ホームシックは突然に
甘辛いタレの香りが食欲をそそる。一口では食べきれない大きな肉が串にいくつか刺さった、日本で言う焼き鳥のようなものを片手に私は街を見物している。
「お祭りみたい」
屋台がずらりと立ち並ぶ光景は、夏祭りを連想させられる。
しかし、見たことのない南国風の果実や鼻を摘まみたくなるような匂いの強い香辛料、凝った刺繍の布地は夏祭りでは見られない。だからふと見つけた焼き鳥に惹かれ、強請ってしまった。
「アスカの国はこういう店はないのか?」
さっきまでよくわからないが落ち込んでいたリュートはようやく回復していた。
「う~ん、ないわけじゃないけど……もっと大きな建物の中に一つにまとまっていることが多いかな」
昔ながらの商店街が駅前にあることはあるが、今は大型スーパーが主流だ。
「大きな建物か、アスカの国とこちらはやはりずいぶん違うな」
「そうだね、はぁ――」
「アスカ、垂れてる」
感傷に浸るのは私には向かないらしい。再び少年の姿になっているロウの指摘に気付いたときにはもう遅い。焼き鳥のタレが串を伝って手までべっとりと落ちてきていた。
「あちゃー。でも……舐めちゃう」
醤油に砂糖にみりんにお酒、頭と舌が記憶する焼き鳥のタレの味はこの世界でもほとんど同じ。ここに醤油やみりんがあるとは考えにくいので、何か似たような味のものがあるのだろう。似て異なる世界、それが急に実感させられた。
「僕も!」
ぼうっとしていたら、頬というかほぼ口に近いところに温かいものが押しあてられる。
「ロウ!」
リュートの手がロウの首根っこを捕まえて私から引き離すまで、私は何が起こったかよくわからないでいた。
「なんだよ、離せ」
「使い魔のくせに生意気な振る舞い……許さん」
「はっ、自分が何もできないからって僕に八つ当たりかよ」
激しく言い合いをしている二人を見てしばらく、ようやく私はロウが口の端についたタレを舐めてきたことを自覚した。
ふむ、だがそれくらいで私はもう動揺などしない。思えば大人の階段をずいぶんと昇ったものだ。冗談でもそんなことを考えていたら元気が出てきた。
暗いのはダメダメ、こういうときはぱっーと食べて飲んで寝てしまえばいい。ちなみに飲むのはジュースだよ、人間は学習する生き物だからね。
ミントのように口の中に入れるとスッーとした清涼感のある香草が浮かべられた炭酸水と、粒々マスタードにケチャップが添えられたソーセージ。数え切れない屋台の料理を手当たり次第に食べ歩き、私は次の目的である寝てしまうを実行していた。
ベッドは当たり前のことながら私がいつも使っていたものと違う。枕も違う。誕生日にもらった大きなテディベアの代わりに小さな寝息と温かさが感じられるロウがいる。
「帰りたい……」
私のホームシックは時差式だったらしい。
一日目は突然のことでただ驚き、怒りにも支配された。そしてまた夜が訪れる。朝になっても家族には会えない、学校へ行くこともない。ついに実感が沸いてしまった。
「アスカ?」
迷うことなく同室を選択したリュートに文句などなかったが、今は少し後悔している。
「なんでもない、起こしてごめんね」
これ以上、リュートには面倒を見てもらえない。寝てしまおうと布団を被り直して寝返りを打てばすぐ目の前にリュートの顔。
「うわっ――び、びっくりした」
「どうした?」
これは反則だ。こんなに優しくされたら黙ってなんていられない。だって私は今すごく寂しいんだ。
「……家に帰りたい」
「帰れる」
「嘘、そんなのわからないよ」
「帰れる」
リュートの言葉はなぜかすとんと私の胸に落ちてくる。そっか、帰れるか。
「家族に会いたいな」
家に戻ったら真っ先に家族に会いたい。
「アスカの家族は……どんな人たちなんだ?」
意外なリュートの問いに、私はベッドから起き上がって語りだす。それは至って平凡だと思うけど、周囲からは面白い家族だねと称される一家の話。
「私の家はね、道場をやっているの。元々はお母さんのおじいちゃんがはじめたんだけど、そこをお父さんが継いだの」
うちの父はなんと婿養子なのだ。
