Episode 5 女心
ヒロト達が喫茶bound to blakeのマスターからきついお叱りを受け学生寮へと帰り着いた丁度その頃、歓楽街の一角にあるハードロックBAR、Girls Girls Girlsのカウンターに、一年の部D組副担任、仁木雫の姿があった。
さほど広くもない店内には店名と同じ題名の曲が流れており、数席あるボックス席では酔った客達が酒を肴に盛り上がりを見せていただろう。
一方カウンターでは、バーボンの入ったグラスを握ったまま酩酊状態にある仁木がカウンターに頬を着け睡魔に襲われていた。
そのような仁木に対し、マスターであり女性バーテンダーである米国人、ヴィッキィが優しく声を掛けるのであった。
だが少し考えてみて欲しい。
この国立富士宮学園に所属している大人達は総て自衛官か元自衛官、また組織に在任している日本国籍を有する者に限られている筈だ。
このブロンドの髪を持つ青い瞳の白人女性が、何故この超国家機密扱いの富士宮学園で働いているのであろうか。
それはかつて彼女、本名ヴィクトリア・ニーア・ライトが所属していた米国、国家安全保障局(NSA)在籍時に入手した暗号通信情報と引き換えに、日本国へと亡命してきた背景によるところが大きい。
日本政府はその情報の信頼性の高さから彼女の亡命を容認した。そして彼女の素性の裏取りをした後、命の危険に晒されていることに配慮し国立富士宮学園に身柄の保護を任せたのであった。
勿論それだけでスパイの容疑が晴れた訳では無かったが、彼女の持ち込んだ機密情報が信頼に値すると判断されたからである。
また例えスパイであったとしても、国立富士宮学園という特殊な施設にその身柄を拘束しておけるというメリットもあった。
「雫ちゃん大丈夫、飲み過ぎよ。気合いが入ってんのは分かるけどさぁ、そろそろ宿舎に帰った方がいいんじゃない? 約束の時間、とっくに過ぎてるみたいだしさぁ」
ヴィッキィの流暢な日本語が閉じかけていた仁木の瞼を開かせる。そしてその潤んだ瞳はヴィッキィではなく、カウンターに置かれている革ジャンを着た骸骨のマスコット人形に向けられるのだった。
「だいりょうぶらって、酔ってなんらいらいんだかりぁね……ぐふぅぅ……」
呂律の回っていない仁木はマスコット人形を掴むなり自分の顔に近づけアルコール臭い息を吐きかけるのだった。
頭の中ではヴィッキィだと思っているに違いない。
「あらまぁ、もうすっかり出来上がってんじゃんよ。ホント、健気だねぇ」
再び瞼を閉じて夢の中へと落ちてゆく仁木に、ヴィッキィはそっとカウンターから出てゆきその肩に自分が羽織っていた革ジャンを掛けてやるのだった。
それはマスコット人形が着ている革ジャンの背中にみられる刺繍と同じく、大型バイクと白頭鷲があしらわれていただろう。
ヴィッキィにとって仁木は気の知れた友人である。頼る相手も知り合いもいない日本に亡命してきた彼女にとって最初に出来た友達であり、猜疑心の塊であった彼女の心を開かせてくれたのが仁木であったのだ。
いつにない荒れように心配するヴィッキィは仁木の握っているグラスから指を解き取り上げると、タイトなミニスカート姿の店員達が並ぶカウンターの中へと戻るのだった。
そして店内に流れていた曲がパワーバラードへと変わったそのタイミングで、入り口のドアが開かれ顔馴染みの客がまた一人来店するのである。
「よぉヴィッキィ、相変わらず賑やかで落ち着きのない店だなぁ。ま、そこが俺のお気に入りでもあるんだけどね。ところで君から俺に用事っていったい……って、なるほどね。潰れたそいつを介抱しろってか?」
悪口とも褒め言葉ともとれる台詞を吐き出しその男はカウンターに歩み寄るなり仁木の隣りに腰を下ろす。
