私の知らない彼のこと
トルンカータは熱い国だ。
イメージでいえばアラビアンな世界かな? 衣装もつるっとした生地で作られていて……ちょっと露出が多い。へそ出しは今どき流行らないんだけどな。
文句はいくつかあるものの、熱いのは我慢しがたいため私は着替えを済ませる。足首できゅっと締まったゆるいパンツは気に入ったしね。
「にしてもキラキラしすぎ」
ぴかぴかに磨き上げられた大理石で造られた大きな部屋の床には豪華な絨毯が敷かれ、金糸で刺繍が施されたクッションがいくつも並べられている。グラスいっぱいに金が注がれた調度にはコメントのしようがない。
「彫金師がお越しです」
いらないと辞退したにもかかわらずつけられたお手伝いさん、ここでは召使って感じかな、が私に来客を知らせる。
この国にいる私を訪ねて来る者はイクス王子しかいなかったが、今日は違う人物らしい。イクス王子以外と会うのはいいことだ。もしかしたら脱出のヒントがあるかもしれない。
私が黙っていても、召使の女性たちは客を迎え入れる。
彫金師って何者だろう?
「失礼しますよ」
ゆっくりとした足取りで部屋の中へ入ってきたのは、足が悪いらしい老人だった。
「彫金師の方?」
「そうです。王子より頼まれまして、あなた様に似合いの装飾品を作りに来ました」
あぁ、彫金師という意味がなんとなくわかった。早い話がアクセサリー職人だね。
「なんか贈るって言っていたけど、本当だったんだ……」
「なんでも、良い腕輪をお持ちのようですね。それを越える品を作れとの命を賜りました」
リュートから貰ったこの腕輪はやたら褒められる。もしかしたら何かすごい逸話でもあるのかな、お店の人は語らなかったから知らなかったのかもしれないけど。
「これ、そんなにいいものなの?」
突き出した腕を見た老人は、さっきまでの緩慢な動きを忘れて素早く飛び付いてきた。
「こ、これは……アディスの腕輪では?」
「いや知らない、火山で滅んだってしか……」
そういえば国の名前は知らなかった。
「そうです。優れた職人が集まる国で素晴らしい細工のものが売られていましたがこれは特別です」
「特別?」
「はい、これは王家に関わる品です」
「おーけ?」
私のバカっぽい問いにも老人は神妙に頷く。
「こちらは女性、王妃となる女性に受け継がれる物です」
「ちょ、ちょっと待った! そんなすごいものなの!」
お宝がシディアンの店に埋もれていたようだ。誰も気付いていなかったようだが、まさかここまで大それたものだとは……。
「あまり公にはされていない品ですし、アディスの王が王妃のために作った品なので素晴らしいのは細工だけではなくその心ですね」
「王様の手作りか……そりゃ愛が詰まっていますね」
何も知らずに私なんかが身に付けてしまっていて、申し訳なくなる。リュートはこの腕環のことを知っていたのだろうか。これを見たときの反応が少し微妙だったことを思い出す。
「興味がおありでしたら、本をお読みになりませんか?」
彫金師の老人は、自分の最後の地はアディスの国と憧れを抱いていたことを語ってくれて私が興味を示したことに喜び王宮の図書館を勧めてくれた。
「暇だから、行ってみようかな」
中々、思い通りに事が進まないのに苛立ちを覚え始めていたところだったので私は気分転換を兼ねて図書館へ行くことを決める。
「それでは、私はこれで。腕環には劣るかもしれませんが、お嬢様にお似合いの物をお作りいたしましょう」
手首や指、足首などいくつかの体のパーツを計測していたので、何を作ってくれるのかはわからない。大体、イクス王子からの贈り物など貰いたくもないのだが張りきる老人を前に私は断りの言葉を口にすることはできなかった。
「リュートたちはどうしているかな……」
突然消えたことに驚いているだろうし、探してくれているとは思う。まさか、放っておかれているということはないだろう。
