箒にキスを
私の朝は早い。
ご飯を作って、掃除して、やることがいっぱいある。
「魔法でご飯も掃除もできるかと思ってた」
居候しているのだし家事をするのはそんなに不満があるわけではないが、魔法のできることの範囲がいまいちわからない。
以前、万能ではない。魔法で何でもできたら逆に困るという話をしたが結局線引きはわからない。
「あら~、できるわよ~。用は考え方を柔軟にすればいいのよ」
「柔軟?」
突然はじまった講義に私は仕事を一旦止めて耳を傾ける。
「そう、ヒントはここまで。新しいものを生み出すには発想が重要よ」
「新しいものって……私は既存のものをよく知らないんですけど」
「う~ん、じゃあ書庫の整理でもして基礎の教本でも見つけなさい」
簡単に言ってくれたが、書庫はうずたかく本が積み上がった危険地帯じゃないか。
「僕、手伝うよ」
「俺も――」
「レンちゃんはわたしと買い物」
師匠に連れていかれたリュートの戦力は貴重だったが仕方がない。諦めの悪いリュートはまだ文句を言っているようだが、私は聞き分けがいいのでロウを連れて書庫へ向かう。
「ねぇ、ロウは魔法使いに仕える使い魔なんだよね?」
「そうだよ! 力の強い人に呼ばれて仕えるの」
「力の強い人……その人たちってどんな魔法が使えた?」
埃を払い、本を棚に戻しながら、私は魔法でできることについて考えた。
「えっと……バーンっていう爆発とか、火とか水とか出したり……」
「そういえば水を出したことあったっけ。でも爆発って結構物騒だな」
「使ったら、すぐヘロヘロって倒れちゃうけどね」
小さな体で本を一気に十冊も抱えるロウは前が見えていないようで危なっかしい。
「疲れるってこと?」
二、三冊取り上げると頷くロウの顔が見える。
「人一人が持つ魔力は限られてるから」
それが魔法を駆使した大戦争に発展していない要因なんだろう。でも師匠のように強い魔力を持った者がたまにいる。その者を従わせるのに各国は必死なんだろう。
人を従わせる魔法のはじまりが、魔力を持つ者の奪い合いからだと床に落ちていた本にも記されていた。
「できることが限られているくらいがちょうどいいよね……」
そう私が思ったところで、アルなんちゃら王子は召喚とかいう面倒この上ないことをして魔力がある人を集めているようだし、イクス王子だってきっとロウのような使い魔をたくさん従えているのだろう。
今までなかっただけで、これからきっと起こるだろう戦争を私には関係ないと割り切ることは難しい。
「アスカ、あったよ!」
ロウの声で我に返れば、いくらか綺麗になった場所から教本が見つかる。
「絵本みたい……」
図解してある本は私にもわかりやすい。
「ふーん、従わせるって言っても常に魔力を与える状態。魔力で縛るってこと……ふむふむ。餌を与える原理から発案されたって、なんて迷惑な」
そのせいで繊細な乙女心がどれだけかき乱されたかわかっているのか、まったく。
意志がある人を従わせることができるようになるためにかなりの時間がかかったとあるが、ならそんな研究しないで欲しかった。
「魔力を注げば動かせる……意志があるから大変か。魔力が電池みたいなものなら……」
私はひらめいたことを実行しようとするがちょっとだけ躊躇う。
だって何も起こらなかったら痛い人になってしまう。
「ええーい、どうにでもなれ!」
私は思い切って、手に持っていた箒に唇を寄せた。
箒が動き、バケツは自ら水を汲みに行く。
「おおっ、大成功!」
「アスカ、すごい」
手を叩いて喜ぶが、これってどこかで聞いたような話。
「……あっ! ミッ――いや某ネズミさんの映画! 魔法使いの弟子ってまんまじゃん」
この世界に著作権はないかもしれないけど、天下のディ○ニーは怖いから伏せ字、伏せ字。
「アスカー、もっとやって!」
「よーし、やっちゃおう」
あの映画には何か教訓めいたこととかあったっけ?
