逃亡失敗? 再び召喚?
焦った私の魔法はいくつもの光を爆発させる。
このまま帰ってしまいたいのが本音だけど、きっと帰ったら後悔する。矛盾した感情がいくつも浮かんでは消える。
不安定な私の気持ちと同じように体がゆらゆらと水を漂うように揺れる。
「アスカ!」
掬いあげられるような感覚と、どうしても起きなきゃいけないような切実な呼び声に私は目を開いた。
目を覚ましたら、リュートの腕の中でした。
「ぎゃっ――」
逃亡しようともがくが、一向に力が入らない。
「レンちゃん、しっかり捕まえておいて。危ないことした弟子にはお仕置きよ~」
師匠がお仕置きなんて怖すぎる、何されるか想像もつかない。
「ごめんなさーい」
「平常心をなくして魔法を使ったら危ないのよ」
「いひゃい、いひゃい」
痛いと言っても師匠は止めてくれない。
「しかも、挨拶もなしに帰ろうなんて礼儀を欠いているわ」
「ごめんなしゃい」
ぎゅうぎゅうと引っ張られていた頬がようやく解放されて、両手で包まれる。
「無事でよかったわ」
師匠がここまで心配してくれるなんてと感動すると同時に反省する。
「美しい師弟愛はいいんだが、俺も一言――」
「あっー、挨拶しよう! そうしよう。ロウ、散歩に行こう」
かなり強引にリュートを避けたが、ロウがやる気満々で連れ出してくれる。
「行く! アスカ、早く」
ここまで慕ってくれているロウに黙って帰ろうとした良心が痛い。
「どうしたの? 苦しい?」
胸を押さえる私を気遣い、ロウの足が止まる。
「大丈夫、それよりここで少し話そう」
「うん」
私とロウは大きな木の幹に腰掛けた。
「まずはいきなり帰ろうとしてごめんね」
「……アスカが帰りたいならしょうがないよ」
一生懸命堪えるロウがいじらしすぎる。
「うん、帰りたいんだ。でもさ、ロウたちと離れるのも寂しいよ」
「本当?」
「もちろん。だから帰っても戻ってくるよ。力が足りないならなんとか方法も考えるし」
絶対に戻れるとは言い切れないが、反対に絶対に戻ってこられないわけでもない。
「戻ってくる?」
「努力する。でもさ、ロウも頑張ってよ。私のところへ来る魔法作りだして、会いに来て」
道は一方通行ではないだろう。それならロウが私の国に来ることもできるはずだ。
「わかった! 僕も頑張る」
目を爛々と輝かせるロウと約束をかわして、私たちは家に戻る。リュートと何を話せばいいかはまだ考えついていない。
「破天荒娘」
「私は明日香って名前がある!」
返事をした時点で私は自ら破天荒と認めている。
「じゃあ、アスカ。ちゃんと話せ。俺には怒ったくせに逃げるのか?」
「に、逃げて……る」
さっきから私はリュートから逃げている。確かにこれはよくない。
「ほらっ、あちらにいる」
ジュハが示す方には一人の大きな影。
「リュート……」
考えはまとまっていないが、ちゃんと釈明しておこう。
「ロウ、先に戻ってて。師匠に術習っててもいいし」
「うーん……わかった」
ちょっと考え込んでからロウが頷いてくれる、出来た子だ。
リュートがこちらに気付かないようにゆっくりと私は足を進めた。
「こっちを向かないで、最後まで聞いて」
大きな木の向こう側にいるリュートに条件を付ける。
「そうしたら逃げないのか?」
「逃げない」
きっぱりと答えればリュートは了承してくれた。
「はじめてリュートに会ったときは兜に鎧で怖かったけど、助かったよ。あのとき、違う人に始末を命じられてたら私はここにいなかったもん。そういう意味では王子に感謝かな」
生きていられるのは間違いなくリュートのおかげだ。
「ここまで付き合ってくれたことも含めて、ありがとね」
