女心は海より深く
「だ、誰と!」
「もちろんアルとよ」
アルとはアルベール王子だな。ここで違う名前が出ても衝撃的だけど、これだって驚愕に値する。
「……王子の言っていた面倒ってこれか」
「なぁに? それでね、私お父様に気に入られちゃって、親公認の仲なの」
王子の親は……王、陥落か。
それにしても美麗はすごいな、いやこの国の貴族は何をしているんだ。普通、妃の座を巡っておどろおどろしい戦いがあるもんなんじゃない? 肉食系いないのか、頑張れよ。
それとも、あの王子がものすごく嫌われているとか、ぷっ笑える。
「じゃあ、帰らないで結婚するの?」
「う~ん。それはそれで寂しいなぁ。あっちにも魅力はあるし……」
どちらにも未練たらたらだが、そんなに王子がいいのか……普通もといたところに戻るだろ。
「あっちじゃここまでのしあがれないし……行ったり来たりできたらなぁ。あっ! 明日香が毎回運ん でくれたらいいんじゃない」
名案とばかりに言われた言葉は今度こそしっかり耳に入ってしまった。
「私はタクシーじゃない! 大体、帰ってからまたこっちに来られるかなんて知らないし」
「えっ~戻ってこられないのは困る」
私は今、美麗をどうにかしそうで困るよ。今日はもうダメだ。
「また来る……」
「ちょっと待て!」
呆れた私を引き止めたのは美麗ではなく王子だった。
「なんでアルが引き止めるの」
「待ってくれ、俺の言う通りにすれば始末などされないぞ」
「アル! 明日香の方がいいって言うの!」
両側から挟まれてうるさいし、みんな自分勝手すぎる。
「だぁーもう、離せ! あんたに大人しく使われる気も始末される気もない」
「アスカ、やっちゃう?」
ロウは王子に結構過激なことを言う。私の感情が伝わっているのかな。
「明日香を好きになるなんてありえない。この私がいるのよ、こっち見て!」
美麗は悪気なく私を貶めているのはもうわかっているから平常心、平常心。
「何を言っているミレイ、俺は――んっ、はっ……んんっ」
突然はじまったのは痴話喧嘩だったのか。美麗、さっきまで美青年はべらしてたくせに嫉妬してんの? 本当にいい性格しているわ。そして一言、言わせて欲しい。
「だから、私の前でキスするな――――!」
こんな私の切実な叫びも、目の前の二人には聞こえていないようだ。さらに強く抱き合っている。
「アスカ、暗いよ」
「あぁ、ごめんね。でも、ここは危険だから目を瞑って帰ろう」
もちろんロウの視界が暗いのは、私が目を手で覆っているから。子どもにこんなもの見せたら、ダメ、絶対!
「危ないの? 倒そうか?」
いっそ倒してもらえば楽かもしれないと考えてしまうが、そう簡単にはいかないだろう。
「いいから早く帰ろう。ミレイとはまた今度話すよ」
私はロウの目を隠したまま、リュートたちが待つ森へと魔法を使った。
「ただいま……はぁ」
ため息をついてしまったのを許して欲しい。
「アスカ、無事か」
「無事、無事。疲れただけ」
「あら~、またミレイが何か面白いことでもした?」
師匠は美麗の行動がお気に入りだ。
「結婚するらしいですよ。だから、行ったり来たりできないなら帰らないって言われた」
「行ったり来たりねぇ……それは術者の力次第かしら」
師匠の言葉は私にゆっくり染み渡る。深く考えていなかったけど、帰るということはお別れだ。美麗の方が物事をちゃんと考えていたと知って嫌になる。
帰りたいけど、ここまで付き合ってくれたリュートとロウを置いていくのかと思うと心苦しい。
「アスカ、休んだ方が――」
「はいはーい。後は師匠と弟子の時間。特訓よ」
「しかし……」
「いいから、いいから」
心配してくれるリュートたちを追い出した師匠の意図は何だろう。
私は落ち着かない気持ちのまま師匠を見上げた。
「未熟者」
「痛い……」
でこぴんされてしまった、師匠の行動も美麗と同じく読めない。
「ここまできて中途半端は許さないわ。私の弟子なら、きちんと学びなさい」
私の迷いなんて師匠にはお見通しのようだ。そうだ、悩んだからって仕方がない。まずは魔法を覚えなくてはいけない。
「そういうこと、さぁキリキリ覚えるのよ」
ふっきれたのもお見通し。師匠って親みたいだな。
「は~い、よろしくお願いします!」
かくして私は師匠にスパルタ指導されることとなった。
そして厳しい特訓の結果、私の魔法は完成した。
