お酒は二十歳になってから
結局、みんな自分の分の夕食を持ってきて私が指導してリュートに作ったものと同じものが出来上がった。やってあげてもいいけど、私がいなくても作れた方がいいだろう。
「まずは今日の報告からだね。君の友人は王子に上手く取り入ったようだよ」
「……へぇ、それはそれは。王子って言ってもただの男か」
私は見る目のない王子に呆れながら遠い目をする。国とか私にはよくわからないけど、大きなものを背負っているのに美麗に簡単に騙されるとかないわ~。
「落ち着いているな」
「まぁ、王子はまず美麗の相手することで仕返しになると思うし」
きっと勝手の違う生活に美麗が文句を付けることは間違いない。それをどこまで許容してやることができるか、ある意味美麗の魅力と王子の忍耐対決か。これは高見の見物しかないな。
「なんか、悪い顔してるぞ」
「そのミレイって子は、王子を悩ませるってことかな?」
私のほくそ笑む顔をゲイルが目ざとく見つけてくる。
「どうでしょう? 私は振り回されましたけど。王子はそれを御せる度量をお持ちかもしれませんし」
「魔法はかけられているから、王子に逆らうことはないだろう」
リュートの言い方では美麗は一応王子に服従を強いられているようだ。
「あっ、それ! 気になっていたの。魔法で従わせるってどういうこと?」
「あぁ、それは……キスだ」
「キ、キス」
あれ、なんだろう。また最悪な日の再来?
なぜか私に付きまとうこの単語は、異世界にきても逃れさせてくれないらしい。
「おーい、おーい。固まっているぞ」
「うーん、純情なのかな?」
ゲイルとシリスが話しているのは聞こえていたが、私はしばらく茫然としてしまった。
「あ、」
「あ?」
「あの、節操なし女―! 廉の次は王子って何よそれ。勝手に服従でもしていればいいわ」
舌の根も乾かない間に起こした美麗の行動に、私は衝動的に手近のグラスの中身を一気にあおる。んっ、なんか苦いし、酸っぱい。
「レンって、お前のことか?」
「へぇ、やるね」
「おもしろがるな。レンとは誰か知らないがアスカの知り合いらしい。アスカは俺のことをリュートと呼ぶだろう」
三人の話声がやけに遠くに聞こえる。やだな、耳が遠くなったのかな、それとも内緒話でもされている? みんな本当は美麗の味方なのかもしれない。
私はなぜか疑心暗鬼になって必死で何かを話すリュートに近づく。
「何話しているのよ~」
「……近いぞ。それに様子がおかしいな」
「私は何もおかしくないわ! おかしいのは世の中よ、みんなしてキス、キスばっか! なんなの、もっと別のことを考えなさいよ。あーもう嫌だ。どうせ、みんな美麗とキスしたいんだ」
いつになく舌がよく回る。馬鹿げた魔法に文句を言えば少しすっきりする。
「ここにあったワインを飲んだみたいだね」
「……酔っ払いか」
大きな手で額を覆ったリュートに私は意味もなく笑えて来る。お酒なんて甘酒くらいしか飲んだことがないためわからないが、これが酔っ払っているということなのかもしれない。よく父さんが夜中笑って返って来て母さんに叱られ、その後なぜだかラブシーンに突入していた。うん、思い出すのは止めよう。このくだりは精神衛生上よろしくない。
「酒に弱いのか、もう止めておけ」
ゲイルの優しさも今のやさぐれた私の心には届かない。逆に煽られたようにグラスを取り上げて飲み干す。
「弱くないよ~飲んだことないからわからないけど~私未成年だし~」
「未成年? 十六歳ならこちらでは成年だけど、アスカの世界では違うんだ」
「うん、お酒は二十歳になってから!」
私はよく聞くフレーズを宣言して、三杯目のグラスを高く掲げる。
「もう、駄目だ」
「いいじゃん。ここでは成年なんでしょう、私? 今日は飲まずにやってられるかってーの……ひっく」
「何がそんなに気に食わないのかわからないが、とにかくキスが嫌なのか? 安心しろ、魔力がないだろうアスカは従えても意味がないからキスなどしようと思う者もいない」
そっか、よかった。って素直に喜べない私は冷静だった。だけど、むかむかとする思いが腹の底から沸き上がってきてそれを手放した。
「どーせ私は誰にもキスされたいと思われないですよ~だ。何よ、みんなして失礼しちゃう」
「……いや、そういう意味じゃな――」
「うるさ~い、飲むぞ!」
私はリュートの止める手を引っ張ってグラスを傾ける。
「うわっ」
ワインの赤が私の制服に飛び散った。制服にワインってどこか背徳的だと私の働かなくなった頭はぼんやりと考える。
「あーあ、布巾は?」
「全部干してあるぞ」
そう、私が掃除のとき全部使っちゃった。ははっ、笑える。
「もう、完全に酔っぱらいだな。笑ってるぞ」
「リュート、お守り頼むよ。ちょっと布巾とか持ってくるよ」
「もう、子ども扱いしないで~」
はいはい、と宥めるように私の頭を軽く撫でてからシリスとゲイルが一旦部屋を出る。
「もう休め」
「やだ~、子どもじゃないもん。私だって立派な女だもん! それなのに廉も王子もそれにリュートも私のこと馬鹿にして」
「俺もか?」
リュートは自分が言った言葉の重さがわかっていない。傷心の私にとどめを刺したのはリュートだ。
「そうだよ。私とは誰もキスしたがらないって……」「だから、それはそういう意味じゃなく魔力が――」
「じゃあ証明してよ!」
酔った勢いとは恐ろしい。私はおそらく酒での一番の大失敗と語ることができる所業を行った。
本当はね、可愛いもんで一瞬かすめる程度のことをしようとしたんだよ。だけど、この後のことは不可抗力で私の意思じゃない。
と色々言い訳したけど、まぁその私はリュートの唇に自分の唇を重ねさせたわけです。
特にキスした実感もないくらいの行為だったが、ファーストキスはワイン味。うん、ドキドキしてきたかも。
「アスカ……その魔力」
「んっー? もう一回? 仕方がないなぁ」
高揚する気持ちが私をさらに大胆にしてしまう。
「あぁ、もう一回。そうすればーー」
「んっ……んー!?」
私からと言うよりも、絶対今はリュートに引き寄せられた。自意識過剰と言われたって主張します!
だって私からだったらこんな技術はない。うだうだ考えている間に、ぬるっとしたものが私の口内に入り込む。
こ、これは大人キス! ダメ、ダメ。お酒は二十歳になってから!
混乱する私はリュートの肩を何度も叩く。
「も、もうわかったよ~うっむ」
「もう少しだから、俺を助けてくれ」
「ふあ……助ける? んっ、わかった」
息も切れ切れな私だが、リュートの切実そうな頼みに頷くしかない。
あったかくて、力が沸いてくるこの感覚は好きだ。初体験から、私もずいぶんと大人になったものだ。
「持って来た――おっと取り込み中か」
「あれ? もしかして」
シリスとゲイルだと頭は理解しても声にならない。それに一体この状況で何を言えばいいのだろう。
「あぁ、アスカは――おいっ、大丈夫か?」
リュートの呼び掛けが遠く聞こえる。これって酔いが回ったのかな、それともリュートのキスのせいで酸欠かな。どっちでもいいや。だって気持ちいい。
「おやすみ」
私はリュートの肩らしきところに顔を埋めて眠りについた。