俺と菜の食事情
最初の料理シーンが長めです。話の都合上削れなかったのですが、そこは斜め読みにでもしてやってください。もちろん、きっちり読んで頂ければそれ以上に嬉しい事はありません。
部活を終えて外に出ると、雨がしとしとと降っていた。
「降水確率10%とか言ってたのにね。ま、用意周到な私はちゃんと傘もってきたけど」
横目でこっちを見る杉菜に、
「何でも疑ってばかりいるとろくな人間にならないと思うけどな」
梅雨だというのに傘を忘れていた俺が言い返すと、
「正直者はバカを見る、ともいうけどね」
「はいはい」
薄く笑みを浮かべる彼女に、負けました、と適当に白旗を振って、いつ走り出そうかと思っていると、
「じゃあな、フッキ―、杉菜」
同じ卓球部の卓人達が言いながら、雨の中を走っていく。俺もそれに倣って、「また明日な、杉菜」と自転車置き場に走る。今日はゆっくりしてはいられない。菜が家に来る日だからだ。
家に着いてケータイを見ると、六時三十分だった。リミットは七時半だから、
休んでいる暇はない。
制服のまま台所に行って手を洗って、冷蔵庫から木綿豆腐を一丁取り出す。豆腐をパックから出してキッチンペーパーで包み、皿に乗せて、適当な本を乗せた皿で重しをして置く。
次に鍋二つに水を入れて火にかけてから、自分の部屋にダッシュする。即行でいつもの着なれたジャージじゃないちゃんとした服に着替えてエプロンをして、台所に戻ると、少ない水の方の鍋は沸騰しかけていた。
全く、朝ちゃんと準備しておけば今こんなに慌てなくても済むのに。
こんな時でもいつも通り朝弱すぎて、ご飯を研いでタイマーをセットするしかできない自分が、疎ましくも思える。
軽く手を洗い、冷蔵庫から糸こんにゃくを取り出してザルに空けて、石灰を抜くために沸騰したお湯に文字通り投入する。
跳ねる熱湯は無視してすぐに野菜室から玉ねぎと椎茸を取り出して、それぞれ皮と軸を取って薄切りにしていく。しめじを手で裂いて、三つ葉はざく切りにしておく。その間にこんにゃくはザルに空けておいて、沸騰したもう一つの鍋は火を消しておく。
そうしたら、フライパンを熱して油をひいて玉ねぎ、椎茸の順で炒めていく。
炒めてる間に少し手が空くから、人参を斜めに薄く切ってから千切りにして、ヒジキを水で戻しておく。
玉ねぎの色が透き通ってきたら、みりんと酒と合わせみそで食べてちょうど良いくらいに味付けして、バターを落としておく。
オーブンを余熱しておいてから残った人参を千切りして鍋を再度火にかけて、塩を入れて人参を茹でていく。冷蔵庫から今朝処理をしておいたヤマメを取り出して、テーブルにクッキングペーパーを四枚敷いて一つずつ乗せる。
塩コショウを軽く振って、空っぽになっている腹にさっき炒めた具を内臓のかわりに詰め込んでやる。少し残酷だなと、感じないこともない、・・・こともないか。
人参の存在を思い出してコンロに急ぐと、ぐらぐらと湯だっていたので、三つ葉を投入してすぐにザルに空ける。
別に人参くらいなら少し茹ですぎたって問題はない、・・はずだ。
変に気が弱いのも考えものだ。薄口しょうゆとみりんをボウルに合わせ、人参、しめじ、ひじき、三つ葉、糸こんにゃくを漬けておく。
テーブルに戻ってクッキングペーパーで腹がパンパンに詰まったヤマメを包んで、オーブンに入れて、時間を一五分にセットしてスタートボタンを押す。『ゴウ―ン』というオーブンの音を聞きながら、次の作業に取り掛かる。
冷凍しておいたジャコを取り出して、室温で解凍させておく。
