良薬は口に苦く、ホレ薬は心に苦い(後)
「床に座っては冷える」
差しだされた手を無視すれば、リュートの手が私の脇下に差しこまれる。子どもを持ちあげるように抱きかかえられれば、くすぐったい……それ以前に問題がある。
「セクハラ反対!」
空いている足を持ちあげて、膝をみぞおちに押し込む。低くくぐもった声が聞こえたが自業自得。手が胸に当たっています、そこは胸です。
「うぐ、元気で良かった」
さすが騎士だけあって私の一撃だけでは沈まない。
「元気じゃない! どうして薬を飲んで私を見るの、師匠にでもしてよ」
「あら~、そっちの方がよかったわね」
絶対にこの状況を楽しんでいる師匠はカラカラと笑うだけ。それを一瞥してリュートが私に向き直る。
「どうして? アスガがいるのに」
まっすぐに見つめてくるリュートの目はいつもと変わらない。薬に支配されているような気配がまったくないのは、私が天才だからだろうか。
「リュートに薬効いてないね」
私の横でロウが小声で囁いてくる。
「やっぱり?」
「うん、魔法の感じがしないよ」
なるほど、これは演技だ。失敗作を本物っぽく見せて令嬢を納得させる。そうすれば被害者も出なくて、すべて解決だ。
「アスカ?」
ロウと内緒話をする私の名をリュートが呼んだところで、令嬢は満足したようだ。
「もうわかったわ。これ、頂いていきます」
よっぽど早く使用したいのか、薬瓶を手にすると令嬢は逃げるように去っていった。
「もういいよ、リュート」
「なんのことだ?」
首を傾げるリュートはかなりの演技派だ。
「そういえば、アスカ何か言いかけてなかったかしら?」
「あっ、もう大丈夫です。ホレ薬なんて使って相手の心をどうこうしようなんていけないと思ったんですけど解決ですよね!」
「なんで失敗作よ?」
雲行きが怪しくなっている。
「だ、だって……そうだ、ロウ! リュートから魔力感じないって」
リュートが正気なのはロウが証明してくれていた。
「う~ん、でもリュートはいっつもアスカの魔力漂わせているから」
裏切りだ、これは大変な裏切り行為だ。
「わかりづらいけど、レンちゃんにちゃんと効いていたわよ。元々、寝ても覚めてもアスカに夢中だったってことね」
「な、なによそれー! じゃあ、あの薬使われたら……取りかえさなきゃ」
私は勢いのままに部屋を飛び出す。後ろからリュートとロウも追ってくる。
「森に住む権利はもうもらったから好きにして~」
師匠は結構悪徳だと思う。頭の隅でそんなことを考えながら、私は令嬢の馬車の車輪の跡を追った。
「無理……絶対に追いつかない」
「そりゃ、馬車だしな」
冷静なリュートのつっこみが恨めしい。大体、リュートが紛らわしい行動をするからいけないのだ。
「アスカ、飛ぶ? 急ぐよー!」
足がふわりと地面から浮き上がる。
「うわっ、わわっ」
「おい、俺を置いていくな」
叫びを上げるリュートがもう遥か下に見える。ロウは私の恐怖なんて知らずにどんどんスピードを上げていく。
「あっ、馬車だ!」
ようやく慣れた頃に見つけた馬車は、大きな屋敷に入っていく。
「あそこに行けばいい?」
ロウが前触れもなく、急降下をはじめる。降りる感覚が一番怖いのに。
「きゃぁぁぁー……その薬、使うの待った!」
「誰! 何よ、あなたたち!」
空から突然降ってきた私たちは、案の定警戒される。
「薬、薬を回収しに来ました!」
「回収? これはもう私のものよ」
令嬢はしっかりと薬瓶を握り締めている。これを取り戻すのは簡単ではない。
「……失敗、そう失敗作だったんです!」
「さっき効果は見たわ」
「あのあとすぐに効果が切れたんです」
だから返してくれと迫れば、少し迷っているようす。これはあと一押しだ。
「とりあえず、こちらに渡してください」
「……でも、それじゃあ間に合わない……ちょっとでもいいから、やっぱりこれでいいわ」
取り返す口実がこれでなくなった。
「力付くで、あれ取り返す?」
「それは、危ないからダメ」
