⑤彼と私
二人で肩を並べての帰り道、私はリュートを見上げる。
「アディス、本当に留守にして大丈夫なの?」
「……大丈夫といいたいところだが、また突然の奔走ととられると厄介だからな。早く帰らなくてはと思う」
「そっか……」
別にもう会えなくなるわけじゃないのに悲しく感じるのはどうしてだろう。
「もっと落ち着いたら、アスカの国をもっと知りたい」
リュートの言葉に私は悲しさの理由を見つけた。私はもっとここのことをリュートに知って欲しかったんだ。そして、一緒に過ごしたかった。それが無理なのは承知している。
「うん、もっと知って欲しい。アルベール王子に頼らなくても魔法が使えるように頑張るね」
「それはいいが……」
「んっ?」
なぜだか語尾を濁すリュート、言いたいことあるなら言って欲しい。
「そうすると、アスカをヴィエルヘルムにとられてしまう」
真顔で言われると照れるな。恋も勉強も頑張らなくてはと思えるよ。
私はご近所さんに、あら明日香ちゃんたらと噂されるかもしれないリスクを背負ってリュートに飛びついた。
リュートが帰ることを告げれば、お父さんは秘蔵のお酒をたくさん出してきた。普段はたくさん呑むとお母さんに怒られるため、リュートをだしに今日は呑むつもりだな。
秘蔵の酒を嗅ぎ付けてお兄ちゃんたちも寄ってくる。あっ、颯兄ちゃんは未成年でしょ! 私もシディアンで呑んじゃったけどさ。
お母さんは苦笑しているけど、この宴会を許すようだ。キッチンでつまみを作っている。
「今日は呑もう!」
「親父の秘蔵の酒は旨いぞ」
ノリノリなお父さんとお兄ちゃんたちだが、そういえばリュートって日本酒大丈夫かな。 シディアンで呑んじゃったのはワインみたいなイメージだったから、印象が全然違うよね。
「リュート、大丈夫?」
「酒はそれなりに呑める」
「でも、多分癖があるよ」
私は日本酒の匂いが苦手なんだよね、料理に使うのでもクラクラしちゃう。洋酒の匂いは大丈夫なんだけどなぁ。
「まぁ、ものは経験だ」
「お父さん!」
まだ酔っ払っていないのに、絡むようにリュートが連れ去られてしまう。
「明日香も呑むかー?」
「……っつ、呑まない!」
いつかの失敗を如実に思い出して私は慌てて断りを入れる。
「明日香、手伝いなさい」
「はーい」
助かったと私はキッチンに逃げ込んだ。
「明日香ったらいい人見つけちゃって。でもお嫁に行くのはもうちょっと待ってあげてね。
お父さんもお兄ちゃんたちも寂しがるから」
「よよ、嫁なんて……」
いきなりの発言に私はあやうく包丁を落とすところだった。お母さんは不意打ちの先制
攻撃が得意だよな……。
でも照れてしまったけど、いずれはそうなるのかな。だって私だけなんだよ、私だけ!
おっと、興奮してしまった。いつか私に興味がなくなるんじゃないかとか卑屈になることはいくらでもできる。でも、そんな考えを持つことがリュートに対して不誠実だと思う。だから、私はきっとずっとこのまま……そう信じている。でも、そうなるとアディスの王妃か。荷が重いな。
「あら、明日香。女には大胆さと清純さが必要なのよ。照れてばかりじゃダメ! リュートくんみたいないい男には女はじゃんじゃん寄ってくるわ」
「でも、リュートは私だけって――」
親になんてこと告白してしまったんだ。恥ずかしいと赤くなる私などお構いなしに、お母さんはさらに力を込めて語り出す。
「リュートくんがそうは言っても女はしたたかなのよ。お母さんもお父さんにすり寄るハエの駆除にどれだけ苦労したか」
「ハエって……」
母は過激だ。知っていたけどさ。
「明日香が出し惜しみしている間に持っていかれるかもしれないわ」
「出し惜しみなんて――」
「だからってなんでもほいほいと差しだしてもダメ。駆け引きが重要なの」
私に駆け引きは多分無理だ。それは母もわかっているのだろう。
「明日香には難しいかもしれないわね。だ・か・ら、私に任せなさい!」
だからといって余計なフォローは止めて欲しい。しかもキャラが師匠に似ていると知りたくもない事実に気づいてしまった。
「いや、任せるとか……こういうのは本人通しでね」
「いいから、いいから。さっ、行くわよ」
出来上がった数種類のつまみを手にした私は、後ろから母に押し出されるようにリビングへと誘導される。
「はーい、お待たせ」
「おっ、待ってました!」
「よっ、日本一の妻」
そこはもう酔っ払いたちの楽園と化していた。
「もう、呑み過ぎですよ!」
お母さんがぷりぷり怒っても出来上がった人たちには効果はない。
「まぁ、まぁ、一緒に一杯」
お父さんはお酒に滅法強い。お兄ちゃんたちもその血を引いているのか、滅多に酔っている姿を見たことはない。それなのに今日は、私とお母さんがつまみを用意している短時間で屍が出来上がっている。
「涼兄ちゃん、大丈夫?」
「んっ~? 明日香―! いなくなるなぁ~」
「ちょ、ちょっとキャラが違うよ。涼兄ちゃんはクール担当でしょ? 暑苦しいのは大兄ちゃんだけで十分」
しがみついてくる涼兄ちゃんに私は驚いてしまう。
「暑苦しいとはなんだ!」
大兄ちゃんまでくっついてくるのは止めて欲しい。潰れる……というか間にいる涼兄ちゃんはもう潰れている。
「ずるい~みんな! 俺も」
おいっ、颯兄ちゃんは酔ってないよね? なんかちょっと臭い?