冷蔵庫からチンゲン菜を取り出して、水を張ったボウルに根元だけ漬けておく。こうすると、葉物野菜は水を吸ってシャッキリしてくれる。これだけで一味違ってくるから、料理は面白い。
今日はこの小松菜はそのまま炒めるけど、ホウレンソウなんかも茹でずに炒める方がフレッシュな感じで美味しいと思う。嫌なえぐみは油で炒めればほとんど消えるし、味を濃くすれば感じない。身体に悪いシュウ酸も、たまにたっぷり摂ったって普通の人なら何にも悪いことはないだろう。
むしろ適度に灰汁を取ってお通じに良さそうだ。
それはそうと、今は料理だ。急がないと菜が来てしまう。
ボウルに薄口しょうゆとみりんを合わせ、人参と糸こんにゃく、手で裂いたしめじを入れて下味を付けておく。
鍋でいりゴマを香りを出すために更に軽く炒りながら、棚からすり鉢とすりこぎを取り出す。香りが出てきたゴマをすり鉢で油が出てしっとりするまでする。
中学の時は細かくなればOKくらいに思っていたが、しっかりすればコクとかの味が全く違うから、時間がかかってもやっておきたい。
(菜がいれば手伝わせるんだけどなぁ)
しかし、それは夢のまた夢だ。菜は食べ物に関しては約束はしっかり守るやつで、いつも料理ができるか、できる十分前以内に来るからだ。でもって、料理もほとんどしたことがないらしい。
「ピンポーン ピンポピンポポンピンポーン」
突然間抜けな音が響き渡る。ウチのチャイムはなぜか半音ずれている。というか人の家のチャイムで遊ばないでもらいたい。
「菜だろ?!ドアなら開いてるから入ってこいよ」
菜が来ると思って鍵は開けてある。菜でなければあんなことはしないとは思うが、間違っていたら非常に恥ずかしい。何かの押し売りだったのかも、と無駄に頭を回転させていると、
「お食事処ふきのとうかいてーん!」
どっかの酔っ払いのような声が耳に響く。何か変だ。菜は確かにいつも変だが、今は約束の時間の二十分も前だし、こんな声はあまり聞いたことがない。ついでに聞き捨てならない言葉が聞こえたので、しっとりとなったゴマを置いて様子を見に行くことにする。
玄関に行くと、生き倒れの死体。もとい、菜がいた。手足を四方に投げ出して、床にへばりついている。絶妙にピンクに染まった絶対領域を作り出しているスカートや服が所々めくれて、艶やかな肌色が見え隠れしている。このまま仰向けにしたら、さぞかしあられもない姿になっているだろう。
STOP! 妄想!! ダメ、絶対!!
ダメって何をだよ!、と苦笑して自分つっこみをしつつ俺は邪念を振り払い、
「俺の名前は蕗だ。なんでふきのとうなんだ?」
脳の毛細血管が若干切れかかっているが、菜の状態が状態なので、声のトーンを落として優しく言う。
「・・・だって、ふきちゃんまだ未熟じゃない。未熟だから、ふきのとうなんだよ?」
床にキスしたまま、漏れるように弱弱しく言いやがる。時々「はぁ、はぁ」という息遣いが苦しそうに聞こえる。ちなみにふきのとうは山菜の一種だ。
「確かに、ふきのとうが成長すると蕗になるが、なんで俺が未熟なんだよ!」
―――と、説明がないと何がなんだか分からないタイプのツッコミを、血管がぶち切れると同時に言おうとしたが、本当に具合が悪そうだ。血管は即席で縫合して、大目に見てやることにする。
「どうしたんだ?大丈夫か、菜。立てるか?」
「うぅ・・・。ふきちゃん、抱かせて」
いきなり何を言うか、と思ったら、彼女はすぐに、
「アイナメ」
と続けた。アイナメは俺の飼い猫で、スコティッシュフォールドと何かの雑種だ。少し顔を赤らめた俺がバカみたいだろうが!