ストライプ柄のスーツに革の手袋。首に掛け前に垂らしたカシミヤのストールが大人の男を演出していただろう。
男は外した手袋とストールをヴィッキィに渡すといつも愛飲しているジャックダニエルをツーフィンガーで要求するのだった。
その男、一年の部D組担任教師、新隣二である。
「違います。新先生、雫と約束してたんじゃないんですか? 生徒のことで相談があるって」
「えっ……? やべっ! すっかり忘れちまってた……俺としたことが……いやいや、別に約束は忘れてないけど今日ってことすっかり忘れてたのよ。ほんとゴメン」
手を合わせ平謝りする新に対し、ヴィッキィはジャックダニエルを注いだグラスを差し出し睨みつけるのだった。
「それを世間では忘れてるって言うんです。それに謝るなら私じゃなくて雫にでしょ。この娘、開店前からこの席でお酒飲みながら新先生のことずっと待ってたんだからね」
「いやぁ、流石にそれは早く来すぎじゃないかなぁ。しかも飲んで待つとかさ……」
「分かってないなぁ。新先生、この娘はこの娘なりに悩みに悩み抜いて相談することを決意したんですよ。それがどれだけ勇気のいることか分かってないでしょ?」
「そりゃ分からないさ。酒の力を借りなきゃ話せないような内容ってなんなのさ。ヴィクトリアはコイツからなんか聞いてないの?」
グラスを一気に空ける新の隣で、仁木は寝息を立てて寝てしまう。新が隣に居ることにも気付いてはいなかっただろう。
その彼女の腕の中で、骸骨のマスコット人形が重い胸に押し潰されていた。
『ぐ、ぐるぢい』、と人形の口から確かに声が発せられるのだが、後ろの席の客が声を張り上げ歌唱を始めた為、その不気味な声は掻き消されてしまうのだった。
ヴィッキィは同じ酒が注がれたグラスをカウンターに差し出し空いたグラスを受け取る。そして新の質問に答えるのだ。
「私もね、酔った雫に尋ねて聞いたんだけど、相談したい案件は二つ在るって。一つは、新先生の甥御さんがクラスに居るんですって? その彼が、何故D組に居るのか分からない、いえ、 そもそも何故この富士宮学園の生徒で居られるのか分からないって悩んでるみたいなの……」
ヴィッキィは新の顔色や仕草を窺いながら探るように返答を待つのだった。彼女が元諜報員であることは前述の通りだが、いわば職業病として身に染み付いた観察眼であった。
新は二杯目のジャックダニエルをチビリと口に含むとその鋭い視線はヴィッキィの瞳を刺すのだった。
ヴィッキィの頬が微かに紅潮する。
新は声を潜め答えるのだった。
「ヴィクトリア、確かに俺の甥っ子は俺の生徒としてクラスに在籍してる。君はその理由を知っている筈だよね? かつてNSA在職時代に得た魔神との厄災戦に関わる真実。そして日本が極秘裏に進めていた神童計画の実態。君は政府からの命令でそれらを探っていた筈だ。そしてある答えに辿り着いた時点で生命の危険を感じ亡命を決めた……表面上は、だろうけどね。そして継続された調査。ヒロトが此処に居る理由にも気付いてるんじゃないのかい?」
ヴィッキィの表情は変わらない。動揺もしていなければ驚いた様子もない。新の述べた事に否定もしなければ肯定もしないといった面持である。
「いまの私は日本国籍を持つれっきとした日本人で日本国に殉ずる自衛官の一人よ。確かにヒロト君の情報は集めていたけど、それは単純に個人としての興味でありそれをもってどうこうしようなんて気はさらさらないわ。それに対して処罰を与えられるなら、喜んでこの身を差し出してもいい」
ヴィッキィの表情と声色に嘘偽りは感じられない。例え嘘があったとしても誰も気付けないであろう。
そういった女性であり、新もそれを良く理解していた。