「そこに行き着くまでは大変だったらしいよ。お母さん、本当はかなり強いのに絡まれたふりしてお父さんに助けてもらってまんまとゲットしたり、実はそれはお父さんの計画の内だったり。とにかく両親は万年熱々夫婦なの」
だから私を含めて四人の子どもがいる。
私の話をリュートは黙って聞いてくれる。相槌はなくても、時折見せる笑顔やちょっとした表情の変化でちゃんと聞いてくれていることがわかる。
「お兄ちゃんはね三人いるんだ。一番上の大兄ちゃんは、あぁ大中小じゃないんだよ。大和兄ちゃんだから大兄ちゃんなんだ――それで、そうリュートと同じ年だ!」
リュートが一度びくりと動いたのは気のせいかな。思えば大兄ちゃんも私を子ども扱いしてくる。
「世界各地を武者修行して回ってて強いんだよ」
「それはぜひお手合せ願いたいな」
リュートはお兄ちゃんに似ているかもしれない。きっと大兄ちゃんも戦いたがるだろう。
「そうしたら、みんなリュートとやりたがるよ。強そうな人には目がないから」
強い者しか認めない。そういえばそんなことを言っていた。よく考えれば廉なんてダメじゃん。軟弱者だよ、絶対。ということは遅かれ早かれ別れたということか……。家族の悪口を言われて振られるよりも、友人とのラブシーン目撃で破局の方がいいかもしれない。いや、どっちも嫌だけどさ。でも廉がお兄ちゃんたちやましてお父さんに勝てるとは思えない。
「ぷっ……ははっ、ぼこぼこな姿しか想像できない」
「俺はそんな簡単には負けないぞ」
むっとした表情をするリュートは自分のことを言われたと勘違いして抗議してくる。必死な様子がなんだか可愛いな。
「違う、違う。リュートの話じゃないよ。リュートはきっといい勝負……かな? 私とまともな勝負してくれてないからわからないけど」
「俺のことじゃないなら誰のことだ?」
未だ半笑いの私をリュートは訝しげに覗き込んでくる。
「んっー、彼氏? あっ、元ね」
「彼氏……たまに名前が出ていたレンと言う奴か」
リュートは記憶力がいいらしい。そういえば、レンリュートって名前に舌打ちしたしな。
「元ね! あいつは私の中ではもう遠い彼方の存在だから……って本当に遠いよね、何せ異世界」
あぁ、なんかまた気分が落ち込む波にのまれたみたいだ。
「レンを思い出しているのか?」
「まさか、あいつは王子と美麗に続く仕返し相手なんだから!」
「そうか、上手くいくといいな」
大きな手が私の頭に降りてきて優しく撫でてくれる。大柄な家系の中で突然変異としか言い様がないちびっこの私を宥める兄たちとリュートはよく似ている。彼氏という言葉に過剰反応するのもだ。
「やっぱりリュートは……お兄ちゃん――んっ、おかしいな、なんだろ、これ」
自分でも驚くほど久しぶりに涙を流してしまった。久しぶりすぎて止め方がわからない、むしろ止まらないくらいだ。
「アスカ、帰れるから。それまで、望むなら兄でも父でもその……彼氏――」
「アスカ――! また元気ないの? 大丈夫! 僕、力あげる」
「お前は黙ってろ、昼間もしただろ」
「リュートにできないこと、僕がしてるからって見苦しい!」
突然目の前で始まった言い争いに驚いたのか、私の涙はぴたりと止んだ。
「俺もできる」
思考回路は停止した。
リュートガマタワタシ二キスシタ
「……な、ななな何! 何で」
「ちぇっ、アスカ元気になった。嬉しいけど、次は僕が魔力あげて元気にしてあげるからね」
ロウは呆然としている私の額にキスをして再び眠りについた。少年の姿をしたとんでもない小悪魔――じゃない、今はそんなこと問題じゃないリュートだ。
「ロウにばかり良い格好はさせられないからな」
「元気にするために魔力をくれたと?」
さっきの説明を聞く限り、キスすると従わせられる他にも力を渡すことができそうだ。
「そうだ。いつでも遠慮なく――」
「っつー、落ち込んでてもキスは禁止!」
深夜に響いた私の声が苦情にならなかったのはよかった。私はこれでうっかりホームシックにもかかれなくなった。
でも、悲しい気分はもう消えてしまっていた。