ロウならやりかねないのでしっかり止める。こうなったら正面から説得するしかない。
「あの、作っておいてなんですけどこういうのはいけな――」
「お客様ですか?」
私の説得は屋敷から出てきた男によって遮られた。
「あっ、ジュハ……」
黒髪に黒目は誰かを彷彿させる。
「えっと、そう。お客様よ。それよりジュハはどこかへ行くの?」
「いえ、特に。ただ騒ぎ声が聞こえたので」
「心配してくれたの! 大丈夫よ。ねぇ、お茶にしましょう」
令嬢の反応から見て、薬を使いたい男は十中八九ここにいる彼に間違いないだろう。
「俺は結構、お客様たちとどうぞ――」
「でも、突然襲われたらどうするの!」
さっきまで一人で森へ出掛けていた者が屋敷で襲われるとはよく言ったものだ。
「……わかりました。最後にケチがつくのもよくない」
「それじゃあ行きましょう」
このままだとお茶会に乗じて薬が使われてしまう。どうにかして阻止しなければと、私はロウの手を強く握った。
ポットに熱いお湯が注がれる。ジュハと呼ばれた男の分もカップは用意されているが、まさか目の前で薬は入れられないだろう。さて、どうするのか。
「ジュハ、ちょっと窓を開けてくれない?」
あっ、後ろを向いている間に入れるつもりだな。
「そうはさせな――」
「……あれは! ちょっと出てきます」
「えっ、ジュハ!」
ひらりと開け放った窓からジュハは外へ降り立った。もしかして薬に感付いて逃げたのだろうか? 私は窓に近寄って身を乗り出す。
「あっ、リュート」
そこには置き去りにしてしまったリュートがいかにも走ってきましたという風体でいた。
「もしかして、侵入者! どうしよう、ジュハに何かあったら」
護衛で雇っているだろうに、侵入者を追って心配するのはどうも違和感がある。まぁ、リュートは侵入者ではないが。
「じゃあ、追い掛けましょう。薬を使うより、心配する気持ちを伝えた方が良いですよ」
「気持ちを伝えるって……」
「色々試したと言っていたけど言葉にはしていないのでしょ? しかも話を聞いていたら、彼はどこかへ行くのでは?」
「そうだけど……」
言わなかった後悔よりも言った後悔の方がよっぽどいいって誰かが言ってたと思う。
私は迷う令嬢の手を引いて走りだす。
「飛ぶ?」
ロウの申し出は丁重にお断りさせていただいて私たちは屋敷の外へ出た。
「どうしてあなたがこんなところに……この国にいたのならすぐに近くに行きましたのに……」
「俺はもうただの騎士……いや、それも辞めたから旅人だ」
「そんなっ! 俺にとってはいつまでも変わらない――」
「旧友に会えてびっくりしている。元気でよかった――アスカ、首尾はどうだ?」
シリアスな空気が漂う中、リュートが私を見つけて声をかけてくる。
「あれは使わないで、ちゃんと向き合う」
「えっ、そんな……急に」
慌てた令嬢が手に握り締めていた薬瓶を落としてしまう。
「「あっ!」」
「……これは、わかりやすくホレ薬ですか。気付いていましたよ、あなたの気持ちくらい。でも、こんなもの用意する意味はなかったですね」
粉々に砕けた瓶からはピンクの液体が流れていて、わかる人にはわかるらしい。
「これっていい感じかな?」
ホレ薬なんてなくてもということは、ジュハも令嬢と同じ気持ちととれる。
「あの……ジュハ……?」
「ははっ、やはり小狡い国の者だ。薬など使っても、俺の気持ちは絶対に動かない。ずっと迷惑だったんですよ」
苦々しく吐き出すジュハに令嬢は震えている。そして私はもっと震えている。
「迷惑って、何が? 無事を心配したら事故にでも会うの? 言い掛かりはやめてよ!」
「お前は誰だ? 何も知らないで勝手にまくしたてて」
「私が誰かなんて関係ないでしょ! 謝りなさい」
「もういいの。私が悪いのです」
令嬢が走りだしてしまう。薬を使わなかったのに結果は最悪だ。
「リュート、友達ならちゃんと叱っておいて!」
ジュハなんて男はどうでもいいが、私の薬のせいでみんなの心が痛むのは本意ではない。私は急いで令嬢の後を追い掛けた。