忘れちゃったと軽いノリで色々な物に魔法をかけた。決してキスして回ったと言ってはいけない。物相手はキスとは言わない。ノーカン、ノーカン。
師匠のクローゼットにあったドレスたちがクルクルと回ってワルツを踊り、靴が高らかにステップを踏む。その賑やかな光景に私は油断していた。
さささっ、箒が私の横を駆け抜けて、モップがせわしなく床を拭く。
私はようやくダンスによって埃が舞い、床に靴の汚れが落ちていることに気が付いた。
「あぁー、ごめん」
はじめは掃除のためだったのに、私はいつの間にか邪魔していたようだ。
パンッ、パンッ
箒が剣のように、ちりとりが盾のように構えられて反乱がはじまる。
掃除用具たちの攻撃は強力で、ドレスや靴たちは窮地に立たされる。
「こらっ、止めなさい! 危なっ、よっと」
私とロウは切り掛かってくるような動きをする箒を避け、足を払おうとするモップをいなして争いを止めようと奮闘する。
だが、健闘も虚しくドレスはぞうきんのようにされ、靴は床をはい回りモップの代わりに働いている。
「うわぁっー……どうしよう」
思い出した。映画でも調子に乗った弟子が痛い目に合っていた。
「ただいま~」
頭を抱えたとき、師匠とリュートが戻ってきた。
「師匠ー!」
今さら隠し立てなんてできないから、私はさっさと師匠に泣き付くことにする。
「なぁに? なんか騒がしいわね」
「アスカ、どうした?」
たくさんの荷物を放ってリュートが駆け寄ってくる。師匠に助けてもらいたいのに睨まれた。まずい、早く打ち明けないと。
「従わせる魔法の応用編を試してみたんですけど」
「応用編? あぁ、思いついたのね。どれ~、成果は……」
あぁ、師匠が絶句している。
「……それぞれ物には役割があるのよ。それができないなら価値はないわ、わかったなら戻りなさい」
パンッと師匠が手を鳴らせば、今まで暴れていた物たちが大人しく片付けをはじめる。
そして箒、モップ、ちりとりと掃除用具は用具入れに、ドレスや靴はクローゼットへ戻って行った。
「すごい……」
あっという間に収拾がついて安堵すると師匠をおずおずと見上げる。
「ここまで思いついたのは上出来だけど、従わせるが下手すぎねぇ」
人なんて使う立場になったことはない悲しい末っ子の性だ。泣けてくる。
「僕は従ってるもん!」
胸を張ったロウだが、私としてはロウは可愛い弟分なんだよな。つい何かしてあげたくなっちゃう。
「あら、気にしていなかったけど高位の使い魔ね。上質な魔力に惹かれるのは理性ある者で、惹かれたら無条件に従ってくれるからそっちの方面が向いてるかもね。わたしと一緒、ふふっ」
師匠と一緒というのは教えを請う上で良いことだと思うが、私は思わず身を震わせてしまう。
「これ以上従わせなくていい。というか俺がダメなんだから許さない」
助け船なのか自分勝手なのかよくわからないリュートの主張。
「えぇー、レンちゃんとアスカはそういう関係? 弟子のくせに生意気」
そういう関係ってどういう関係だ? 筋道がまったくもってわからない。それなのに師匠は構わず続ける。
「じゃあ、今日の反省としてアスカはこれから三日間、レンちゃんと接触禁止!」
「な、なに!」
声を上げたのは私じゃなくてリュートだった。三日間は子離れにちょうどいいかもしれない。
でもあまり平然としていると反省にならないと露呈すると思い一応抗議の声を上げておく。
「えぇー、三日も、さみしーなー」
ちょっと、いやかなり棒読みだったか。
「私のドレスを汚した罰よ。せいぜい会えない時間にそれぞれへの愛でも育むのね」
育むものなんてないが、そんな言い方したらリュートの子離れ計画が……もう台無しだ。
せめてこれ以上甘やかしを悪化させないでくれと願うばかりだ。
このリュートの愛って、父性? 兄妹愛? 今度機会があったら聞いてみようと思いながら、私は魔法ではなく自分の手で掃除を再開した。




