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第10話

【視点:綾瀬楓】


 行ってしまった、中原さんが、私の好きな彼が。とてつもない喪失感と、胸の苦しさが私を襲った。

 一体彼の心の中には何があるというのだろう?

 分からない、分からないけど………、


「とても、辛そうでしたね………」


 呟いてみても返事はない。教室の中には、私しかいない。


 途中までは良かった。

 中原さんはグッスリ眠っていて、その顔は穏やかで、本当は私は少しも起こそうとなんかしていなくて、その寝顔をただずっと見つめていて、とても幸せだった。

 この寝顔を今見ているのは、今彼の一番近くにいるのは、あの先輩なんかじゃなくて私なのだ。そう思うと、どうしようもない気持ちが胸に溢れてきた。


『ん……、ああ……』


 もう、寝言まで言い始めちゃって。格好良いだけじゃなくてカワイイなあ~中原さんは。あ、涎たらしちゃったら私が舐めて綺麗にしてあげますからね? なんちゃって。


 ――――私は幸せだった。


『ともこ………』


 ――――そう、この寝言を聞くまでは。


 ………え? 中原さん、それ誰ですか? 『ともこ』って、誰のことです? 私の名前は『楓』ですよ? 


 その名前を呼んでから、中原さんの寝顔は急変した。

 穏やかだった表情は苦痛に歪められ、額に汗をかき、『ごめん、ごめん』とうわ言を繰り返して、そしてついに中原さんの瞳から――――涙が、零れ落ちた。


 そこから先、私は中原さんを必死に起こして、中原さんは誤魔化すように明るく笑って、その姿がとても辛そうで、私は気付いたら彼を抱きしめていた。


 そして私は彼に、中原さんに、


「拒絶、されちゃったのかなあ……」


 そうだとしたら、それは悲しい。悲しくて、辛い。

 先ほどまで彼を抱きしめていた腕で、自分の身体を抱きしめた。温もりはもう、ほとんど残っていない。


「中原さん……」


 彼の抱えていた哀しさは、何なんだろう?

 今まで見たこともないくらい、哀しみに満ちたあの顔。

 切なくて、心配で、苦しかった。


 中原さんの荷物は全部教室に置きっぱなしで、走っていくときに落としたのだろう、携帯電話も床に転がっていた。

 勝手に見るのは悪いとは思いながらも、私は中原さんの携帯電話を開いた。


 電話帳を開いて、下の名前が『ともこ』という人物がいるかどうか探す。

 ともこ、ともこ、ともこ………。

 電話帳のどこにも『ともこ』なんていう名前は見つからなかった。登録件数が思いのほか少なかったので、探すのには苦労しなかったし、見落としたとも思えなかった。


「はあ……………」


 誰なんだ、『ともこ』って。


 もうすぐ四時間目も終わる。昼休みになったら中原さんは戻ってくるだろうか?

 ………望みは薄いな、何となくそう思った。

 かと言って、校内を探し回ってバッタリ会ったとして、私は何を言えばいいんだろうか?


「………少し、落ち着いて考えましょう」


 そうだ、焦ってはいけない。今のまま中原さんに会っても私は何も言えない。だったらもう少し考えをまとめて、それから行動したっていいはずだ。


「しょうがないなあ………」


 そのためにはやっぱり情報が必要だ。あの人を頼るのは嫌だけど、今は仕方がない。


「中原さん、待っててくださいね」


 ――――私が必ず、あなたをその悲しみから救い出してみせますから。





【視点:松本由美】


 昼休み、授業が終わった途端、私はまさに脱兎の如く(クラスメイトが唖然とした目で見ていたがそんなものは気にしない)教室から駆け出た。

 あのクソハゲ爺授業三分も延ばしやがって、遼君といられる(まあ恐らくあの邪魔虫も一緒だが)昼休みが削られてしまうじゃないか。


 やっとこさ放送室に着いて、ドアを勢い良く開ける。


「やっほー、遼く……」

「こんにちは、松本先輩」


 そこには私の求めていた彼はいなくて、宿敵(『ライバル』とか『とも』とは絶対に読まない!!)しかいなかった。


「中原さんなら今日は多分来ませんよ」


 いつも遼君に振舞うのとは全く正反対の、愛想ゼロの表情で彼女は言った。


「それ、どういうことよ?」

「先生に仕事を頼まれたみたいで、昼休み中は働きっぱなしだそうです」


 遼君が来ないだって? それじゃあこんなに急いできた意味がないじゃないか……。


「はあ………」


 ため息をついてから私はパイプ椅子に腰掛けて、お弁当箱を広げた。テーブルの向かいの彼女も、非常に詰まらなさそうにサンドイッチをパクついている。というかこの娘は、遼君の前ではどうやら猫を被ってるようだ。普段の可憐さは今はなりを潜めている。それでもやっぱり、その顔立ちは同性から見ても心が動きそうになるほど綺麗なのだけれど。


「そういえば松本先輩」

「ん、何よ?」


 唐突に彼女から口を開いてきた。


「中原さんの昔のこと、何か知りませんか?」

「昔のこと?」


 何が言いたいのか分からなかった。


「はい、昔のことです。例えば………女性関係のこととか」

「さあ………私と会う前のことは分からないけど」


 というか知っていたって、この娘にだけは教えたくない。


「じゃあ、それからは何かありましたか」


 身を乗り出して、やけに熱心に尋ねてくる綾瀬楓。


「別に、遼君はずっとあたし一筋だったけど?」

「………真面目に聞いてるんですけど」

「な、何呆れた顔でみてるのよ!!」

「いえ、松本先輩って外見は頭良さそうに見えますけど、実は中身はそうじゃないみたいだなあって思っただけです」

「なっ………」


 なめやがってこの!!


