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『記憶にございませんが、どちら様でしょう』  —私立女子高に響いた婚約破棄宣言—

作者: 有城 沙生
掲載日:2026/01/14

「二川原ミカぁ!」


 ここは、私立花ケ咲紅蘭女子学園。

 私は、その高等部二年でございます。

 先ほどから連呼されているお名前と同姓同名ではありますが、さて。

 私には、大声で名前を呼ばれる覚えなどつゆぞございません。


 他にも同じ名前の方が、この学園にいらっしゃるのかしら?


「出てこい!二川原ミカぁ!」


 …拡声器をお使いなのでしょうか?

 ますます、下品に響きます。


 同級の方々も、窓辺から外と私を見比べておられます。——どうやら、皆さまも同じ疑問を抱いているようです。

 


「ふぅ…」

 私は、重い腰を上げ窓辺へと足を運びました。


 校庭の真ん中で、先生方に押さえ込まれている男性がいらっしゃいます。


「二川原ミカぁ!貴様と婚約破棄してやる!」


 はて?どちらかでお会いしましたでしょうか?……?


 黒のタキシードに身を固め、拡声器を持つお姿は、あまりにもアンバランス過ぎて、笑っていいものか困ってしまいます。


 ここは二階ですし、返答するにも大声を出すのははしたないですし、しばらく様子を窺いましょう。

 ……先生方と、何かお話されてますね。


「お知り合いの方ですか?」

 同じ窓から校庭を覗いていた方…お名前はなんだったかしら?でも、同じ教室の窓に並ぶと言うことは、ご級友なのですよね?

「さて…?ここからではお顔も拝見できませんし…記憶にはございませんが…」


 見れば先生方に背中を押され、門扉の向こうに追いやられるタキシード様。

 授業を知らせるチャイムが鳴り、私は席に戻りました。

 次は数学ですので、静かに授業を受けさせていただきたいのですが…ま、授業は聞いてないのですけどね。


 私、数学は一人で進めるほうが好きですの。教科書を端からノートに書き写して、自力で解く。

 教壇の前に席を陣取ってますと、教科書は、授業とは全く違うページを開いていましても気に留められないようです。


 終業のチャイムが鳴ると、

「二川原ミカぁ!」


 またしても、あの声です。

 終業を待たれた事に、ほんの少し好感が持てます。

 それにしても、先ほど門の外に出されていましたが、どこから入られたのでしょうね。

 行動力のある方なのでしょうか?

 私は、先ほどよりほんの少し軽い腰をあげ、窓辺へと足を運びました。


 ……あら?今回は拡声器はお持ちじゃないようですね。

 その上、先程は身につけていらっしゃらなかった手袋を着用されてます。

 大きなよく通る地声で発声されます。


「二川原ミカぁ!」

 ……なんだか私の大安売りのようですね。

 どの教室からも視線を浴びてるタキシード様は、物怖じしてらっしゃらないようです。

 またしても、先生方に取り囲まれてます。

 が、不思議なことに手を出される先生はいらっしゃらないようです。

 そもそも女子高ですし、屈強な先生がいらっしゃないからでしょうか?

 至極穏便に、門扉の外へと追いやられて行きます。


「なんなんでしょうね?二川原さん、本当にお知り合いではないのですか?」

 先ほどとは別の方が話しかけてくれました。

 今日は、いつもよりおしゃべりな私です。

「どちら様でしょう?」


 またしても、チャイムが鳴り響き清掃のお時間となりました。


 私は当番の中庭へと向かいました。

 タキシード様はどうされましたでしょう。

 ま、構いませんが。


 落ち葉を掃いていると、タキシード様が座り込んで本を読まれてます。

 なかなかに良いお仕立てのタキシードで、地面に座られるのはどうかと思いますが、私には関係ありませんね。


 本から顔を上げたタキシード様と目が合いました。


 …………


 先ほどの喧騒が嘘のように真っ赤になっておられます。


「……私が二川原ミカですが?」

「……知ってます。呼び捨てしまって申し訳ありません」


 随分、礼儀正しいのですね。

 拍子抜けしてしまいます。


「どちら様ですか?私には記憶にございませんが、どちらかでお会いしましたでしょうか」

 手にしているのは流行りの少女小説のようです。

 一度拝見しましたが、よく分からない世界で、直ぐに『嵐が丘』を原書で読み返した覚えがあります。

 ヒースクリフには憧れますわ。


「…………」

 ぱくぱくと口を動かされますが、言葉にならないようで、埒が明かないのでお掃除を続けます。

 が、一つ確認しなければならないことがございました。


「私はいつあなた様と破棄されるような婚約を結んだのでしょうか?」


 その瞬間、タキシード様は両目からぼたぼたと音のしそうなほどの涙を落とされました。


 殿方を泣かせてしまったようです。

 些か、罪悪感が募ります。

 それほどに、タキシード様は私から目を離さず、眼を閉じもせず、涙がこぼれるままにされているのです。


 スカートのポケットからハンカチを取り出し、タキシード様に手渡しました。

「殿方が、そのように泣くものではありませんよ?」

 

