういうことになるかもと思って、持つようにしていたんですけど」
顔を真っ赤にして言った。
………あ、なるほど。
「いや、そういうのは普通こっちが」
というか、こんなシチュエーション全く想像していなかったわけで。
「いいんですよ」
「でも………」
謝ろうとする僕を急かすように、
「んっ………」
彼女のほうから唇を求めてきた。
「はんっ……んむ………」
不慣れながらも熱心で濃厚な口づけ、必死に僕を求めてくる彼女の舌。
「はぁ、はぁ………りょうさん」
――――もう完全に、
「ふあっ!!」
――――スイッチが入った。
(省略されました。続きを読むにはノクターンノベルズで「愛しさとウンタラカンタラ ワッフルワッフル」と検索してください)※18歳以上対象ですのでご注意ください。あくまでオマケですので、読まなくても次話には影響ありません。