「うもっ~、これなら大丈夫でしょう。あっちからまた来られるかはわからないけど、帰ることはできるわ」
師匠のお墨付きももらい、私の気分も上々だ。帰るときに時間軸の修正もできるらしいから、家出娘の烙印を押されることもない。
「なら焦ることないよね」
急いでも、のんびりしても帰る時間は一緒なら別れを惜しんでもいいはずだ。
「そうね~、しばらくいてもいいわよ」
「中途半端は止めろって言わないの?」
「思ったより優秀な弟子だったからね~惜しいわ。ここに残る?」
意外な師匠の言葉に私は目を丸くしてしまう。
「師匠、私のことちゃんと弟子って認めてくれていたんだ。押し掛けたのに」
「まぁね、はじめは面倒だったけど……女心は移ろいやすいの。でも残ると聞いたのは冗談よ」
師匠の心が女かは置いておいても変化は嬉しい。
「師匠……」
「アースーカ! 帰るの嫌だー」
「うわっ、ととっ」
突進してきたロウを受け止めたが、勢いがありすぎて後退りしてしまう。それをさりげなく背後からリュートが支えてくれる。私、いつのまに背中をとられていたんだろう。
「大丈夫か?」
「うん、でもロウが……」
大きな瞳を潤ませるロウを見るとやっぱり帰る決断が鈍る。ずっとここにいるつもりはないし、家に帰りたいはずなのにこの縁も離しがたい。
そして離れがたく思うのは師匠やロウだけでなく、リュートとともだ。
この世界で最も世話になって、一緒にいた。それになんか色々体験させられた……それは忘れよう、顔が熱くなる。
「ロウ、アスカは帰るんだ。当然のことで騒ぐな」
「やだ! もう会えなかったらどうするの!」
「それもあたりまえのことだ」
リュートにとって私が帰ることは騒ぐことでもなく、会えなくなってもいい存在らしい。
縋りつかれて泣かれるくらいに思っていたのが恥ずかしい。自惚れか……あっ、なんか腹立ってきた。
「リュート」
「ん? なんだ、気にせずにすぐにでも帰りたいなら――」
「帰って欲しかったら、私と勝負しろ!」
「はっ?」
どうしてこうなったのか、説明しろと言われたら難しい。ただ、リュートに帰れとあっさり言われたのが悔しかったのだろう。師匠が腹を抱えて笑っているが、リュートは律儀に私と向かい合って模造剣を構えている。
「なんで勝負なんだ……」
なんでと聞かれてもよくわからない感情で勝負を挑んだため答えられない。
「リュート頑張れー! アスカを帰さないで」
ロウが私じゃなくてリュートを応援する日がくるとは思わなかった。
一礼してはじまった勝負はもちろんリュート優勢。大体私は剣なんて使ったことないから邪魔なだけ。
「危ないから止めろ」
そう言いながらリュートはガンガン攻めてくる。受けとめると手が痺れるので、攻撃を避けながら反撃の機会を待つ。
右、左、また左……ダンスのステップのように動き回りながら私はこのままだと体力が尽きることを予感する。足がもつれて終わりなんて格好悪すぎる。
「こうなったら……攻める」
模造剣、といってもほとんどおもちゃの切っ先を眼前でかわして私は跳躍する。剣より足が先に出る、もらった。
「……っつ」
どんな早い動きだったのか、私の狙いは姿を消して蹴りは空振りに終わる。そして背後から突き付けられた冷たい感触。
これでも手加減はしてくれているのだろうが、負ける気はリュートに一切ないようだ。
「わかったよ、そんなに帰って欲しいなら帰ってあげる……でも」
わかった、私はリュートに引き止めて欲しかったんだ。だって、リュートは私に何をしたかわかってる? それなのに平然としているなんて許せない。ここは思い出させてやる。
頭に血が上った私の思考は短絡的だ。
「アスカ?」
動かなくなった私にリュートが声をかけてくる。まだ勝負は続いている。敵に情けをかけるのは命取りだ。
「お返し!」
振り向きざまに、めいいっばい背伸びしてそれでも遠い分は軽くジャンプする。一瞬触れたのは、間違いなく唇。狙いは外れなかった。
「ア、アスカ!」
ただ、勝ち誇った顔でリュートを見てやった。そして私は正気に戻る。お返しとか意味がわからない。
リュートの驚いた顔が赤くなっているが、私にはかなわないだろう。
「と、とりあえず帰るわ。じゃあね」
どこか近くに帰るような軽さで私は魔法を使う。
ただこの場から逃げたい一心、それだけだった。