 タキシード様はハンカチを受け取ったまま、ずずっ、鼻水を吸い込みました。

 相変わらず口をぱくぱくとさせ、出ない言葉を探しているようです。

 ………過呼吸のようです。

 呼吸が出来ていません。

 あいにく、ここは中庭で清掃中です。

 私は渡したハンカチを取り戻し、タキシード様の口に当てました。


「ゆっくり息をして…そう…ゆっくり吐いて、吸って……」


 ハンカチは、鼻水と涙をも吸い込み、湿ってしまいました。

 今日はもう使えませんね…

 その場に座らせると、落ち着きを取り戻したようです。

 どうせ汚れているのだから、とハンカチを畳み直し幾分乾いた面で涙を拭いました。


「…ごめっ…こんな…つもりじゃ…」

 えづきながら、言葉をつなげます。

「…無理に、しゃべらないで。今は息をすることに集中して」

 背中に手を当てるだけにして、呼吸を取り戻すことに専念させた。。


 清掃終了のチャイムが鳴り響く。

 さて、どうしようか?


「行ってください。僕には構わないで」

 そう言われたので、ハンカチをタキシード様の握った手の中に押し込んで、放ってしまった箒を拾いました。


 用具入れに箒を片付けて、手洗い場で手を洗います。

 洗ってから、ハンカチがないことに気がつきました……お行儀悪いですが、髪の毛を整えましょう。


 ざわついていた教室は、私が入ると共に静かになりました。

 どうやら私の話題をされていたようです。

 あれほど騒がれていたので仕方ありませんよね。

 ふうっ…と、ため息を吐くと同時に担任の先生が入ってこられました。


 通常のホームルームが終わると、お一人が先生に質問しました。私は振り返るのも面倒なので、背中でお聞きします。

「…あの…先ほど校庭で騒がれていた方は…」


 先生は、ちらと私の方を見た後、声のする方へ顔をあげました。

「危険はないので大丈夫です。気をつけて下校してください」

 とだけ告げた。


「二川原さん」

 声をかけてきたのは、どうやら先生に質問されていた方のようです。

「ご一緒に帰りますか?」

 そういうものの、目線はおどおどしています。


「私なら大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 そう告げ、教室を出ました。

 


 校門まで来ると、下校する生徒の群れが不自然に空間が空いていた。

 想像はつく。

 きっと、あのタキシードがいるのだろう。

 タキシードは、上着を手にかけ、わたしを待っていたようで、顔を見ると明るくなった。


「呼吸は?戻った?」

 短くそう聞くと、

「あ、さっきはありがとう。ハンカチは洗って…いや、新しいのを買って返します」

 

「洗ってくれたらそれで構わないけど?」

 犬の尻尾みたいにブンブンと首を振る様子が面白い。

「そんなわけにはいきません!」

 ……

「元先生だから?」


 はっと顔が上がる。

「気がついて…いたんですか」

「流石に元担任は気づくでしょう。その突飛な格好には騙されましたけど、地場先生」


 なんか、また泣きそうだ…

 ここは畳み掛けましょう!あら?口調が戻ってませんわね。まどろっこしい。


「で、この奇行はなんですの?」

 …言い方、きついかな?

 すると、おずおずと中庭で読んでいた本を差し出した。


「去年…君が読んで…泣いていたようだから…こんなのが…好きなのかな…と」

 

 …流行りの少女小説。

 泣いていた?わたしが?

 

 手に取って、パラパラとめくる。

 泣いていた?わたしが?


「まさか、これを真似たと?」


 首がもげそうなほど、前後に振っている。


「わざわざ?学校で?拡声器使って?」


 わー!もげる、もげる!


「なんでまた……」


「君が…僕に興味がないことは知ってたから…印象を付けたくて…」


「大の大人が…学校辞めてまで、なにやってるんですか」


「ぐっ…それは…君に告白したかったから」


「へっ?」

「僕は!教科書の先のページより注目されたかった!」


 あ、地場先生。

 数学でしたね。


「…にしても、なぜ、婚約破棄?」

「………これ、読んでしまっただけです…」


 地場先生は、少女小説の冒頭を指差した。 


 

 

 

 

  


 

 

 

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