「……それだけか?」
リュートは優しいのに時々意地悪だ。私があえて口にしなかったことを尋ねてくる。
「それ、聞くんだ。リュートって淡白なんだってわかったから忘れたふりしてくれてもいいじゃん」
「淡白?」
「だってあんなに構って甘やかしてきて、しかも……キ、キスしたのにあっさり帰れって」
これじゃあ、引き止めて欲しかったと拗ねているみたいだ。まぁ、多分この気持ちはそれで間違いないんだろうけど認めるのは悔しい。
「あっさりなんて言っていない」
「あっ、こら! 約束破った!」
リュートはためらいもなく私の目の前に姿を現してしまう。
「助けられたのは俺だ。でもアスカはここから帰った方が平和な生活だ」
もう約束なんてお構い無しに、私の話を遮ってリュートがまくしたてる。
「本当のことを言ったら迷うだろう? アスカは結構流されやすい」
むっ、そんなことないぞ。ただ、情に脆いだけだ。でも、この言い方だとリュートは帰って欲しくないみたいだよね。その心は? 聞きたいようで聞きたくない。胸が高鳴るが 耐え切れるだろうか。そもそも私は何を期待しているんだ。
ダメだ、混乱してきた。これじゃあまるで好きな人から告白を待っているみたいだ。私は別れの挨拶をしにきたのに。
「俺はロウのように聞き分けがよくないぞ。ミレイのように帰らずここに留ま――」
「あっー! 美麗のこと忘れてた。ちょっと行ってくる」
「逃げるのか」
背後から追いかけてくるリュートの顔がまともに見られない。最後まで聞いたら倒れる――いや、私の勘違いかもしれない。あれはこ、ここ告白っぽかった? 勘違いならこれまた恥ずかしい。とにかく一旦頭を冷やそう。
「あら~レンちゃんまた逃げられたの。かわいそ」
いつの間に立ち聞きしていたのか師匠が笑っている。ジュハは苦笑いを浮かべているが、ここにいる時点で同罪だぞ。
「リュート、ずるい! 僕、我慢したのに」
「そうねぇ、レンちゃんずるいわ。わたしにも言って~」
完全に師匠はからかいモード。やっぱりここにいては落ち着いてものも考えられない。
「いってきまーす」
「アスカ!」
リュートの引き止める声は聞かず私は魔法を使おうと集中する。同じ轍は踏まないよ。
ふわっと体に浮遊感を覚えたのはその直後。私はまだ魔法を使っていない。
「まぁ、足掻きなさい~」
師匠、笑って見送ってくれている場合じゃないよ。
「僕も行く」
ロウ、これどこに行くの?
「戻ってきたら、また」
続きなら、今でも聞くから助けてよ。
口をパクパクしていたら、少しだけ声が出た。
「これ何! 私じゃない、助け……」
「どうしたの……あら、この魔力は。どうやって入り込んだの! アスカしっかり」
師匠がようやく私の魔法ではないことに気付いてくれたが、しっかりとは何をしたらいいのかわからない。
「イクス様の魔力!」
あの変態だって、知りたくもない情報だ。
「アスカ、こっちに」
リュートの伸ばしてくれた手を掴もうと必死で手を出したけど届くことはなかった。散々逃げた報いだとでもいうのか。
視界が暗くなっていつかと同じ落下する感覚。
「ようこそ、トルンカータへ。私のアスカ」
目の前には変態王子。
またしても王子に喚ばれて馬鹿な発言を聞いてしまった。頭が痛い。早く戻ろう、今の私にはその術がある。
リュートからの心臓に悪い話は待っていると思うが、この不快な状況よりよほどいい。
別にリュートからの特別な言葉とか期待しているわけじゃないからね。
私は魔法を使うため、帰りたい場所を思い浮かべる。頭に浮かんだのは場所ではなくて人だった。