「んみゃーお?」
声の方を振り向くと、タイミング良くアイナメがいた。誤解しないで欲しいが、別にこの名前は俺達の愛を舐めるとか、そんな意味では決してない。単にこいつがウチに来て初めて食べたのがなぜかアイナメという魚だったからだ。というか、俺と菜はそんな関係では決してない。言うなら、料理人と客の関係だ。食べさせる以上、愛情は込めるが、LOVEとは違う。
「おい、アイナメだぞ。起きろ」
ぶっきらぼうに言ってやると、菜は何も言わずにアイナメすり寄って抱きつく。12歳と老猫なアイナメはされるがままに、白い腹に顔をうずめられている。
「ごろろろ」
幸せそうに喉を鳴らすアイナメは雄だ。
(幸せなやつだな)
別に嫉妬とかではなく思って、
「料理ができるまでそうしてろ」
セリフを残してキッチンに戻る。菜は眠ってしまったのか、返事はなかった。
ここで俺と菜の少し不思議な関係について簡単に話すことにする。
菜はフルネームで春野菜。誰がどう読んでも「はるやさい」としか読めない。ふざけたというか、生粋の現代っ子が見たら飛んで逃げそうな名前だ。そういう俺は池田蕗。蕗は春野菜だから、従属物ともいえる。母親によく「結婚したら尻に敷かれるわね、絶対」とからかわれたりするが、迷惑でしかない。
俺と菜は、高2と中3で2学年離れているが、幼馴染みで、小さな頃はまだ菜は平野菜だった。幼なじみと言っても特別親しかったわけでもなく、たまに遊んだ記憶があるくらいだったが、それが、ある意味特別な関係になったのは、1年前、俺が高校に入って落ち着いてきた時のことだった。その数ヶ月前に、菜に、悲劇が起きたのだ。彼女の母親が居眠り運転の車に轢かれて死んだ。それだけで十分過ぎる悲劇だったが、食べる事が大好きで大食いな菜にとって、本当の悲劇はその後だった。菜の父親は、すぐに再婚した。要するに既に不倫していたらしい。これも思春期真っただ中の少女にとって十分悲劇だったはずだが、その再婚相手こそが、菜にとっての一番の悲劇だった。夕飯が毎日、目玉焼きとウインナーになったのだ!!
・・・ビックリマークは余計だったかもしれない。思いっきり「そこ!?」って感じに突っ込むというか呆れている次元を超越した誰かの視線を感じる。まあ、気のせいだろう。
こういうと菜がただの食いしん坊の自己チューに聞こえない事もないと思うので、彼女が母親の事を話すとき、いつも涙声なことを付け加えておく。
嘘みたいな話だが、本当なんだから仕方がない。当然、菜は三日も耐えられなかったらしい。その日から、菜の「突撃!近所の晩御飯」ならぬ、「夕飯放浪記」が始まった。最初は顔見知りの定食屋に行って、皿洗いとか手伝いをするから、タダで食べ物をめぐんでくれと言ったらしい。どこの「餃子の王将本店」だよ!というご当地ネタなつっこみはさておき、そこは土地に馴染んだというか、少し古ぼけたよくある定食屋だった。俺も知っている所で、おやじは絵に描いたような頑固者だ。そして、そういう日本男児は少女の物憂げな表情に弱い。そのおやじも多分にもれず、3~4回体裁を保つために断って、その次からは可哀そうな少女にカニ鍋定食やら煮込みハンバーグ定食やら、メニューにないものをわざわざ作ってくれて、タダ同然で恵んでもらったらしい。奥さんの怒った顔が目に浮かぶようだ。なむあみ
次に菜が食堂として開拓したのは、友達の家だった。天然というか、自由人な菜でも、いきなり友達の家の夕食に突撃するのには気が引けたらしい。じゃあ本業の定食屋ならいいのか?とも思うが、菜基準ではOKだったらしい。
俺に白羽の矢が立ったのはその二カ月後だった。迷惑な、というか、嬉しいことに、というか、菜の友人のお袋さんがぽつりと、「そういえば、池田さんとこの蕗君って料理が上手いんだって。男の子なのに感心ねえ」と言ったのだそうな。その頃6か所の《食堂》を開拓し、一週間のローテーションを組むためにあと一か所の《食堂》を探していた菜は、雑談の中の、宝石の原石を聞き逃さなかったのだ!・・・さりげなく自慢したんだ、うん。
