第12話
それからの日々は辛かった。
最初のうちはそう、何とかなるって思っていた。でも受験勉強のため自由な時間はどんどん削られていく、学校で一緒にいるときも僕らは別になんでもないただの友達、周りのカップルがやるような手を繋いでの登下校なんて出来るはずもない。そんな分かっていたはずの小さなことが次第に我慢できなくなっていった。
僕らの気持ちは通じ合ったのに、通じ合っているのに、近づくことは出来なかった。
やっぱり僕はその、年頃の、思春期の男の子というか、ともかく初めて彼女が出来て舞い上がっていたのに何にも出来ないっていうのは、何と言うか物足りなかった。
彼女と近づけないくらいで女々しいんだよこのゴミ屑野郎!! なんて思うのだけど、気持ちはどうにもなってくれなくて、欲求不満が募っていった。
そんなことを不満だと思う自分が、自分で決めたことなのにそれを受け入れられていない自分が、どんどん嫌いになっていった。
朋子が他の奴と話しているだけで気分が悪くなって、笑い合っているときなんか尚更腹が立って、そんなことを思ってしまう自分を責めて、みんなと居るのも辛くなって。
そんな日々は確実に僕の心を疲れさせて、駄目にしていった。
電話が、受話器が僕らの唯一のつながりだった。
「今どこから電話してると思う?」
彼女の楽しそうな声。それを聞くだけで僕は元気になれた。
「さあ、どこ?」
もちろん彼女の顔が見れないのはとても残念だけど、受話器越しのこの時間は他の誰もいない、二人だけの時間だ。
「ん~、じゃあヒントです。ここからは星が見えます」
「ベランダ」
「うわっ、正解。一発ってすごいね、遼」
だって家の敷地内で星が見えるところなんてベランダか、屋根か、あとは庭くらいじゃないか。
「おおぐま座にこぐま座、あとはカシオペア座に………オリオン座」
季節は十二月、まさに冬真っ盛り。
「あんまり長くいると、風邪引くぞ」
僕の部屋の中でも、暖房器具が大活躍していた。
「大丈夫大丈夫。ほら遼もちょっと出てきてみてみなよ。綺麗だよ~」
そんな寒空の下にいるのに、朋子の声はとても楽しそうだった。
「いや、俺星座とか分かんないし」
かろうじて分かるのは、オリオン座くらいだろうか。理科の問題で出てくるし。
「そんなの分かんなくったっていいんだよ。綺麗なものは、綺麗なの」
朋子は星が好きだ。みんなで一緒に帰るときも、一人で上をポカーンと見ていることが良くある。そのとき口がいつでもマヌケに半開きになっているのは、本人には内緒だ。
「うおっ、寒っ」
窓を開けてベランダに出ると、冷たい空気が鋭く刺さってきた。
「どう? 綺麗でしょ?」
「………ああ、綺麗だ」
星は確かに綺麗だった。
だけどそれよりも、彼女と同じ景色を見ていることが、僕には嬉しかった。ああなんか僕は、朋子と付き合いだしてから、妙に感傷的というかロマンチストになっていないだろうか。
「何だかなあ………」
「ん、どうかした?」
「いや、何でもないよ」
でも別に、それも悪くはない気がした。そう思える自分が、どうにもむず痒かった。
「流れ星でも来ないかな?」
「さあ、どうだろうな」
「もし流れ星が来たらさ、何をお願いする?」
ああ、あの三回言うと叶うってやつか。
「う~ん………」
少し考えたあと、
「このまま時間をとめて下さい、とか」
僕はそう言った。
このまま時間が止まってくれたのなら、この幸せな気分のまま時間が止まってくれたのなら、それはどんなにいいだろう。ただ星は綺麗で、僕と朋子は受話器越しではあるけど繋がっていて、大嫌いな自分の我侭さや醜さも忘れられて。
「え、何で?」
それでもそんな情けないことは彼女に言えないから、
「………寒いから」
だから僕は、精一杯格好をつける。
「どういう意味?」
「寒いの好きなんだよ」
泣き言なんかは言えない。言えないし、言いたくない。
「………あのさ」
普段思っていることが格好悪いのだから、これくらいしないと帳消しにはならないだろう。
「ん?」
どんなに僕がダメな人間でも、彼女の前くらいでは格好良くいたかった。
「遼ってひょっとしてマゾ?」