「君を罰するつもりなんかないし、俺にそんな権限はないさ。俺が言いたいのは、ヒロトの情報は一部を除き殆どの教師に対して開示していないということ。神童としての能力は乏しいが国内では保護対象である為やむなくD組への編入が決定されたとだけ伝えてある。ヒロトの隠された能力を知る者は、いまのところ俺だけだろうよ」
「多分だけど、雫は ヒロト君のおかしな点について薄々気付いているんじゃないかしら。彼女が何故この学園に、っていうのは神童としての能力を持たないってことじゃなくて、より強大であり異質な何かを感じたからだそうなの。彼女、この前まではA組を担任してたでしょ? 化け物のような生徒達に囲まれていたんですもの。得体の知れない能力か何かを、感じ取ったとしても不思議じゃないわ。だから新先生に相談しようと思ったのよ、きっと」
「まいったなこりゃ。流石は腐っても富士宮学園の教師ってわけだ。話を聞いて、コイツのこと少し見直したぜ。しかしよぉ、いつまでも隠し通せるもんでもないし、ヒロトの奴、今年の祭り出る気まんまんでやがんの。そうなったらもう、バレるのも時間の問題だよね」
「やだ先生、まるで他人事ね。だったら祭りへの参加申請を却下なさったら?」
新の表情が一転して険しくなると、深く考え込んだ後に笑いながらグラスを空にするのだった。
「ヴィクトリアちゃん、それは無理たわ。申請の受理も却下も教師は介入出来ないんだよね。祭りに対する全ての判断は、大会の運営委員会に委ねられてんのよ。それに……ヒロト達のチームに冬のボーナス全額賭けるって宣言しちゃったのよねぇ。あぁ、我ながらなんて馬鹿な真似を……」
「呆れちゃった……。ついこの前昇格して陸三佐になったばかりでしょ? 一年の部の総括責任者補佐を任せられたって自慢してたじゃないの」
苦笑いを浮かべながら三杯目のジャックダニエルを要求する新であった。そして思い出したかのようにヴィッキィに尋ねるのである。「で、もう一つの相談ってなに?」、と。
ヴィッキィはグラスに酒を注ぎながら視線は仁木へと向けられる。私の口から言っていいのか、それとも彼女を叩き起こして自分の口から伝えさせるのか、ヴィッキィには決めることが出来なかった。
グラスを差し出しながら、話題を変えようと身を乗り出すのだ。
口元に掌を添え、新に耳を近づけるよう催促をする。仁木の用件とは別に、新を店に呼んだもう一つの案件があったのだ。
ヴィッキィは顔を近づけ、小声で囁くように伝えるのであった。
『新先生だけにどうしてもお伝えしたいことがあるんです。近い内に、二人だけで会えないでしょうか』
目を丸くして困惑する新であったが、照れくさそうに『わ、わかりました。また後で電話します』、と声を裏返して答えるのだった。
それに対してヴィッキィは『電話は困ります。では明日の閉店後に店の裏に来て下さいますか。絶対、人目を避けて来るようお願いします』、と伝えると顔を離すのであった。
その直後である。
隣席から悲鳴のような甲高い叫び声が発せられ新に浴びせられるのだ。
直立不動で目を吊り上げた仁木雫が、骸骨人形片手に目には涙を浮かべていただろう。
「らんりぇりゃりょーっ。りゃりひりょまへてキスしてんりょりょ! この馬鹿ちん! (なんでなのよー。なに人前でキスしてんのよ! この変態きもオヤジの新隣二!)」
店を飛び出してゆく仁木を慌てて追い掛けていくヴィッキィ。一方でカウンターに残された新は呆然としたままグラスの酒を傾けるのであった。
そして考える。
女は何考えてるか分からんな、と。
新の周りで争いが起きるのであろうか?
果たしてこの先の行方はどうなるのであろうか