俺の名前と家の場所を聞いて幼馴染だと思いだした菜はその翌日、俺の家に押し掛けてきた。いくら幼馴染とはいえ、菜は女で俺は男で男は野獣だ。どんだけ食い意地が張っているんだと、思いっきり突っ込んだ記憶がある。
こうして、俺は月1から始まり、最終的に週1~月2のペースで菜に夕飯を作る事になった。7時半までに俺が料理を作って時間通りに菜が来る。夕飯を食べながら雑談をして、菜はすぐに帰る。これが俺と菜の少し不思議な関係だ。
キッチンに戻り、鍋に水を入れて火にかけてから、水切りが済んだ豆腐を崩しながらゴマの入ったすり鉢に入れて、すりこぎですっていく。板前なんかだと一々裏ごしするらしいが、家庭料理でそんなめんどくさい事やりたくないし、家庭料理には家庭料理の香りがある。それは香ばしいとか、だし汁の良い香りとかだけじゃなく、料理がある空間の香りだ。洗練されすぎた料理は、家庭の香りに似合わないと、俺は思う。
多少荒いくらいで、面倒なので止め、薄口しょうゆとみりん、砂糖、味を見ながら塩で味をととのえる。洗い物を減らすためにすり鉢のまま、糸こんにゃく・人参・ヒジキ・しめじ・三つ葉を軽く水気を切って入れて和える。白和えの出来上がりだ。白和えは母の好物で、でも面倒くさいからと言って、俺が成長するにつれて作らなくなった。今は夕飯自体俺が作る事が多いから、かいがいしく新婚の主婦のように作ってやって、仕事で遅くなる母親用に菜にとは別にとっておく。が、正直俺も面倒なので最近では菜が来るとき以外にはあまり作らない。だからと言って、菜の声まねをして年甲斐も無く、「フキちゃん、白和え作ってよぉ」とねだるのは止めてほしい。反応に困るし。
そうこうしている間に、『プー』とオーブンが終わった音がする。ミトンを片手にはめてから開けて、紙包みを取り出す。
紙包みをそっと開くと、味噌の良い香りが鼻を突いてくる。心の中で軽くガッツポーズを決め、保温のため一旦オーブンをしめてから、そそくさと仕上げに取り掛かる。フライパンを熱してから油を引いて、水に漬けておいたチンゲン菜を二つに切って、水気を切ってから投入する。炒めている間に汁物を作り始める。さっき沸かしておいたお湯にだしの素を入れ、薄口醤油と塩で味をつけてから角切りにしたはんぺんを入れる。はんぺんが膨らんできたら三つ葉の茎を加え、お椀によそって葉っぱを飾る。チンゲン菜が程良く炒まってきたらジャコを入れ、塩コショウして少し炒めれば完成だ。ホイル焼きを皿に盛り、チンゲン菜を横に添える。白和えもきれいに盛る。机を拭くのを忘れていたと思い出して、雑巾を濡らして絞る。
「お、菜、いつのまに来てたんだ?」
机を拭こうと見ると、いつの間にか菜が机に突っ伏していた。アイナメはどこにいったのか、姿が見えない。
「おーい、菜、どうした?」
返事がない。
「もう夕飯できたから、箸出してもらおうかと思ったんだけど」
菜の耳に向けて言う。が、俺はこの数秒後、後悔することになる。なぜなら、
「お箸ならここにあるよ」
菜がのんびりと言って、アイナメを高々と顔の前に持ち上げたのだ。どうやらアイナメは菜の膝の上にいたらしいが、今はそんなことは問題じゃない。目の前にいる少女が、堂々と下ねたを言っているのだ。それも若干分かりにくいやつを。
「・・・一本じゃ使い物にならないじゃないか」
アイナメの下半身に目線を向けながらそう言うのが精一杯だった。
今日の菜は本当に何かおかしい。いつも何考えているのか分からないやつだが、あからさまにこういうことをするタイプじゃない。
「いいよ、箸は俺が出すから」
言って、動揺を隠せないまま、夕飯の準備を進める。
「出来たぞ、菜」
