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殿下の仕事は多岐にわたる。何かの予算案の修正とか、神殿からの陳情の対応のの最終決定とか、たくさんたくさん仕事がある。
僕はそれらを殿下がまとめた後に、読みやすくて間違いのないように、最終決定の紙に書き直すという仕事もしたし、そろばんをはじいて計算の確認をしたり、殿下が考えやすいように情報の整理をしたり、とにかくたくさんの仕事を任された。
さらには、殿下宛ての、誰かからの恋文の返信なんてものも任されて、どうしたらいいのかわからない。
「殿下、僕は恋文なんていう代物の代筆は自信がありません」
「丁寧な文章で拒否しろ」
「それだけ?」
「俺は今、誰かと恋愛だのなんだのをする余裕はない」
仕事に忙殺されているのを見る限り最もな主張なので、僕はとにかくない知恵を絞って、きれいな文字を優先して、殿下の言うとおりに恋文の、あなたとの恋は叶わないです、という中身を書いてから殿下に見せて、合格だったらそれを、やってくる返信待ちの誰かに届けるための人に渡し続けた。
恋文がとっても多い。殿下はそれ位に大人気なのか、それとも妻帯していないから声がかかるのか。聞いていないから答えを知らない。
でも、お返事を待つそういう人達は、どうしてだろうか、返信があるというだけで感動していて、もしかしたら殿下は忙しすぎて、返信を書く時間の余裕もなかったから、誰にも返信しないという大変に失礼な人になっていたのかもしれなかった。
「殿下、お手紙の返信はちゃんとしないとだめじゃないですか」
「俺にのしかかる仕事の多さを見て、それを言えるお前は何なんだ」
「だってお手紙って返信待ってるものじゃないですか。よく知らないですけど」
「王族の手紙は面倒なんだよ」
「直筆だと何か不都合が」
「本命だと思われる」
「それは大変に面倒くさい」
そんな会話をしつつ、繰り返しだが仕事の手伝いや整理や整頓やら、道具の補充のための記録をするとか、僕の仕事は大変に多い。
ただありがたい事に、殿下の離宮での洗濯とかは、洗濯係に任せられるので、時間と手間がとてもかかる洗濯をしなくていい事にはほっとした。
汚れをちゃんと落とすのは、熟練の人でも時間がかかるのだ。
僕の生活時間の中に、洗濯をする余裕はない。
……今までの生活だったら、兄ちゃん達が学校に行っている間は洗濯をしてくれた。兄ちゃん達の雑さは洗濯物にも現れていて、汚れは落ちてもよれよれだったりしていたけれども、清潔なのは間違いなかったから、文句を言った事は一度もない。
でも殿下の衣類はシミがあってはいけないし、しわがあってもよろしくないので、扱いに注意が必要だし手間はとてもかかる。
本当に、洗濯係の人には感謝しかしない僕だ。
「……さて、これで一段落だ」
殿下は最後の一枚を書き上げて、僕にさっさと清書をしろと手渡してきて、大きくのびをした。
日中のかなりの時間を仕事に費やしていたわけだけど、終わったら自由時間なのだろうか。
「体が凝った。ホルス、行くぞ」
「行くぞってどこにですか」
「鍛錬場だ」
「あの、すごく男の人の声がたくさんしてうるさいところですか」
「……お前の耳はどうなっているんだ? ここから鍛錬場の声は聞こえないだろう」
「昨日道案内をされた時に聞こえてきたんです」
「……ずいぶんと俺の仕事場に来るまでに、大回りをしたんだな」
だがまあいい、鍛錬も仕事だ、ついてこい、と言われるがままに、僕は殿下の後を追いかけて、道を覚えつつ、鍛錬場まで来たのだった。
殿下が鍛錬場に行くのは普通の事らしくて、誰も殿下が来ても大騒ぎをしない。それになれているからか、殿下も適当なところで走り込みをしたり、棒きれに打ち込みをしたりと、一通り体を動かして、汗を流している。
僕は何をしていたのかというと、まさに雑用である。
鍛錬をしているのは兵士達で、彼等よりだいぶ小柄な僕は、適当な使用人の小僧という認識をされて、あれを持ってこい、これを運んでこい、ここをやれ、この手入れだ、ととにかく殿下が鍛錬している間、雑用をひたすらこなす事になっていたのだ。
なんだかわからない事がいっぱいあって、これはこれで目新しくて面白いけれども、僕は兵士見習いの小僧じゃないんだよな。
そんな事は言っていてもしょうがないわけで、殿下の気分転換が終わるまでは働き、殿下が僕の方を見て
「行くぞ、ホルス」
そう呼びかけたあたりで、ちょうど鎧の手入れが終わったから、
「はい、殿下! ただいま!」
と大声で返事をして、一緒に手入れをしていた人達に頭を下げて、殿下の後をまた追いかけたのだった。
何日か働き続けてわかったのが大体において、それが殿下の一日の流れらしいという事だ。たまにそこに、天気が悪い時楽器を奏でるとか、そんな気晴らしの違いがあるばかりだ。
僕はそれにとにかく慣れていくしかなくて、目が回るような気もしつつ、毎日を過ごしていた。
初日に反省したとおり、僕の寝床はもちろん離宮の隅っこの、一番狭い部屋だ。掃除をしたら大体問題がなくなったので、僕はせっせと隙間の時間に藁を編んで、寝床を作っている最中だ。
殿下とか、それ相応の身分のお方は布地を使った豪華な寝台があるし、枕もしっかりと立派だけれども、僕にそんな物は支給されないので、自分で何もかも調達するしかないのだ。
だから適当に、僕はあれこれ工夫して生活している。
料理の勉強もしていて、まだ日の上る前の、殿下が寝ている時間の厨房に出入りさせてもらって、手伝いをしながら技術を盗んでいる真っ最中だ。
とりあえず煮る、焼く、あげる、炒める、蒸す、ゆでる、といった基本の調理方法は理解した。
後はそれを組み合わせられれば、それなりのご飯になるわけで、おいしいご飯を食べるにはあと一歩である。
そんな僕の、いつもいつでもおいしい訳じゃないご飯でも、殿下は文句を言いつつ食べきってくれる。
味が薄いはご愛敬で、生煮えが怖いから煮込みすぎた煮物とかでも、殿下は怒らない。
「お前がまともな物を用意するのは遠いな」
とか言うのに、だから辞めろとか、首にしてやるとか、そういう話にはならない。
でも、偶然通りすがりに話す事になる、ほかの使用人の人達は皆して
「王弟殿下は恐ろしいお方で、失敗したらすぐに首がはねられる」
というのに、僕は未だに首がつながっているので、皆何か大きな勘違いを起こしているとしか思えないのだった。




