5
中庭の管理の使用人は、もしかしたら室内の人達と違う事をする場面が多いから、見た目ですぐにわかるようにされているのかもしれなかった。
僕は籠の中をちょっと見た。僕以外に、僕と同じ腕輪をする人は、合格者の中には一人もいないみたいだった。籠の中に、ほかに同じ腕輪がなかったからそう思っただけだけれども。
そして僕の後も、合格者は次々と番号を呼ばれていき、最後の一人の後、これからすぐに皆、仕事場に案内されると言う知らせが伝えられた。
中庭の仕事は、誰が案内してくれるんだろう。
もしかして今日からすでに頭数なんだろうか。
そう思いながら、僕は僕を案内してくれる人を、ほかの人達と同じように待っていたのだけれども、誰も僕を案内してくれなかった。
僕は合格したのに一人だけ残されて、広い空間に一人になりかけて、不安になって聞いた。
「すみません、僕は誰について行けば良いのでしょうか」
「えっ……君は……ああ……」
最後まで、合格者の案内をしていた使用人の先輩が、僕の腕輪の方を見てからかなり戸惑った声になって、それから周りをちらちらと見た。
ほかにも会場の片付けのために残っていた人達がいるけれども、誰も僕を案内してくれそうにない。
この腕輪の合格者が一人だから、何かの連絡漏れとかがあったんだろうか。
……もしかして合格した事自体が何かの大間違いだったりする?
顔にありありと不安が浮かんでいたんだろう。使用人の先輩が、大きく息を吐き出してから、僕を見て、仕方がない、と小さく言った。
彼は明らかに、案内をしたくなくて、それでもほかにそれができる人がいないという現実から、しぶしぶ案内をしてくれる様子だった。
中庭の手入れの使用人って、そんなに冷遇されているんだろうか。
堆肥を運ぶから、匂いで皆苦手になるのかな、と思いながらも、その人が覚悟を決めた音を立てるのを待っていたら、その人が言った。
「これから案内するから。良いかい、行き先は一度で覚えるんだ。何度も案内を頼めないからな」
「はい」
中庭なら、そんなに迷子になる事もないだろう。どこか庭を目指せば中庭に行き着くはずなので。
それに僕は、道を覚えるのが得意だ。密林とか、目印のほとんどない荒野とかで、自分の歩いた道がわからないのは致命的だったから、そういうのは覚える事ができるのだ。
先輩は片付けをしていた同僚に何か耳打ちをして、その同僚も僕を見て憐れんだ顔をして、彼等は明らかに僕が不運だと告げていた。
「行くぞ」
「はい! よろしくお願いします!」
「その元気が何日続くやら」
「?」
中庭の管理は激務なのかもしれない。肉体労働だろうし、地道な作業はいっぱいありそうだ。でも僕はそう言ったものも得意なので、元気は続くだろう。
そう思いながら、僕は彼の後に続いて歩き出して、歩いて歩いて……おかしな気がしてきた。
中庭を目指している気配がしないのだ。なんだかどんどん城の中でも、装飾とか調度品とかが、田舎の密林出身の僕でも違いがわかるくらいに、豪華に立派になっていく。
中庭ってこんな道を通るの?