未だに突っ伏している菜の前に山盛りのご飯と紙包み焼きを置いてナイフで切れ目を入れる。料理の良い香りを嗅げば、菜ならとたんに元気になると思ったのだ。
「いただきます」
結論から言えば、たしかに菜は、小さくそう言ってから食べた。しかし、その光景はまるで、子供のライオンが久しぶりの肉に歓喜してむさぼりつくのに酷似していた。脇目も振らず、というか料理だけを見つめて食らい尽くす。ヤマメを骨までしゃぶり、汁物は一気に流し込む。てやんでえ、でべらんめえな喰いっぷりだ。俺は自分の分を食べるのを忘れ、呆然としていた。途中、菜が無言で皿を差し出した時だけ「はっ」と反応し、そっくり一セットのおかわりを用意した。食欲から見ればいつもの菜とそこまでは変わらないのだが、こんな女を捨てたような食べ方をするのは初めてだった。
「どうしたんだ?菜。今日はなんか変じゃないか」
食べ終わってからもうつむいて黙っている菜に、俺はしびれを切らす。
「・・・今日ね、学校で個人面談があったの」
ぽつりと、言葉を発する。
「そりゃ、定食屋で個人面談なんてしないもんな」
「・・・・・」
「・・すまん、俺が悪かった」
空気を和ませようと言ったのだが、こうなってはバツが悪い。
「それで私、瑞名高校の食物科を受けたいって言ったんだけど、先生に『今のお前で受かる訳がない。考え直せ!っていうかお前、家庭科の成績2だろ?ろくに料理も出来ないくせに食物科なんて行っても恥かくだけだぞ』って怒られちゃって。確かに私は料理上手くないし勉強も苦手だけど、そんな言い方ないじゃない」
すすり泣く菜の声が聞こえる。
「そうだったのか。ひどいな、その先生」
俺は椅子を立って菜のそばに寄って、彼女の頭をなでる。
「でもお前が食物科志望だったなんて知らなかったよ。いつも食べる専門だったから」
「いいの、料理やりたいって思ったんだから。それに、良いお芝居をするには良いお芝居を見てからっていうでしょ。料理も同じだと思うの」
とぎれとぎれに言葉を詰まらせながら言う。
「そういうのは良い芝居やろうとしてる人が言うべきセリフだと思うけどな。今のお前は料理をしてすらいない」
「うん、だから良いお芝居を見て、今実践してるの」
「そうか、いい心がけだな」
言い終わる寸前に、俺の頭の中で「!?」マークが列を組んで行進する。
「・・・お前今、なんて言った?」
「ふきちゃん、耳悪かった?今お芝居を実践してるっていったんだよ?」
こういう時はわざと一つ前の言葉を言ったりしてボケるのが定石だろ。普段の俺ならそう言っただろう。しかし、真実に気がつきつつある今の俺が言うべきことはただ一つだ。
「菜、もしかして全部芝居だったのか?」
「うん、そうだよ。ふきちゃんの反応、面白かったぁ。リアクションが思ったよりハイなんだもん」
そう言って、菜は顔をあげる。その顔には涙の跡があるものの、満面の笑みがあった。
「でもまてよ。お前本当に体調悪そうに見えたぞ。まさかそれも演技って言うんじゃないだろうな」
「まさかぁ。買いかぶり過ぎだよ、ふきちゃん」
菜は某頭脳は大人な少年探偵が犯人を名指しする時のように、ビシッと指をむける。
「ここの近くに龍来っていうゲキマズなラーメン屋があるでしょ。あそこの特性大盛り背油ラーメン煮卵トッピングを食べてきたの。吐き気がする程おいしくなかったけど、おかげですごく気分悪くなれたの」
そんなこと言いながら某しゃべるハムスターよろしく「へけっ」と首をかしげるな、菜。そんならヒマワリの種でもかじっとけ。
「へえ、そんなに手間の込んだというか自殺未遂的なことしてまでやって、さぞかし俺は笑えたんだろうなあ」
俺は皮肉っぽく笑い返す。
「うん。ふきちゃん反応良くてやったかいがあったってもんだよ。ふきちゃんの料理で口直しもできたしね」
だから首かしげんな。語尾に「なのだ」とかつけ始めたら俺は絶対冷静じゃいられない。いろんな意味で。