「あのねえ……」
まあ僕のそんな意図に、彼女は全く気付いていないのかもしれないけど。
それから僕らは部屋の中に戻って、またいつものように他愛のない話をして、またいつものように笑った。
そして、別れの時間がやってくる。
「それじゃ……また明日ね」
また明日学校で会うのは僕の彼女の『朋子』じゃなくて、ただの友達の『藤田』だ。
「ああ、おやすみ………」
奥歯を噛み締めて、その苦しみに耐える。
「おやすみ、遼………」
僕らの唯一のつながりが、今絶たれる。
「――――朋子」
「ん?」
良かった、まだ受話器から離れていなかった。
「……好きだよ」
この一言にありったけの気持ちを込めて、彼女への想いの全てを込めて、僕は言った。
「……うん。ありがとう、遼。私もだよ」
こうやって彼女が僕の想いを受け入れてくれるから、こうやって気持ちを返してくれるから、だから僕は何とか生きていけていた。
電話を切ってから、もう一度ベランダにでて空を見上げる。寒いのに僕は何をやっているんだろな、なんて半ば呆れながら星を探す。
「………おやすみ、朋子」
オリオン座が、冷たく、光っていた。
僕と彼女との、最初で最後のデートはクリスマスイヴだった。
電車に乗って少し遠出して、僕らは水族館に行った。
朝の待ち合わせは駅前広場でも、改札前でもなく、電車のホームだった。その理由は、僕らがこんな日に一緒に居るのを見られたくないから。そのことに少し心は痛んだけれども、一ヶ月前から楽しみにしていたその日を、僕は目一杯楽しもうとした。
その日は、誰にも遠慮なんかしないで僕らは堂々とカップルをした。『カップルをした』なんて表現はちょっとおかしいものかもしれないけど、それがぴったり来るようなデートだった。手を繋いで歩いて、水族館なんかに行って、昼ごはんの時に朋子の焼いてきたクッキーを食べて、夕陽が沈むのを展望台から眺めて、プレゼントの交換をして、僕は格好付けて指輪なんかをあげたりして、正真正銘のデートだった。
帰りの駅までの暗い道を、手を繋いで二人で歩く。
基本的に何もない港町だから、人通りは少ない。
帰りたくないと、そう思った。このまま彼女と二人で何のしがらみもないこんな場所で生活できたらそれは何て素晴らしいことだろう、そう思った。
だけど、
「…………アホか」
そんなの無理に決まってることぐらい、分かっていた。
「どうかした?」
「いや、何でもないよ」
「………そっか」
残り時間は少ない。もう一秒だって朋子の手を離したくなかった。
「…………なあ朋子」
「ん、何?」
そう言ってこっちを向いた朋子の唇に、さっと自分の唇を重ねた。
初めての、キス。
何味かなんて、そんなものは分からなかった。
ただ二人ともずっと外にいたから、その感触は想像以上に冷たかった。
顔を離すと、いつもと同じ笑顔の朋子がいた。
「…………驚かないんだな」
「まあね、いつかしてくるだろうなとは思ってたから」
お見通しだったわけだ。僕、カッコ悪。
「ありがと、遼」
「……う、うん」
僕はその笑顔にどう応えていいか分からなくて、とりあえず頷いていた。
どうしようもなく好きな、大好きになったその笑顔。
離したくないと思った。
本当に、このまま時が止まってしまえばいいと、そう思った。
「今日も星、綺麗だよ」
そう言って空を見上げる口は、相変わらず半開きで、
「朋子……」
僕はまた、
「ふあ………ん…………」
朋子にキスをした。
「ん………んあ……」
半開きになっていた口に、僕の舌を滑り込ませる。初めてのことで勝手も分からず、ただ僕は朋子の口の中を嘗め回した。それにすぐに応えてくれる朋子。熱心に、不器用に、僕らのディープキスは手探りで進んだ。今度は冷たいなんてことはなく、朋子の熱を僕は存分に味わった。
「はあ……はあ……、これは流石に、ちょっと予想してなかったかも」
一回なんかじゃ足りなくって、僕は何度も何度も朋子に口付けした。
寒空の下、抱き締めて、口づけて、離して、またキスして、それを何度も繰り返した。
結局、帰りの電車は予定より二本も遅らせることになった。




