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僕はホルス。たぶんどこにでもいるような、ありふれた十六歳の男だ。今のところ、僕に何か特別な物を見いだしたと言う人に会った事はないから、どこにでもありふれた田舎者、と言うのが僕を表現する言葉なんだと思う。
髪の毛は抜け毛から察するに赤土色をしていて、目は鉛色をしているのは、家の近くを流れている川で、自分を映した時に見たから間違いないだろう。
顔立ちが、誰かと比べて整っているとか、不細工だとか、そんなのはわからない。
と言うのも、僕は並外れて顔の整った人、という相手にこの人生で出会った事がないからだ。僕の世界は今のところ、僕の事を拾ってくれた兄ちゃん達と暮らしている、大きな川の源流にある密林と、そこから毎日三時間かけて通学している村と、時期が許せば手伝いに行く、周辺の村がいくつも集まって行われる、春の大市場くらいだ。
それを人は狭い世界だというのだろう。
でも、僕はあんまり気にした事がない。僕みたいな生活をしていれば、知らないのは仕方のない事で、でもこれから僕や村の同年代の奴らには、春と秋に、王都に行く機会があるからだ。
広い世界を見てみたいと思ったら、その春と秋の機会に、王都を目指す道を選べばいい。
兄ちゃん達はそういう事を言う。今は小さい世界だけしか知らないだろうが、行きたいと思えば王都にだって行く事を、禁止されているわけじゃないんだから、と。
兄ちゃん達は、どうも王都に行く事がだめだと言われているらしくて、それがどうしてなのか聞いた事はない。そういう話題になると、兄ちゃん達から、少しだけさみしそうな匂いがしてくるから、あまりなんでなんで攻撃をしたいと思えなかったのだ。
僕は他の人よりも、かなり五感というものが鋭いらしい。周りの人がわからない匂いがわかったり、音を拾ったり、肌で感じ取ったりするから、兄ちゃん達がそんな事を言っていた。人の感情はよくわからなかったりもするけれども。
「そんなに敏感で、よくこんな健やかに育ってくれたもんだぜ」
「ホルスは飲み込みが早いから、きっとうまい具合の遮断の仕方もわかるんだよ」
兄ちゃん達はそう言って、僕が苦しくなる事がないように、気を遣ってくれる事もある。
おならは家の外でするとか、それくらいの事だけどね。
でも、僕は兄ちゃん達が大好きだから、兄ちゃん達の優しさがすごくうれしい。
「ホルスが王都行きを選んだら、兄ちゃん達さみしいけど、応援しなきゃな」
「そりゃあ、こんなにいい子をいつまでも、俺達で独占しちゃだめだよ」
僕の十六歳の誕生日、と決めた日が近くなって行くにつれて、兄ちゃん達はそんな事を言うようになっていて、兄ちゃん達は複雑な気持ちなんだろうな、と匂いとか声の響きとかで、僕はわかっていた。
それでも、兄ちゃん達が僕に直接口にしない事を、こっちから言う事はできないから、僕はいつも通りに、生活するだけなんだ。
僕の通学は片道三時間。密林を歩いて抜けて、そこから細い細い白い石がちょっと並べられただけの、目印なんてそれくらいの荒野を歩いて、歩き続けて、そこから一番はじめに見えてくる村が、僕の学校があるところだ。
ここに来るまでの間に、僕は何度も何度も、肉食の獣に追い回されて、逃げ続けるから、僕はすっかり村の誰にも負けない足の速さを身につけた。
兄ちゃん達は、僕が一人で肉食の獣から逃げられるようになったら、村に一緒に来なくなった。
それは、村の人が兄ちゃん達をちょっと嫌がっているからだろう。
兄ちゃん達が嫌いでも、僕が学校に行く事を止めたりしないから、僕は村の人達に、兄ちゃん達を嫌う理由を聞いた事もない。
大人達はそういう話題をしようとした時に、僕が近くにいたり耳を澄ませたりしているのに気がつくと、話題をあからさまに変えるからだ。
きっとよっぽど言いたくない事が、兄ちゃん達と村の人の間に起きてしまったんだろう。
さて、そんなわけで、僕は明け方日が昇る前に、まだぐうすか寝ている兄ちゃん達の分の朝ご飯も用意してから、家を出る。
それから、岩の崖を降りて、流れる川を泳いで渡って、服の水を絞ったら、密林の草を編んだサンダルの感覚を確かめて、荒野をただ歩く。
歩いている間に、肉食の獣に追い回されるから、全力で走ってそれを撒いて、時々驚かせたりして逃げて、日が昇って明るくなって、村の子達の中でも、のんびり屋さんが学校に到着したあたりで、やっと村にたどり着く。
だから僕は、大体びりっけつで教室に駆け込んで、通学路の問題で、置き勉しなくちゃいけない教科書とかを、机から取り出して、先生が来る寸前までに、前の日に出された宿題を片付ける。
先生達も、僕の通学路の事情を知っているから、僕が授業が始まるぎりぎりまで宿題と戦っているのを、怒ったり馬鹿にしたりしない。
村の子達は、三時間かけてここまで来ている事を、皆知っているから、馬鹿にしてこない。
「三時間かけても、勉強したくてくる根性のあるやつ」
と言うのが、皆が時々僕を褒める時に使う言葉だ。
そして今日は僕も含めた最終学年の子達が、緊張をする特別な日だ。
なぜかというと、一昨日が最終学年の生徒の最終試験で、この評価は一生つきまとう物だからだ。
一生つきまとうって大げさと思うかもしれないが、若い子達が春と秋に王都に行く機会、それはこの国の求人募集が、春と秋の一時期だけと決まっているからだ。
そして、この求人募集では、最終試験での評価を重視するので、自分の一生がかかってくる試験でもある。
村で一生を終えるつもりの子もいるし、親の仕事を継ぐって決めている子もいる。進路は色々あるんだけど、若い男の子という物は、自分の可能性を信じて、王都に行きたがる傾向があって、まあ若い女の子も、今よりいい暮らしとか、憧れの都会とか夢とかを見て、王都に行きたがる。
でも、たとえ行けたとしても、最終試験の評価が悪かったら、いいところに雇ってもらったりする事はできない。
それは、学校で教えてもらえる事が、王都くらい大きな場所で働くための、最低条件だからだ。
文字を書くこと。計算ができること。最低限の人を不愉快にさせないためのマナー。
普通教育で教えられるのはこれくらいで、でもこれは一生必要な事だから、これがよくできていないとなんにもならない。
さてそういうわけで、先生達は一人ずつ名前を呼んで、生徒の手のひらに液体で、生徒の評価を書く。
それは、雇い先に見せるための評価で、紙とかで受け取らないのは、紙は貴重品だし、持ち運びの途中で盗まれる事もあるからだ。
名前を呼ばれた子は、笑ったり落ち込んだり喜んだり怒ったり、いろんな感情を顔に浮かべて、席に戻っていく。
そして僕も呼ばれて、先生に手のひらに評価を書いてもらう。
評価の印は、四つの花で表されて、白百合、赤薔薇 白牡丹 赤芍薬である。
この評価の印は、遠い異国で始まった物で、それを真似したから、この国ではめったに見られない贅沢な花の印をしているのだ。
一番すごいのが白百合で、最後が赤芍薬だ。
僕は自分の手のひらに浮かび上がったのが、白百合だったから、かなりうれしくて飛び跳ねたくなったけれど、ここで大はしゃぎするのも子供っぽいからぐっとこらえて、席に戻った。