すり抜けた奇跡
「アスカ!」
離れていくアスカの手と消えゆく姿が、今でも目に焼き付いて離れない。
俺たちはどれくらい茫然としていただろう。最初に口を開いたのは意外にもロウだった。
「イクス様の魔力だった。アスカ、トルンカータにいる!」
今にでも飛びだしそうなロウを、冷静にとこの場にとどめたのはヴィルヘルムだったが落ち着いているとはいえない表情だった。
「やだっ、アスカのところへ行く」
「ちょっと待ちなさい」
「いやだー、いやー」
泣き喚くロウは短い手足をばたつかせて暴れているが、ヴィルヘルムはそれを強く抱きしめて動きを制限している。
「アスカがぎゅっとしてくれなきゃ、いや。アスカじゃなきゃいや」
「もう、うるさい子ね。この私に抱きしめられて光栄と思いなさい」
少々の時間でヴィルヘルムは落ち着きを取り戻したようだ。だが、いつもの笑顔は押しかくして真面目な顔のまま。俺はこの情景をどこか遠い風景のように見つめている。
「どうしてここに……」
俺の呟きにヴィルへルムはゆるゆると首を振る。
「思ったよりも力があった……侮った」
いつもの女言葉が消えてしまっている。
「僕、アスカのところへ行きたい」
「トルンカータの王宮には簡単に入れるのか?」
「……イクス様の魔法で侵入は難しいかも」
ぐずるロウに考え込むヴィルへルム、苛立つ俺。
見兼ねたのか、ジュハが一旦話を整理しようと提案してくる。
「助けだすヒントがあるかもしれません」
「……そうだな。連れ去ったのはトルンカータの王子で間違いないな?」
姿が見えたわけではないので確証はないが、ロウとヴィルへルムが魔力から推察するに間違いないと断言する。
「行き先はもちろんトルンカータの王宮ね」
「目的は何でしょう」
「アスカに目をつけていたのは以前からだった」
俺は度々贈られてきていた物を思い出す。この森に来てからはヴィルへルムの魔法に守られてきたためすっかり忘れていた。
それが今回のような油断を招いたのだろう。
「目をつけたのは魔力よね?」
それ以外であってたまるか。魔力じゃないアスカ自身を求めているなんて……しかも変態が。
俺が焦っている間もジュハは冷静に話をまとめている。
「犯人はトルンカータの王子で、場所はおそらく王宮。目的は魔力であるなら、トルンカータは近々何かを起こすつもり……そのために連れ去った」
「その通りね、きっと」
ヴィルへルムはため息をついて同意している。事実確認よりも助ける方法はないのか。
俺の苛立った感情を察したのかヴィルへルムは考えているわよと返してくる。
他人任せにしたいわけではないし、むしろ自分でなんとかしたいが魔法に関してはヴィルへルムの方が役に立つ。
「移動魔法で簡単にとはいかないんだよな?」
「そうねぇ、移動魔法は一度行ったことがないといけないから」
「なら、ロウは!」
ロウは王子の元使い魔だ、当然ながら王宮へいたことがあるだろう。
「……多分、イクス様は僕がアスカのとこ行ったから入れないようにしてる。すぐに追い掛けられなかったもん」
さっきまで飛んで行こうとしていたのは、移動魔法が使えなかったかららしい。「誰も行ったことがないようですね」
「そうねぇ、王宮なんて簡単に行くところでもないしねぇ」
お手上げ状態など俺は認めない。魔法が無理なら正面から立ち向かう。
「俺は行く」
幸いにもここはトルンカータから遠くない。かつてアディスの領域だった場所の半分を過ぎればトルンカータだ。
俺は今すぐにでも旅立つ気持ちで立ち上がる。
アスカ、心が近づいたと思ったのに……今はすごく遠い。
「早まらないで、レンちゃん。わたしだって助けたいわ。無闇に動かず作戦を立てましょう」
ヴィルへルムが俺を止める。どうやら協力してくれるようだ。
「弟子なんてとるつもりはなかったのよ、それなのにアスカは不思議な子ね。わたしが助けるなんて奇跡よ」
ヴィルへルムは、いつも楽しそうにしている印象だったから忘れていたが、人との関わりを遮断した森に住む魔法使いだ。
もしかしたらヴィルへルムも俺と同じくアスカに心動かされた者なのかもしれない。
アスカの何がこうも魅力的なのか、聞かれても上手い答えは持ち合わせていない。
いつも本気で笑ったり怒ったりとくるくる変わる表情は愛らしい。決して誰もが振り替える美人というわけではなくても関係ない。
小柄な体をめいいっぱい伸ばして動く姿は見ていて気持ちがいい。男を魅了する類いのものではなくてもだ。
要するに俺はアスカのどんなところにも惹かれている。
アルベール王子から救われた感謝の感情などとっくに振り切って、知れば知るほどアスカへの思いは募った。
きっとこの説明できない思いを経験したのは俺だけじゃないのだろう。
ヴィルへルムもロウもジュハも何かしらアスカから影響を受けたはずだ。だから……。
「取り戻さないと。アスカは俺の……いや、俺たちの奇跡なんだ」
この世界に現れて出会えたこと、知らなかった日々の楽しさを共有したこと。
例えいつかアスカは帰ろうとも、こんな形での別れは認めない。
「奇跡ね……そうね。わたしって楽しいことが好きだったの思い出しちゃったし。アスカやレンちゃんが来て久しぶりにはしゃいじゃったわ。今までを考えたらすごいことだわ」
「アスカは僕のこといっつもぎゅってしてくれるの。使い魔だからっていじめない」
「……あなた様が楽しそうに暮らしている姿が見られた」
それぞれがアスカを取り戻す決意を固める。
「必ず助けるから、無事で……」
このとき俺は、いや俺たちはいつもの元気なアスカを忘れて、囚われの姫君然としたアスカの姿ばかり想像していた。




