【超短編小説】俺がアスファルトに咲かせた花を清掃車が洗っていく夜
公園から伸びる遊歩道を少し行った先に、その桜はあるはずだった。
しかしその桜は切り株に化けており、腐敗で伐採したと言う張り紙が貼られていたので、俺とルス子はしばし立ち尽くす事になった。
確かにまだ桜の季節では無いし、その木がおれたちにとって思い出の何かと言う訳でも無い。
「まぁ、季節じゃねぇからな」
俺は世界を受け入れた。
「慰めになってないよ」
ルス子は抗った。
そう言うものだ。
そこから少し歩いた先にある、公園の傍に建てられた和風建築の旧い連れ込み旅館は、周囲に工事用の鉄板がぐるりと巡らされていた。
「これじゃあ本当に廓だな」
それが鬼鈴ルス子に聴こえていたかは分からない。仮に聴こえていたとしても反応しなかっただろう。
ルス子はそう言う女だ。
帰りに寄ろうと思っていた料理店も喫茶店も、建物の老朽化で閉業するとの貼り紙がしてあった。
「死ぬには遅すぎたな」
と笑うと、鬼鈴ルス子は「そうね、でもそれが悪いこととは限らないんじゃない」と微笑んだ。
おれたちは世界に翻弄される。溺れるのも、流れに逆らって泳ぐのも自由だ。
ただ、疲れることに変わりはない。
ふと、自宅のベランダにある鉢植えのことを思い出した。
今ごろ真っ暗な闇の中でうずくまっている鉢植えは、いつ咲く花だったか。
「そう言えばウチのベランダにある花って」
「少し先だよ」
そうか、と言ったがそれがどんな花なのかも知らないのでそれ以上は何も言葉を継げなかった。
しばらく黙って歩いていると、鬼鈴ルス子が
「煙草吸いにベランダ出るんだから、たまにはお水あげてよね」
と言って、また黙って歩いた。
おれは世界を知らなかったし、ルス子は少なくともおれより一つ多く世界を知っていた。
階段を降りた先のプラットホームに、大きくて白い紙袋を手に下げた集団が談笑しているのが見えた。
今どき引き出物パンフレットじゃなくて現物か、おれだったらどうしようかと考えていると、ルス子が黒いワンピースのボタンをひとつ開けて、襟で胸元を扇ぎながら訊いた。
「なんでバームクーヘンなんだっけ」
臀部にも似たその隙間に流れて行く汗は、なんだか首に下げたパールのネックレスが溶けたみたいだった。
その胸に顔を埋めたのはいつが最後だったか思い出せなかったが、そもそもそんな過去は存在しなかったかも知れない。
「さぁ、年輪みたいに重ねられるとかそう言うんじゃないかな」
「それにしたって、切り株を出されてもね」
桜の切り株を思い出した。
暗闇にある切り株に、未来はあるのだろうか。
「ホールのバームクーヘンって引き出物だと見たことないな」
ベランダの鉢植えは咲くんだろうか。
おれも黒いネクタイを緩めてシャツのボタンをひとつ外した。生暖かい湿気が皮膚を撫でていく。
自動販売機で無糖の缶コーヒーを買ってから「なんか飲む?」と鬼鈴ルス子に訊いた。
鬼鈴ルス子は「水がいい」とだけ言って、こちらを真っ直ぐ見た。
「水がいい」
ホームに、電車が通過する旨のアナウンスが響いた。
自動販売機でペットボトルのボタンを押してから振り向くと、鬼鈴ルス子はそこにいなかった。
飛び散った血に汚れたドレスやスーツ、白い引き出物袋が見えた。
いくつもの悲鳴を聞きながら、おれはベランダに置かれた鉢の茶色く枯れた花を思い出していた。