「できれば、大ごとになる前に戻りたいんだけど」
リュートにロウ、さらにもし師匠が手を貸せばなんだか面倒なことになりそうなのは目に見えている。私は図書館への道を歩きながらため息をつく。
後ろから召使の女性がぴったりとついてくるが、監視されているだけで私が何を言っても文句は言わない。彼女たちに与えられた仕事は、私の面倒を見るのと逃亡しないように見張るただそれだけだ。私の発言を諫めることはしない。今まで賑やかに過ごしてきたため、この生活は味気ない。
「はぁ……ここか」
また出てしまったため息に苦笑しながら、私は目的地へと足を踏み入れる。
綺麗に整理された本棚はいくつも並んでいて結構圧倒される。学校の図書館よりももっと広いことに私は驚いてしまう。
「歴史書かな?」
なんの本を探せばいいかわからないので、適当に棚を目で一つ一つ追っていく。
「あっ……アディス、これか」
ほどなくして、私は数冊の本を手にすることができた。
――火山の地熱で温暖な気候を一年中保つ国、アディス。
職人が集い、街の中心にはバザールが賑わっている。
挿し絵を見れば活気溢れる街の声が聞こえてくるようだ。
「シディアンがヨーロッパ風で、トルンカータはアラビアン、アディスはギリシャっぽいかな」
まるで外国を旅しているような感覚にもなるがここは異世界、その証拠に金髪王子も、彫りの深いイケメンも、エキゾチックな少年とも言葉が通じる。偶に伝わらない語彙はあるが、日常生活に支障はない。
クッションに埋もれながら私はページを捲る。
「黒髪、黒目の人が多かったんだ……」
思い浮かべるのはリュート……そして同郷だというジュハ。もう必要なピースはすべて揃っている。それでも私は確信できる証を求めてページを捲る。
――アディスの王族は黒髪、黒目で生まれる。
アディス建国の王と王妃の血がいつまでも続いている証拠だ。
そして代々受け継がれる物がもう一つあるらしいが、それは残念ながら何かわからない。だが話によると、王と王妃で対になる品らしい。
しかし、その品の秘密を知ることは永久にかなわなくなった。アディスの国は火山の噴火に沈み、王族は隣国との戦いにて果てた。最後の王子をどこかへ隠して……。
「最後の王子……まさかね」
確信的な証拠など何一つない。
老人がなぜ歴史書にも記されていない品のことを知っているのかはわからない。だからこの腕輪が本当に代々受け継がれる物なのかなど知ることはできない。
「だけど本当なら対になる腕輪がある」
頭に浮かぶのは、この腕輪を見つけたときのリュートの表情。どこか哀愁漂っていたリュートに、本当に存在するならこれの対になるという腕輪を見つけてあげたい。
思えば私はリュートのことを何も知らない。
「知りたい、知りたくない……知らなくてもいい」
リュートが滅んだ国の王子だったからといって何だというのだ。リュートは私に何も望まなかった、他の二人の王子とは違う。
それでも沸き上がってくる欲求は、リュートのことを知りたいと訴えている。
「あの……どうされました?」
普段話し掛けてこない召使の女性が私の様子を訝しく思ったのか尋ねてくる。
「な、なんでもない」
「そうですか? イクス様に求愛された女性のお世話ですから、できる限りは致します」
「きゅ、求愛!?」
逃亡を阻止しようとしたり、会話もなく行き詰まるような空気にされてたりしてもできる限りの世話をしてくれる心積もりらしい。
「アディスの王家にも招かれ、店を構える予定だった優秀な彫金師を呼んだのですから、当然です。女性の機嫌をとるように贈り物などイクス様は中々なされないですから」
老人はアディスに深く関わりがあったようだ。
「じゃあ……」
じゃあ、リュートはどんなつもりで私に腕環を贈ってくれたのだろうか。
「……うわっっ――――! 考えられない」
連れ去られた異国の地で、私が考えているのはリュートのことばかりだった。