「あら、あら。みんな明日香のことが好きね~」
「俺はお前だけを愛しているよ」
「当たり前よ、あなた」
惚気話にすり替わってやがる。私はこの身動きとれない状況をどうしたらいいというのか。
「アスカは俺のだ!」
お兄ちゃんたちをひっぺはがす力があるのはリュートだけだ。ヘルプミー!
「そうそう、明日香はリュートくんとね」
語尾にハートを付ける母よ、何を考えている。
「はいはーい、こっちよ。おやすみ~」
バタンと扉は閉められた。
「大胆さ……」
さっきの母の発言が頭をよぎる。母よ、何を望んでいる?
「リュート?」
「んあっ? アスカ。一緒には帰れないのに、俺を放っておくな」
「リュート、お兄ちゃんたちに嫉妬した?」
くすっと笑えば、リュートがちょっと頬を膨らませて抗議するように私の顔を強めに撫でる。
「俺が触れられていないのにってな」
「じゃあ、触れる?」
リュートの顔が赤いのは酔っ払っているからか、それとも……。
「私さ、まだアディスにずっとはいられないから……でも、今よりリュートを近くに感じたい」
「アスカ……俺は、俺も――眠い」
「えっっっ――――――! ここでそれ?」
リュートを責めるべきか、へべれけになるまで呑ませた家族を恨むべきか。そもそも、こんな画策をした母を訴えたくなる。
「……んっー、アスカ」
寝ぼけたリュートがぎゅっと腰を引き寄せて甘えるようにすり寄ってくる。
「まぁ、いっか。この様子なら大丈夫、大丈夫」
私はリュートの横にもぐりこみ、目を閉じた。
「ちょっと押すな」
「みーえなーい」
「おいっ、どうしてこんなことに明日香―!」
うるさい。私はまだまどろんだ状態で眉をしかめてしまう。
「みんな、静かに! そおっとよ」
やっと静かになったと安心したのは束の間。
「どう? どう?」
「うーん、なんか普通に寝ている? って押すな!」
「うわっ、わわわ」
ガタン、ガタンと激しい音が鳴る。
これではさすがの私も目が覚める。隣のリュートも同じだったようだ。というかいつもならすぐに気配に気づいただろうが、今日は二日酔いで鈍っているようだ。
「誰だ!」
「誰だとは失礼だな。兄に向って」
「妹を奪った奴を殴ってやろうと思ったけど、その必要はなさそうだね」
「さすが明日香、駆け引きが上手よ。大胆さと清純さと狡猾さよね」
私は意図して回避したわけではない。
「な、なんのこと――っつ、昨夜!」
リュートは記憶がなくなるタイプではないらしい。それから、リュートは終始落ち込んでいて、私はなんとなく恥ずかしかった。でも、今更続きは~なんて話はできないね、しばらくは。
それがわかっているからリュートも落ち込んでいるのかな。
「弱ったときにつけ込む女がいるかもね」
母よ、笑えないことを言うな。
「じゃあ、アスカまた休みに」
リュートの声に覇気がない。んぬぬ、これは心配だ……焚きつけたのはお母さんなんだからね!
私は召喚の闇に呑みこまれようとしているリュートに走り寄る。女は大胆さが必要なんだったよね。
「ちょっとだけ、行ってくるね」
「あ、明日香!」
「お父さんとお兄ちゃんの敵をとりに行くんだよ。やられっぱなしじゃ、うちの威信に関わるでしょ?」
リュートが驚いた顔をして、でもしっかりと抱きとめてくれる。おっとついでに顔を寄せてくるとは大胆な。みんなが色んな意味で悲鳴を上げているぞ。
「家族の前でこんなこと……三倍にして返してやる」
慎ましやかな日本人である私は、羞恥心というものが強いんだ。
「楽しみだ」
なんだか、私ばっかりダメージが大きい気がするがいつかはやってやる。
私にとっては二つ目の、リュートにとっては再興した故郷が見えてくる。とりあえず、言う言葉は決まっている。
「ただいま!」
私にとって帰るべき場所は二つあるけど、いつも寄り添っているのはリュートだといいな。そう思って握った手が握り返されて、私たちは顔を見合わせ笑った。
ただいまを言う前に、私がまたみんなの前で羞恥に赤くなるまで後少し。
ここまで読んでくださってありがとうございました。無事完結です。