「それは素直に喜ばせてもらうよ。たいへん嬉しゅうございます。でも、そんなに笑えたんならなんで俺に気がつかれないように出来たんだ?笑い声はこらえられたとしても、表情はごまかしきれないはず―――!」
「なんだ、気がついちゃった?」
「・・・ああ。菜、お前は今日俺に、一度も顔を見せてない。そうだろ」
「うん、そうだよ」
俺は今日の菜の行動を思い出す。登場早々玄関で野たれ死んでいた菜。アイナメを抱きしめてうつぶせになっていた菜。机に突っ伏していた菜。下ねたにかこつけてアイナメで顔を隠していた菜。そして猛獣のように下を向いて一心不乱にがっついていた菜。
「・・・参りました」
俺は白旗を上げる。
「ゲキマズなラーメン喰ってまで人をからかって、十分に楽しめたか?」
「うん。いつも見れないふきちゃんが見れて楽しかった。ありがと」
また満面の笑み。
「そうか、それはよかった。ところで菜、お前最後に泣いたよな。先生に怒られたって。あれも演技だったのか?」
「・・ねえ、ふきちゃん」
「なんだ?」
「・・・これから、休みとか夏休みの暇な時だけでいいから、料理や勉強教えてくれない?」
菜の目つきはこれまでとは違い真剣で、「ドクドク」という心音が聞こえてきそうだった。
「いいよ。教えてやる。その代わりちゃんと復習しろよ」
「やった」
心の底から出すように、菜はそっと言う。
「とりあえず洗い物から教えてやる。俺の洗い替えのエプロンもう乾いてるからそれ使え」
菜が「うん」と言うのを聞き遂げてから、二人で洗い物を始めた。これまでは菜は自分の食べた分だけ洗っていたが、今日は修行と称して全部洗わせてやることにする。だましてくれたことに対するささやかすぎる仕返しだ。俺が食器をシンクまで運び、菜がそれを洗う。そして俺が姑のように「もっとゆすぐ時に手でこすれ」とか「水を出しっ放しにするな」とか小言を言う。
洗い物が終わり、菜が(常人が食べる分での)一人分のお金を払い、お食事処ふきのとうは閉店し、菜は「都合のいい日またメールで送るから、ふきちゃんも教えてね」と言って帰っていった。
菜を送り出してからリビングに戻ってソファーに座ると、のそのそとアイナメが寄ってきて膝の上に乗せた。
「なあアイナメ、今日の菜の奇行、俺をからかうためにだけにやったんだと思うか?」
「・・・」
「俺は違うと思う。学校で先生に怒られたのが悔しくて、何よりそれが的を射った叱責だったから悔しくて無茶なやけ食いしたんだと思う。それでウチへ来て、ふと思いついたんだよ。今自分の中にある負のエネルギーを笑いの力で打ち消そうって。あいつは案外頭いいからな、使う方向がおかしいだけで」
「・・・」
「ま、ただからかいたかっただけかもしれないけどな」
アイナメを撫でると、「みゃお」と一言だけ啼いて、それと同時にガチャリとドアの開く音がした。
「ただいまー」
母親の声に、
「おかえり。夕飯食べる?」
言いながら、夕飯を一セット用意した。
手を洗ってからリビングに来た母親が
「今日も美味しそうね」
と言うのを聞きながら、ご飯をよそった。
「今日は菜ちゃんが来たのね。いつもより手が込んでる。嬉しいわあ」
「菜は大食いだから、あえて噛む量多くしたり若干食べにくいって意味で骨付きの魚にしたんだけどね。意味なかったよ」
「そうなの?でも菜ちゃん可愛いし、こんな美味しいご飯食べられるなら普通の人の一食分くらい家計から捻出しても訳ないわね。あ、白和えおいしっ」
俺はなんとなく気分が良くなって、早めに風呂に入って寝た。明日こそは朝に強くなろう、と思いながら。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
もしよろしければ、ちょちょいと評価してもらえると作者は泣いて喜びます。
たとえそれが悪い評価だとしても、次につなげたいと思うのです。
※感想なぞをいただけた日には、大気圏外までぶっとぶ勢いで喜ぶと思われます。