人生最悪の出来事
「二匹いるぞ」
ここにいるのは人間なのでこの表現は間違いだ。だが、何を示しているかはわかる。
それは私と友人。明らかにこの場で異彩を放つ私たちのことだろう。
さて、ここに至るまでの経緯は自分自身よくわかっていないのでさかのぼって考えてみることにする。
それは私、遠野明日香にとって思いだしたくもない人生最悪にして最高に屈辱的な話からはじまったのだ。
「明日香、今日はデート?」
「もちろん。って言っても一緒に帰るだけなんだけど」
私は友人が呆れているのも気にならないくらい浮かれていた。でも世の中のカップルなんてどこもそんなものだと思う。
「あんまり浮かれていると引かれるわよ」
「えっー。これくらい当然だと思う。彼氏ができた女子高生なんてみんなそんなものだよ」
顔が崩れる私に友人はそれ以上追求してこなかった。
「あんた部活は?」
「行くよ、もちろん。彼氏だって部活だもん。終わってから待ち合わせ」
私はかばんを抱えて教室を飛び出す。着替えや準備に時間がかかるからだ。そう、ここまでは何も問題はなかった。
「待った?」
私は愚かで何も知らずに待ち合わせ場所に走った。
「……」
言葉が出ないとはこういうことを言うのだとわかりやすい状況が目の前に広がる。
「あっ」
間抜けな声で仰け反ったのは私の彼氏。
いや正確には彼氏だった奴。友人といちゃついている男を私は断じて彼氏とは認めない。
「あ、明日香、部活は?」
「早く終わった。……帰るわ。じゃあね」
悲しいというより虚しい思いが私を襲って何も考えたくなかった。
ありえない。付き合ってまだ三日だよ。一回一緒に帰っただけだよ。そりゃあ私は女らしさとかに欠けるけどさ。
混乱する頭でその場を去る私の背後から声がかかる。
「ちょ、ちょっと待って」
彼氏といちゃついていた友人が追いかけてくる。彼氏はすぐに彼氏ではないと思えたが、友達はすぐには切り捨てられなかった。
「何?」
振り向けば、友人は困った顔をしている。美麗はいつもこうだ。困っているのは私なのに。
私は名前の通り美しく麗しい顔を歪めている友人にため息をつく。
「あのね、私は別に何とも思ってないのよ。ただ、彼がね。それで話してたらいい人でね……」
何とも思ってない友人に彼氏を取られた私の立場はない。それが私の最後の砦を決壊させる怒りに触れた。好きでしょうがなかったのくらい言って欲しかった。それなら許せた。それでも私は喚き散らさずに冷静に対処した。うん、大人だ。
「そう」
でも声は低く唸るようだったのは許して欲しい。
「怒ってる?」
上目遣いで聞いてくる美麗は可愛いが、それで許されるのは間違っている。
「怒ってない。でも、私が二人をどうにかする前に消えて」
抑えた声には迫力があったのだろう。私は二人が走り去るのを見送った。
「ただいま……」
傷心の私を迎えたのは、結婚してから二十年以上経ってもいつまでも仲睦ましい両親のラブシーンだった。
「……」
もう何も考えずにこのまま寝てしまおう。私は整理しきれない想いに蓋をして昏々と眠り続ける選択をした。人はこれを不貞寝と呼ぶ。
昨日の夕方から眠ったためにすがすがしい朝を迎えることができた私は、気晴らしのために早めに学校へと向かう。
それなのにこの仕打ち。
今、私の目の前では担任と新任教師の職場恋愛がせきららに繰り広げられている。朝から盛大ですね~と笑える余裕なんかなくて私はつい叫んでしまう。
「もう、誰も私の前でキスなんてするな!」
驚いて慌てる担任のことを思いやる余裕は私にはない。しかし、人を呪わば穴二つなのか……私にはまだ受難がとり憑いている。
「お、おはよう」
どの面下げて挨拶してくるのか神経を疑う友人が呪いの元凶だと私は信じて疑わない。
「おはよう」
私が不機嫌に返せば、美麗は目に涙を溜めて見つめる。
「やっぱり怒ってるよね、私ね、私……ごめん許して」
世の中は間違っていると思う。可愛い女子が泣いていて、隣にいるのは怖い顔した女。悪者は私か。
心の中で悪態をつきながらも私はなるべく落ち着いて返事をする。
「怒っていないっていったでしょ。ただ、すぐ元通りは難しい。でも、私はあんたとあいつが付き合うのに文句は言わない」
それだけ言ってさっさと教室に入ろうとするが引き止められてしまう。
「やだっ、誰にも言ってない? 私、彼となんて付き合わないよ。言い触らさないで」
どこから突っ込むべきかわからなくて私は口を開けたまま動けない。
「じゃあなんで……」
声が低く地を這う。美麗は失言だったと気付いたようで慌てて言い訳を並べる。
「えっと、明日香の彼氏を取ったら悪いから付き合わないの。でも、昨日は彼がどうしてもって……」
「へぇ」
私のモットーに火がついてしまった。いや、許すつもりだったんだよ。でもやっぱり無理だった。やられたらやりかえせ……ただ返すのではなく。
「この借りは三倍にして返すから」
大声で宣言した瞬間、私と美麗の体が暗闇に落下した。
「きゃぁぁぁー」
「なーにーこーれー」
そして目の前に現れた不遜な態度の男が私たちを二匹と呼んだ。
どうしてこうなったかは私にはわからない。