「何よ、あんただって遼君の前じゃあんなに猫被っちゃって!!」

「それの何がいけませんか? アホよりマシです」


 さらっと言ってのける猫かぶり女。どう考えてもこいつは、明らかに喧嘩を売っている。


「このっ……!!」

「ほら、そうやってすぐ挑発に乗る。アホの証拠ですね」

「………………………」

「………………………」


 立ち上がって睨み合う。相手も退く気は一切なさそう、というか思いっきり挑戦的な目つきだ。


「ちっ………」


 私は震える拳を押さえて、何とか腰を下ろした。


「それでは本題に戻りますが」


 何事もなかったように話を戻す。こ、この女は……。


「高校に入ってから中原さんにそういう浮ついた話はなかった、ということですね?」

「………ええ、そうよ」


 なかった。うんそう、遼君にそんな話はなかった。


 それは別に私が遼君に近づく女の子を全員潰してきた、とかいう訳ではない。

 遼君が他人と、特に女の子とは距離を置いた付き合いをしているからだ。

 一見人当たりの良さそうに見える遼君だが、決して人の心の深くに踏み込んで行くこともしないし、それに他人に自分の深いところには絶対に踏み込ませない。


 私だってきっと、遼君の心の奥底には触れられていない。だけど、遼君と出会ってからのこの時間の中で、ゆっくりだけど確実に近づけてきているとは思う。

 その証拠がこの前の、


『……その、俺で良かったら何でも力になりますよ!!!』


 ――――この台詞。

 これを言ったとき、無意識だけど遼君はきっと私を心配してくれていて、それは他人の心の中に踏み込んでいくことに違いなくて、この一言を貰えたとき、実は本当に嬉しかったのだ。


「そうですか………」


 綾瀬さんは微妙な顔をして黙り込んだ。

 しかしこの娘は、何でこんなことをいきなり私に尋ねてきたのだろうか? 彼女にしたら、きっと私は一番頼りたくない人物だろうに。


「………………ともこ」


 沈黙が続いた後、彼女はおもむろにそう呟いた。


「は? 何?」

「いえ、何でもありません」


 そう言ったきり、彼女は黙ってしまったので、私は特に追及することもせず自分のお弁当に戻った。

 それからは特に話すこともなく、私たちはお互い、多分遼君のことを考えていた。


「それじゃあ、私はそろそろ教室に戻ります」

「んー」


 とっとと帰れ、そして二度とここに来るな。


「あ、そうだ先輩。中原さんからの伝言です」


 立ち上がってから、ふと思い出したように彼女は言った。


「え、遼君から!!??」


 そんなんがあったなら早く言いなさいよ、猫娘!!


「帰りも少し遅くなりそうだから放送室で待ってて下さい、だそうです。ちゃんと伝えましたからね?」

「うん、分かった!! ありがとう」


 も~遼君たら、私との約束のためにこんなことまでしてくれるなんて。えへへ、照れるなあ~。


「………それと、松本先輩」

「ん、なあに?」


 遼君からの伝言を貰って、自分でも分かるほど私はすっかり上機嫌だった。


「ごめんなさい」


 唐突に謝りだす綾瀬さん。一瞬何のことか分からなかったが、すぐにさっきの口喧嘩のことだと分かった。


「別にいいわよ、特に気にしてないし」

「そうですか、では失礼します」


 彼女が出て行って扉が閉じると、私は放課後のことを想像して思いっきりにやけた。

 昼休み会えなかった分、放課後の時間は大切に過ごそう。


「えへへ~、りょうくんっ」


 その妄想だけで午後の授業は軽くやり過ごせそうだ。








【視点:綾瀬楓】


 放送室を出て廊下を歩く。にやけそうになる顔を抑えながら私は歩いた。


 ――――知らなかった。間違いなくあの人は彼の抱えた哀しさを知らなかった。


「…………………あは、ふふふ」


 『ともこ』という女性の存在も、少し触れただけで壊れてしまいそうな中原さんの表情も、あの人は知らない。軽く『ともこ』について触れてみたが、恐らくあの様子ではやっぱり知らないのだろう。


「あははっ」


 松本先輩、あなたは何にも知らないんですよ?


「あはははははっ!!!」


 ………っと、危ない。今全然笑いを抑えきれていなかった。

 ああでも、愉快だなあ。何にも知らないくせに、彼のことなら何でも分かってますっていうあの顔。


「ばーか」


 今私は、間違いなく彼女より有利な立ち位置にあるといえる。

 今の中原さんを癒せるのは、私だけ。


「ふふ、うふふふ………」


 やるなら今しかない。勝負を決めるなら、今だ。

 彼女は今日の放課後、何も知らずにあの場所で彼を待ち続ける。

 本当にあの人は馬鹿な人なんだなあ、あははっ。


 ――――まんまと私の言葉を信じるなんて。


 教室に戻ると中原さんの荷物は先程のままで、彼がここに戻ってきた形跡はなかった。


「……念のため、下駄箱も見ておきましょうか」


 幸運なことに一年生の教室は一階なので、すぐに確認することが出来た。

 ………よし、中原さんはまだ校内にいる。


「あはっ、あはははははははははは!!!」


 何もかもが、私の思う通り上手く行っていた。

 愉快すぎて笑いが収まらない。


 ――――ねえ、松本先輩。


 ――――さっきの『ごめんなさい』は、あの下らない口喧嘩の謝罪なんかじゃなくって、


 ――――その本当の意味は、


「ごめんなさい松本先輩、中原さんは私が頂きます」


 ――――こういうことだったんですよ?



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