だんだん戸惑いの方が大きくなってきた時、やっと僕は一つの扉の前に案内された。
「この先にいらっしゃる方が、お前の主だ。重々失礼のないようにするんだぞ」
「……?」
いらっしゃる。何か神聖な獣でも飼っているんだろうか。神殿とかだと、聖なる獣を飼っていて、その獣を神様の代わりにしているって兄ちゃん達が教えてくれたけれども。
王宮にもそんな獣がいるんだろうか。
訳がわからなくなりながらも、僕はここまで来てやっぱり無理ですというのはできないから、扉をたたいて数拍待った後に、扉を開いた。
「……あ」
僕は扉の先で、書類仕事をしているその人の髪の毛が、夕方の日差しに透き通って、きらきらしているのが位置的によく見えた。
きらきらをまとって、その人が顔を上げる。
きらきらの中で、その人の一番きらきらした緑の目が、僕を確認して少し細まって、びっくりするくらいにきれいな形の唇が開く。
「合格発表はやっと終わったのか」
待ちくたびれたぜ、と言ったその人が、僕を面白がるように頬杖をついて、こういった。
「それとも、誰もお前をここに連れてこなかったから、こんなに遅れたのか?」
「申し訳ありません、殿下。思いもしない手違いがありまして」
言われた事に対するちゃんとした答えを持っていない僕が、黙っていると、案内してくれた先輩が、ものすごく丁寧に、でもおびえた音を立てながらその人に言った。
「手違い?」
「殿下の側仕えは、今年もいないと……」
「側仕えの印の腕輪まではめさせておいて、それはおかしいんじゃないのか?」
「も、申し訳ありません!! お許しを!!」
その先輩はすでに冷や汗を大量にかいていて、逃げ出したいという感情が漂いまくっていた。そんな先輩を細めた瞳で見た後、その人は一言こういった。
「さっさと出て行け、案内が終わったんならな」
「はい!! 失礼いたしました!!」
先輩は僕に何にも教えてくれないまま、必死の速度で去って行った。
そして僕は、その美しい人と部屋に残されて、いつなら口を開いてしゃべって良いんだろうかと思っていた。
「おい、お前」
「はい」
「面接の時の威勢の良さはどうした」
「好き勝手口を開いて、おしゃべりしても怒らないんですか?」
「は? 良いと言ったらお前はしゃべるのか」
「はい」
「じゃあ許してやる、好き勝手にさえずってかまわない」
「はい! 一番にお伺いしたいのですが、僕の仕事は何に該当するんでしょうか。僕はあなたにもお伝えしたとおりに、中庭の管理の使用人を希望しておりました! なのでそれと全く関係のなさそうな職場である様子に、戸惑いを隠せません! 僕はあなたのために何をしたらいいんんでしょうか! そしてこれから僕の主になるというあなたのお名前も、教えていただき、呼びかけ方も教えていただけると非常にうれしいです!」
「……」
僕はしゃべって良いと言われたので、もう思いっきり聞きたい事をべらべらとしゃべりまくった。
希望した職場ではない事は可能性として存在していたから、そこで文句は言わない。僕の適性がもっとほかにあると思われたのなら、それはそれで納得だ。
僕の知らない僕の適性を見つけてもらったのだと思うと、なんだかそれはわくわくする。
だとしても、戸惑っちゃうのは仕方がないと思うんだ。ずっと希望していたものじゃない仕事を割り振られたから、これから何をすれば良いのかさっぱりわからないっていうのもある。そして先輩はここの人が僕の主になったというので、この人のために働くのが仕事だってのはわかったけれど何をすればこの人のためになるのか、見当もつかない。
さらにいうなら、この人の名前も、この人に対しての正しい呼びかけ方も、教えてもらえないと僕はこの人に対して、失礼でない呼びかけ方が何一つとしてできないわけだ。
だが、僕がしゃべりまくりだしたら、その人は目を丸く見開いて、僕を凝視していた。
僕はさあ、答えてくださいと体中で訴えているつもりで、その人の目をまっすぐに見つめて待っていた。
しばし沈黙が流れて、その人が一言、意外すぎると言う感情をにじませて言った。
「しゃべって良いと言って、そこまでいきなりしゃべるおしゃべり野郎は初めて会ったぜ」
「あ、もしかして無口な方が希望ですか。それならば一生懸命にお口を閉じようと頑張ってみます!」
「いや、俺を前にしてこれだけしゃべる人間は貴重だ。無口にならなくて良い」
「ありがとうございます! それで、お名前は! 僕はホルスです! ホルスでもホーちゃんでも何でもお呼びください!」
「ネフェル・セト・アトゥム」
「アトゥム……え、王族でいらっしゃいましたか! 無知で申し訳ありません。言い訳をさせていただけるのであれば、故郷に王族の方々の顔も名前も出回らず」
僕は聞いた名前に目を丸く開くほかなかった。