③ギャップがある男?
「なんなのこれ……師匠もいい加減にしてください!」
「怒りっぽいと、成長が止まるわよ」
もうあえて私はどこのとは聞き返さない。
「あっ~、そうですね」
「何、投げやりになっているのよん。別にいいじゃない。人には人の個性があるんだから」
「散々、好みの身体を追いかけている師匠に言われても納得いきません」
私が思いきり師匠の胸を押せば、ようやく暑苦しい腕から解放される。まったく、この人は筋肉愛なのだから大きくなったロウを抱っこしていればよかったんだ。そうすれば、抱きしめられた圧でロウもしぼんでちょうどよかったかもしれない。
「まぁ、そりゃ理想はムキムキマッチョよ。引き締まった筋肉って素敵じゃない? でも、たまには違う味も食べたいじゃない? それが、気に入っている子なら尚更ね」
師匠が筋肉以外に何を味わおうと私は関係ない。
けれど、師匠は以前私のことは気に入っていると発言している。そう考えるとここはもしかしたら、危険が迫っているかもしれない。
私は、瞬時に頭を働かせて最善の道を探す。そして、導きだした答えは一つ。
「逃げるに決まっている!」
勘違いなら後から謝ればいい。私は一目散に駆けだした。
「どうしたの? アスカ」
「ちょっと用事を思い出したので~」
もうかなり離れた位置まで走った私は師匠に向かって大声で返事をする。今度は上手く対処できたと思う。後は、大人しくリュートが帰ってくるのを待っていれば――
「わたし、レンちゃんにアスカのことを頼まれているのよ。だから、放っておくことはできないわ」
いつの間にか並行して走っている師匠に私は言葉を失くしてしまう。この早さはホラー並みだ。
「い~や~」
必死でスピードを上げるが、師匠も同じくスピードを上げる。魔法使いの子弟らしくせめて魔法対決なら華のある絵だろうが、これは単なる体力勝負で泣けてくる。
「もう、面倒かけない! 捕まえた」
「ぐえっ」
腕が引かれて、私はさっきまで閉じ込められていた師匠の胸の中に逆戻りすることになってしまった。
「別に危ないことなんてしないから、放っておいてください!」
むしろ今の状況の方がよっぽど危ないと私は手足をばたつかせる。
「俺がいなくなったら……あいつを頼む。そんな感じよ」
「嘘! そんな死亡フラグ立ててリュートが出かける訳ない」
「まぁ、嘘だけど」
あっさりと認めた師匠に私はなら離せと言わんばかりに暴れる。
「なら、はーなーしーて」
「ちょっと静かに」
師匠の声がいつもの作ったような甘いものから、男のものに変わる。元々男なんだから、こっちが普通なのだが、なんだか違和感がある。
「う~ん、たまにはいいな」
私の身体を抱き上げて、師匠はなんだかご機嫌です。私は、そりゃあ言いたいことがたくさんある。たくさんありすぎて、一番どうでもいいことを叫んでしまった。
「どうして、急に男っぽくなるんですか――――!」
そうすれば、師匠は妙に色っぽく笑う。
あれ、私はどうしてセクハラについて言及しなかったの!
「なんでと言われると、差別化だ。みんな同じじゃべり方だと見分けがつかないだろう」
「顔を見ればわかります」
「顔が見えない方もいらっしゃるだろう」
「?」
私は師匠の意味のわからない言葉に首を傾げてしまう。
「わからなくてもいいよ。それにもう一つ意味があるから。それは、アスカに対する礼儀だよ。アスカは女が好きな訳じゃないだろう?」
「そんな礼儀いりませ~ん!」
私が大声を上げると、師匠がたまらず吹き出した。
「もう、冗談よ。冗談。アスカが胸、胸ってアル坊やロウにまで揉ませようとするから、どれだけ危険か教えてあげたのよ」
私を解放して師匠が高らかに笑う。口調も元のものに戻っている。
だが、腑に落ちないことがある……私は揉ませようなんてしていない。それでは、まるきり痴女ではないか!
「師匠! 私は――」
「大丈夫、心配無用! そんな、アスカのためにこんなものを用意したわ」
師匠は私の言葉なんて一切聞かずに、胸元から怪しげな小瓶を取り出した。
紫色のやけにどろどろした、しかし光の当たりようによっては輝くそれはとてつもなく怪しかった。
「そ、それは?」
聞きたくないが、聞かなくては話は進まない。
私はおそるおそる師匠に尋ねてみる。
「これを飲めば、たちまちナイスバディーになれるのよ」
胸を張って答えてくれる師匠を見ても、なんとも信用できない。そんな私は弟子失格だろうか? いや、この判断は正しいよねきっと。
「私は飲みませんよ」
勧められる前から、私は断りを入れておく。
「遠慮しなくていいわよ、ほらっ」
師匠の力強い腕が私を拘束して、もう一方の手は薬の小瓶を口に押し付けてくる。
「うぐぐぐぐ」
「あら、強情な子ね。でも、わたしに勝つのは百年早いわ。師匠が弟子に負けるわけにはいかないわ」
だから、私たちは魔法を教える教わる立場なのに……これ力技。
私は苦しくなって白くなっていく視界の中でも冷静につっこみをいれる。
「んっ――――ごくん」
「きゃっ、やっと飲んだわね」
小瓶の薬を飲んでしまった私は、ぐったりと師匠に寄りかかってしまう。一体何を飲ませられたのだろう。
「これで~、わたし好みの身体が完成するのかしら? 名付けてムキムキな~る」
「……い、いや……だ」
力なく呟く私は、今のところおかしな薬の効果はないようだ。
「どうして? 素敵な胸筋ができるわよ。そうすれば、アスカの悩みなんて小さい、小さい」
それは根本的に間違っているのだが、価値観が違うのだからしょうがない。
あぁ、でもどうしよう……ムキムキ……さすがにリュートも引くだろうか。
そんなことを考えている間に、なんか服がきつくなってきた……筋肉ができてきたのかもしれない。
「あら……うーん、予想とちょっと違うわね。何が悪かったのかしら? ちょっと本が必要ね」
師匠は何やらぶつぶつと独り言を零すと、私を木の幹に預ける。
「ちょっと、待っててね」
言うが早いか、ドレスの裾を捲り上げ屈強な足を披露しながら師匠は走り去っていく。
「予想と違う? ムキムキじゃない?」
私はこれからどうなるのだろうかと、動きの鈍い身体を見降ろす。服が少しきつくなっただけで、まだ大きな変化はきていない。
「師匠が来たら、完成させられちゃう」
屈強な男の身体に憧れを抱いたことはないと言えば嘘になるが、今はそれを望んでいない。
「私も魔法使い……なんとかしなきゃ」
本さえ手に入れられれば中和剤を作ることも可能だろう。私は、のろのろと身体を動かす。
「アスカ様?」
「ジュハ?」
這って歩いている私に声をかけてきたのは、敬称などいらないといくら言っても聞かないリュートの忠実な部下であるジュハだった。
「どうしたのです!」
「あっー、ちょっと色々あって。魔法書が置いてある場所ってある? 師匠のとこ以外でね」
「……ありますよ。お連れします」
私は思わぬ味方を拾った。
「ありがとう。お願いします」
こうして私は師匠の魔の手から逃れ、図書館へと辿りつくことができた。




